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深く息をする【わたしと山猫 物語vol.3】

訪れた日本最古のハーブ園――開聞山麓香料園。
ハーブの香りに包まれ、深く呼吸をするたびに、忘れていた大切な時間を思い出す。

「わあ……」

その場所に足を踏み入れた瞬間、自然と声が漏れていた。
敷地内を囲む大きな木々。
空気は澄んでいて、深呼吸をするたびに筋肉が緩んでいくのが分かる。

山猫瓶詰研究所の店員さんに教えてもらった場所――開聞山麓香料園かいもんさんろくこうりょうえんは、お店から車を一時間弱走らせたところにある、日本で最初に生まれたハーブ園だ。

山猫瓶詰研究所で手に取った季節のピクルス。
そこにはどれも「芳樟ほうしょう」という馴染みのないものが入っていた。

その「芳樟」を70年以上前から栽培しているのが、鹿児島県指宿市にある開聞山麓香料園だという。

赤レンガのアーチをくぐって店に入ると、副園長さんが顔を出す。
店員さんが紹介してくれたことを話すと、どうぞと園を案内してくれた。

奥へと進む。
進んだ先にはおとぎ話のような風景が広がっていた。

「これがティーツリー、あれがローズマリー」

嗅いでみてくださいと勧められるたび、柔らかい香りに口許くちもとが緩む。

「そして、これが芳樟」

何度目かの「わぁ……」が口から漏れていく。

夏のはっきりとした色を迎える前の柔らかな葉が揺れる。
たくましく太い幹に手が伸びる。

ふと周りを見ると、同じ芳樟の木が園内を囲むように立っていた。
高く伸びる木々。まるでこの園を守っているようだ。

「芳樟は園を代表するハーブで、ここには一万本ほどあるんです。リナロールっていう香り成分が葉から抽出できるんですよ」

葉に顔を近づける。
甘くすっきりとした、優しくて、どこか懐かしい香りがする。

深呼吸をするたびに頭の中がすっきりして体が軽くなる気がした。目を閉じると、風に撫でられて鳴らす木の葉の音が心を落ち着かせてくれる。

気持ちのいい場所だ。

「………――!」

我に返り副園長さんの姿を探す。案内途中であることを忘れていた。

「すみません! つい……」
「いいんですよ。気持ちがいいでしょう」

同意を表すべく何度も頷いてみせる。

「そう思うのは、今、貴女が知らぬ間に求めているものだからかもしれませんね」

求めているもの――。
そうなのだろうか。

ハーブ園をぐるりと回ったあとは園内に併設された「香料園文庫」へと案内される。

〈開園時間 日曜10:00~16:00〉の文字。
本日、日曜日。
なんていいタイミングなんだろう。

副園長さんに招かれて中へと入る。

入ってすぐ見える本棚には、ハーブに関する本がぎっしり詰まっていた。
ハーブの知識は右も左も分からないので、背表紙を眺めて直感で手に取る。

日本語で書かれたものから英語で書かれたもの、英語でもなさそうなどこかの国の言語で書かれたものまで。

お料理に、香りに、彩りに。
近くにあったはずなのに、どこかで遠くのものに感じていたハーブ。それがこんなに面白かったなんて知らなかった。

頼んだハーブティーに口をつける。
優しくすっきりした香りが鼻腔びくうをくすぐった。
ふぅと深く息を吐く。
嗚呼、ずっとこうやって過ごしていたい――。
はらりはらりとページをめくる。

時間の経過に気づいたのは、ハーブティーが空っぽになったときだった。
もう、図書室も閉まる時間だ。

読みかけの本たちを名残惜しくも本棚にしまっていく。

帰る前にお店でハーブティーと芳樟のエッセンシャルオイルを買った。
満たされた気分で胸がいっぱいになる。

赤レンガのアーチをくぐって、ここぞとばかりに大きく息を吸った。

――そういえば、前に肺いっぱいになるほど空気を吸ったのはいつだったんだろう。
こうして深く呼吸をするのは随分と久しぶりな気がする。

そして、充足感に満ちているはずなのに、心なしか余計なものはすっきりと消えていっているような気もする。

――今、貴女が知らぬ間に求めているものだからかもしれませんね。

副園長さんの言葉が脳裏を過った。

本当に、知らぬ間に求めていたのかもしれない。
あれもこれもと欲張っては、抜けることがなかった体の緊張に気づく。
呼吸が浅くなって視界が狭まっていたことに気づく。

一度立ち止まってゆっくり過ごす時間。
体に空気を巡らせる時間。
筋肉を緩める時間。
しっかりと息をする時間。

大切なはずなのに、知らない間にないがしろにしてしまっていた。

そうか、私はずっと求めていたんだな。

きびすを返して帰路に着く。
開けた視界が自然と余裕を持たせてくれる。
また来よう。
それまでは、芳樟の香りを嗅いで思い出そう。
これから、深く息ができるように。



Model 橋口毬花 Instagram(@marika.writing)

撮影 脇中 楓 Instagram(@maple_014_official)

撮影地 開聞山麓香料園 lnstagram(@koryoen1941)

文章 橋口 毬花 Instagram(@marika.writing)


イワシとわたしの物語

鹿児島の海沿いにある漁師町、阿久根と枕崎。
そんな場所でイワシビルと山猫瓶詰研究所というお店を開いている
下園薩男商店。
「イワシとわたし」では、このお店に関わる人と、
そこでうまれてくる商品を
かわいく、おかしく紹介します。

わたしと山猫vol.2 一息つきたいそんな日に
どう足掻いても行き詰まるそんな日。
2時間車を走らせて辿り着いた場所で一息つく。
行き詰まるときにこそ、休んでもいいじゃない。

イワシとわたしvol.17 たい焼きを食べる、旅に出る
虫の居所が悪い休日。これではせっかくの休日がもったいないと、閃いたのはプチ旅行。「せっかくだから」を合言葉に二人は自分の機嫌を和らげていく。

and more…



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