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五番目の季節

笑い続けることはできる
泣き続けることができるなら

雨は降り続けることはできる
時間を忘れることができるなら

ゆきたいところにゆくことはできる
すべてを捨てることができるなら

くわだてはこのようにいつも
タイトルも与えられないまま取り換えられた

物語にはおわりがある
うそにはおわりがないように

夢にはおわりがある
鉄格子にはおわりがないように

愛の唄にはおわりがある
わかれにはおわりがないように

おわりはこのようにいつも
ねじれて訪れた

街では
靴下よりも安い優しさが売りに出され
冬と春のあいだで 
五番目の季節がぼくらを
誰も笑わない道化師に仕立て上げ
ぼくらは
真面目な役者になるために
滑稽な演技プランを立てないといけない

 寺山修司風に
 ジュラルミンの暴走列車となって
 駅はどこにもない
 と時速二百キロで叫ぶこと
 あるいは
 死体専門のスタントマンとなって
 死んだ場所から起き上がること
 あるいは
 配管工となって
 忘れてしまったやさしい言葉を
 蛇口からひねり出すこと
 これらをすべて
 化学工場や鉄工所や野球場の
 悲しい心を舞台に演じること
 かならずどこかに
 次のアドリブをはさむこと

 《カレンダーに印刷された一年のなかには
  どんな日付が隠されているのか
  映画のエンドロールが
  おわりを告げていると
  なぜ決められるのか》

いつの頃からか
乗車券は自動販売機で売られ
五番目の季節になると
地下鉄の時刻表に
行先のない時刻が表示され始める


※突然ですが、
noteに4月10日に投稿した『夜が明けるときいちにちは終わる』
という私の詩が『ココア共和国』6月号の「佳作」に選ばれました。
Kindle版で275円です。





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