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【シリーズ】「まつりごと」としての政治を考える【其の四】

『銀河の塔』、遂に発売!!!


先週の日曜日に、静岡県の日本平ホテルにて行われた、

『銀河の塔』出版記念パーティーに参加してきました!!


会場は、最上階(6階)の「銀河」!!

天気は快晴でしたが、春独特の「霞」(かすみ)がかかっており、

冠雪した山頂部分のみが薄らと浮かび上がる印象的な景色でした!


左に富士山(この写真では見えないけど)、右に駿河湾の絶景!!

「霞」(かすみ)については、以前にこちらの記事にて纏めました。m(_ _)m


前回のシリーズにてお伝えした通り、

「新時代のMATSURI」を起こすべく、その教科書として出版されたのが、

『銀河の塔』というタイトルの児童文学です。


世界に一冊しかない特別版!!


本の詳しい内容については、

何より直接手に取ってご覧いただきたいので、細かくは語りません。


200ページに及ぶオールカラーの児童文学

というだけで、只者ではない!!という感じはしますよね?(^ ^)


しかも、この本の発売日はなんと!!

来年の万博開会式のちょうど一年前とのこと!!(^O^)


「祭り」の提唱者・岡本太郎の言葉


今回は『銀河の塔』の書籍の中から、

このシリーズのテーマである「祭り」に関わる部分で、

前回の記事とは別の岡本太郎の言葉のみ引用したいと思います。m(_ _)m

私の持論だが、『祭り』と『お祭り』とはちがう。
『お祭り騒ぎ』という言葉があるように、
とかく無責任に寄りあってわいわいやるだけに流れがちだ。
しかし『祭り』は根源の時代から、人間が絶対と合一し、
己を超えると同時に己自身になる、
人間の存在再獲得の儀式である。

極めて神聖な、厳粛な場でなければならない。

神聖感をあらゆる意味で失ってしまった時代に、
再び世界全体に対応した、
新しい『祭り』をよみがえらす
ことが出来たら。

『太陽の塔』平野暁臣 編著/小学館クリエイティブ


前回は、言霊学(げんれいがく)の内容を引用しつつ、

自分なりに考察した部分が大きかったのですが、

不思議と岡本太郎の指摘と重なる部分が大きいので、嬉しく思います!(^ ^)


そもそもこのシリーズは「政治」について一般的な角度とは違う切り口で、

「政(まつりごと)」という国語(日本語)をヒントに考え始めたのですが、


大阪万博で本当の「祭り」を実行した岡本太郎の真実の言葉によって、

ど真ん中の答えを与えられる形になりました。m(_ _)m


『東洋政治哲学』という”焚書”


といって、まだ4回目でしかない考察シリーズですが、

ここからさらに深掘りをすべく、新たな視点を取り入れたいと思います。


実を言うと、この「焚書」(ふんしょ)の存在があったらこそ、

「シリーズ化してお伝えしたい」

という動機がそもそも生まれたという事情あったので、

ようやく今から書き出せるなぁ、という安堵があります。笑


その本とは、安岡正篤著『東洋政治哲学』です。


ご覧のように、現在はAmazonで容易に手に入るわけですが、


実はこの本は戦後GHQの占領時に「焚書」(ふんしょ)の扱いを受けました。


言葉の由来を遡れば秦の始皇帝に辿り着きますが、

要は現代的にいうと「発行停止(禁止)処分」のことですね。


今となってはその禁が解かれて入手することが可能なのですが、

一体どんな内容が連合国(占領軍)にとって都合が悪かったのか?

《削除または掲載発行禁止の対象となるもの》
(中略)
(一七)神国日本の宣伝
日本国を神聖視し、天皇の神格性を主張する直接間接の宣伝がこれに相当する。

江藤淳『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』より


ここまでで既に「天皇の神格性」についても述べてきたところなので、

今になって改めて言うまでもないことですよね。^^;

主に農事に関わって、

神から言葉を託される者として「神格」を帯びた存在であったと。


実際に、この本の中身としては

第二編 王道 第三章 日本天皇

と題した項目がございます。


王道」といえば、その反対に「覇道」と呼ばれるものがあり、

ONE PIECE作中においては「覇王色の覇気」という設定がありますね。


覇道と王道は本来違うもの。

さらにいえば、日本独特のものとしての「皇道」があったと言われます。


その内容に深く関わるものとして、「祭祀」の存在もあったわけです。


「祭祀」という漢字の成り立ち


さて、ここからは引用モード全開でお届けして参ります。m(_ _)m

王道は造化の根本原理に則って、民を刹那主義利己主義唯物主義的風潮から救って、出来るだけ一貫した大きな創造的生活に導かねばならぬ。

安岡正篤『東洋政治哲学』第二編 王道 第一章 造化と王道 第三目 祭祀の尊重 より


造化」とは、宇宙の「創造化育」のはたらきのことで、

和名では「産霊(むすひ)」と言われるものです。


換言すれば子をして父母に、子孫をして祖先に、後人をして先覚に、人間をして天地自然に結んでゆかねばならぬ。このむすびにこそ真の創造がある

同上 続き 

「生む」働きが「造化」であり「むすび」ですから、

「生まれた」ものとしての「子、子孫、後人、人間」は、

それぞれ「父母、祖先、先覚、天地自然」にむすばれることにより、

「大いなる創造」に向かうことができるというわけです。


続いて、「祭祀」という漢字の成り立ちについて。

孝経疏に、祀は似なり。先人を見んとするに似るなりとある様に、祀はその大いなる者を絶えず髣髴として心に懐くことに外ならず、祭は文字そのものが肉と手と示とより成って居ることからも明らかな様に、その大なるものに捧ぐる意味に外ならない。

同上 続き

漢字の成り立ちには深い意味が込められており、

「思想」や「哲学」として無視できないものがありますね。


東洋政治哲学』と題した本ですが、

東洋」として漢字を含めた大陸からの文化流入に晒されながらも、

日本」としてそれらを取り入れ純化させていった歴史がありました。


いよいよ深い内容に入っていきそうな予感ですが、今回はここまで!^o^

次回をお楽しみにお待ちくださいませ〜♪( ´▽`)

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