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【論文・エッセイ】金生由紀子|発達障害をめぐる変化を振り返る――『成人の発達障害の評価と診断』の刊行に寄せて

 発売以降、SNSを中心にさまざまな口コミにより、多くの反響をいただきました『成人の発達障害の評価と診断――多職種チームで行う診断から支援まで』。
 SNSを中心に「わかりやすい」「気づきの多い本」などのお声をいただき、おかげさまで、初版分は売り切れ、同月10月に重版が決定しました。現在もうれしいコメントが寄せられております。

 本記事では、著者のお一人・金生由紀子先生による身辺雑記も含んだエッセイを特別公開いたします。

※本記事は『学術通信 No.126』(2022年春)掲載の内容を転載したものです。

発達障害をめぐる変化を振り返る――『成人の発達障害の評価と診断』の刊行に寄せて

 春になるといつのまにか街中に色があふれるようになります。地下鉄の駅に、濃いオレンジ色の髪の毛とぱっちりした目が印象的なセサミストリートのキャラクターのポスターが貼ってあり、この季節にぴったりと思ったら、ジュリアでした。ご存じの方も多いと思いますが、多様性のある世界を反映して数年前にセサミストリートに加わった自閉症のキャラクターであり、ポスターは世界自閉症啓発デー(4月2日)を広報するものです。このような広報がまだ必要ではあるものの、自然に街に溶け込んでいるくらいにまで、発達障害や自閉症(あるいは自閉スペクトラム症:ASD)が一般に知られるようになってきました。 

 自分が医師になった頃を振り返ると、文字通り隔世かくせいの感があります。その頃に東大病院で出会った自閉症のある子どもたちの多くは、知的に遅れがあって呼んでも振り向かずにどこかに飛んで行ったりする一方で、高い記憶力などの独特の優れた点を持っていました。自閉症の有病率は1980年頃には子ども10,000人に5人とされており、比較的に稀な疾患との位置づけでした。その後に、いわゆる“アスペルガー症候群の再発見”を経て、カナー型と現在では呼ばれることもある古典的な自閉症から定型発達までスペクトラムになっていると認識されるようになるのに並行して、有病率が上昇してきました。最近では、我が国の5歳児におけるASDの有病率が3%以上との報告まであります。 
 過去30余年におけるASDの有病率の上昇と歩を同じくするように、状態像も変化してきたように思います。ASDと診断される範囲内であっても、以前ほどの強いこだわりやそれに伴う行動上の問題(激しいかんしゃく、自傷、他害など)を持つ方は少なくなっていると思います。より幅広い層が受診をするようになったことも影響するでしょうが、早い時期から発達特性に合わせた働きかけをするようになってきたことも関連しているのではないでしょうか。一方で、厳しい叱責やいじめを含めたトラウマを繰り返し体験してその影響を引きずっていると思われる場合、児童虐待とまでいかなくても本人の状態と親の対応とのずれが続いて悪循環を来してアタッチメントに問題が生じていると思われる場合などが、認められるようになっています。自分がそういう面にも気づけるようになったこともあるのでしょうが、子どもが育つ環境がより厳しいものになってきた面もあるのだと思います。 

 このような傾向は、発達障害のある成人、特に知的な遅れがない方ではいっそう強いように感じます。受診に至る方では、周囲が発達特性を理解せずに、性格の問題や努力不足などとして叱責したり、感覚面を含めて苦痛をもたらすだけの訓練を強いたり、いじめやからかいを繰り返したりして、PTSDとの診断には当てはまらないとしてもトラウマ体験が蓄積していることが稀ではありません。発達特性に関連して、いじめやからかいをされやすいとか社会的文脈が分からずにそういう場面に行きやすい、さらには嫌な記憶が頭にこびりつきやすいなどが関係しているかもしれません。逆に、理解と愛情のある家庭や学校の下で育ったために長じるまで気づかれなかったが、対人コミュニケーションや状況への柔軟な対応や素早い処理などが強く求められる社会に出るにあたって、思考の固さや対人交流の幅の狭さがクローズアップされる場合もあります。産業構造も含めた社会の変化に伴って、以前であれば適応できていた方が困難を生じて受診することもあるように思います。  
このような変化は、治療・支援についても生じています。東大病院こころの発達診療部では、その前身である精神神経科小児部の時代から、家族や学校や社会の理解を促すことが大切であり、本人に対する働きかけと環境に対する働きかけの有機的統合が必要と考えていましたが、医療における対応としては、本人の認知と情緒の発達を促して適応能力を高めたり不適応行動を減弱させることに重点を置いていました。そのための科学的な評価である太田のステージ評価と、それに応じた認知発達治療が開発されたわけです。その発達的な視点の重要性及び評価の有用性は現在でも揺るぎませんが、対人面への働きかけをより意識したり行動解析を精緻にしたりすると同時に、環境への働きかけに力を入れるようになりました。以前は、大切ではあるものの医療としては対応しきれないし、それで仕方ないと考えがちであったのが、社会モデルを受け入れるにつれて、実現可能な環境への働きかけを追求しようと努めるようになったのだと思います。そして、病院でできることが限られているからこそ、本人を適切に評価して、それを本人や家族をはじめとする関係者と治療者で共有してより本人らしく生活できるようにすることが必要と認識するようになりました。そういう経緯を踏まえて、『成人の発達障害の評価と診断』をまとめました。その中では、包括的な評価に基づく心理教育について述べていますが、もちろん一方的に伝えるのではなくて、本人に寄り添いつつ理解を促して、shared decision making へつなげていくものです。 
 
 この原稿を皆様が手に取るときには、少し季節が進んでいるはずで、その頃には、コロナ禍やウクライナ侵攻が下火になっていることを心から願います。おそらく少しは改善しているのでしょうが、やはりだれにとっても不安や脅威は存在し続けているのでしょう。先述したように、発達特性に伴って、それらにより遭遇しやすかったりより影響を受けやすかったりする可能性があります。そういう方について、適切な評価とそれに伴う心理教育を考える際にこの書が少しでも参考になったら幸いです。 
 なお、ここでは、ASDを軸に述べましたが、注意欠如・多動症(ADHD)を始めとするASD以外の発達障害についても、認識の変化してきた流れはほぼ同様とお考えください。

金生由紀子(かのう・ゆきこ)
精神医学、児童思春期精神医学東京大学医学部附属病院こころの発達診療部部長。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻統合脳医学講座こころの発達医学分野准教授。
著書に『新版 自閉スペクトラム症の医療・療育・教育』(共編著,金芳堂)、『子どもの強迫性障害 診断・治療ガイドライン』(共編,星和書店)など多数。
 2022年2月、東大病院こころの発達診療部の編著書『成人の発達障害の評価と診断』が小社より刊行され、同月10月に重版が決定した。

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「成人の発達障害の評価と診断」表紙


「成人の発達障害の評価と診断」帯

装丁:西野真理子(株式会社ワード)

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