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大本営発表

民間部門からは長年の金融緩和による副作用の指摘もあった。だが、デフレを脱却して物価安定を実現するための有効な代案はあっただろうか。
私なりに国益を追い、最善を尽くしてきたつもりだ。

これは、黒田・前日銀総裁が退任された後に述べられた言葉。

「有効な代案はあっただろうか」

これは、その通りだと思う。
目標を達成できなかったのは結果論だし、物価上昇率2%という目標は白川・日銀から引き継がれたものだった。それに、そもそもそれを日銀へ押し付けたのは当時の政府である。

ぼくは、黒田・前総裁時代から記者会見を見ていたけれど、ずっと不思議でならないことがあった。

なぜ、引き返さないのか?

これは、ぼくが何度も ”頑なでブレない” と形容してきた黒田・前総裁の物価上昇率達成に懸ける執念とも思える ”頑なさ” のこと。

「通貨の量を増やせば物価が上がる」と本気で信じられていただろうし、だから「円安は日本にとってプラスだ」「効果がでるまで続ける」と言い続けてこられた。
しかし、この頑なさのためにマスゴミから不躾な質問をされることにもなった。
稀に怒気を含んだ表情の時もあったけれど、それでも基本的には意に介さないその飄々とした態度は、余計に不遜とも映った。

これだけ異端なことを繰り返し結果が出なければ、そりゃマスゴミに限らず、あちらこちらで弊害をもたらすことになる。
マイナス金利を導入した際には当然、民間金融機関からの抗議、苦言もかなり多かったようだし、日銀の伝統的思想を壊したのだから日銀OBからの批判、軋轢まで生じさせ不協和音も高まった。
それでも「金融政策は金融機関のためにやっているものではなく、日本経済全体のためにやっている。金融機関が賛成するか反対するかで、金融政策を決めるということはない」と強い口調で批判に反論されたという、黒田・前総裁のこのブレなさは何だったのか。

例えば、職人さんなら頭でイメージしたものがその通りの味や形になれば、きっとこれほど楽しいことはない。同様に経営者なら計画したものが思い描いた通りに結果が出れば、投資家なら狙い通りの動きになれば、いずれもそこで覚える快感は同じ類いのものだと思うし、これがやり甲斐ともいえる。

日本金融機関のトップとして黒田・前総裁にも同様の快感、やり甲斐や矜持、自信があったと考えれば、この頑なさもわからなくもない。
けれど仮にそうだとしても黒田・前総裁の場合、「勝つまでやる」というのはやはり違う気がする。一般人とは背負っているものが余りにも違うのだから。

”アベノミクス” という御旗のもと続けることができた強気な発言は、黒田・前総裁にとって「神明安倍元首相 の加護」があったのだろうけれど、敗戦の気運が起きた時点で撤退も必要だった気がしてならない。
あの強気な発言の数々は、ぼくら国民にとってはさながら大本営発表だったわけで、例のピーターパンの話にしても、まさに敗戦した日本軍の抽象的な精神論のようだし。

しかし黒田・日銀時代の終盤、2%の物価上昇率を達成してもなお「持続的・安定的な物価上昇ではない」とか、あれこれ理由を述べては頑なに緩和をやめようとされなかった。それだって本当の理由は絶対に口にできないだろうけれど、インフレ課税ですよね、と。それもおそらく政府からの要請で。

結局、異次元金融緩和(アベノミクス)は終戦したけれど、残された多くの不発弾や地雷の撤去をさせられているのが、現在の植田・日銀だとぼくは思っている。

つづく


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