見出し画像

今日の出来事を話してくれる息子に「それはいけないよ」とか「〇〇したほうがいい」とか言うのは場違いだと思っている

最近、今日の出来事を話せるようになってきた息子

息子は今までなかなか今日あったことを
を家で話すってことがなかった。
まだそこまで成長が追いついていないんだよね。

それが最近ポツポツと保育園であったことを話してくれるようになって、もう私はそれが嬉しい。

息子と食卓を囲みながら今日あったことを話すってーーめちゃ幸せじゃーん。
え、みんなこんな幸せ感じてたの?

「リンちゃんと二人で遊びたかったんだけど
コエダちゃんが『入れーて』っていったから
『だーめーよ』って言ったら、コエダちゃんがセイタが遊んでた電車も持って逃げた。」
と教えてくれた。

そうかー、息子は保育園でそんな人間模様を繰り広げてるんだ。息子も私がいない世界で懸命に生きてるんだね。なんて愛おしい。

楽しさ嬉しさ絶頂の矢先、保育園でケンカ

ある時私が保育園に迎えに行くと
セイタがお友達とケンカをしていた。
息子がボディブローを食らっている。
セイタより一回り大きい口も達者なお友達だ。
セイタの顔を見ると悔しそうな顔をしてその悔しさを近くにあった積み木投げる、という行為に変換していた。

おぉー。悔しさをお友達にぶつけなかった息子を見て「すごいな、セイタ。」と思っていたら

お友達のお母さんもあとからやってきた。

そして私に言う。「うちでゆっくり話してみます。スミマセン。」

そして
家に帰ると早速そのお母さんからLINEが入った。

「息子はセイちゃんに痛いことをするのをやめてほしかったけどそれが言えなくて手が出てしまったらしいです。
息子にはちゃんと言い聞かせました。明日ごめんねすると約束させました。申し訳ありませんでした。
セイちゃんはなんて言ってますか?」

えっ?

その時私は2つのことを同時に思った。

まず、
お友達はそんなに詳しく自分のみの上に起こった出来事をお母さんに話したのか ?すごくない?
そして、これって私も同じようにセイタからさっきの喧嘩のことを聞き出して、
「痛いことするのはいけないよ、明日ごめんねしようねっ」
とやらなきゃいけないのか?イヤだ。

普通に考えたらいけないことは「いけないよ」と教えるのは親の役目だ。それは理解しているし当たり前だと思う。
でも、
やっと今日の出来事をお話してくれるようになってきて、息子にとって今日の出来事を家でお話することは楽しいか楽しくないかの判断もまだついていないだろう。そんな微妙な時期なのだ。
「〇〇してはいけないよ」
という言葉は息子にとっては耳にタコだ。
タコすぎて、その言葉が出てきそうになると自分の声をかぶせてきてかき消すほどだ。

保育園ではそのへんはきっちり教えてくれている。

それを息子から話してもないのに家に帰ってまでその話を蒸し返し、蒸し返した挙げ句「それはいけないよ」と説教するなんて、おい、それはイヤだろう。

息子との会話の時間は説教タイムではないのだ

私は息子が今日の出来事を家で話してくれたら
そのことに関して良いも悪いも判断なく
「そうか。そんなことがあったんだ。セイタはそんなこと思ってたんだね。うんうん、そうかそうか」
と聞きたいのだ。

それはいけない、とか〇〇したほうがいいとか
そんなことは日々の中で学んでいる。
今それを言う時ではない。場違いだ。今じゃない。

他のご家庭のことはそれはそれでいい。
いつ説教しようが、いつ褒めようがその家庭の自由だ。

うちは今ではない。
うちは今日の出来事を話しているときは
息子の物語を聞くように聞いていたいのだよ。

息子が安心して何でもかんでも話せる場所でありたいのだ。

かといって保育園のママとの人間関係も崩したくないのは事実

でも、保育園の人間関係は私もゴタつかせたくない。それも事実だ。

うちの事情をそのままぶつけるつもりもない。
なので当たり障りなく
「こちらも明日ごめんねできればいいねと思ってます。痛いことしてごめんなさい」と送った。
ウソではない。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

サポート頂きましてありがとうございます! 発達障害児が発達障害児と呼ばれなくなる世界の貢献に使わせていただきます!