先日の日経新聞に、こんな記事が出ていた。
国の借金、1311兆円で過去最大 6月末時点
相変わらず ”国の借金” って書き方をするんだな。
この記事にはなかったけれど、この手の話をメディアが書くときには、大抵これに ”国民1人当たり10○○万円の借金” という脅しめいた言葉が続く。
以前もどこかで述べたと思うけれど、この国の借金は ”国民の借金” でなく、”日本政府の借金” が正しい。だから借金の額を日本の人口で割ることに何の意味があるのか不思議でしかないけれど、あるとすれば増税のための前フリとして煽り、国民に刷り込もうとする偏向報道としか思えないんだな。
一方で ”国の借金は国民の資産” といったMMT(現代貨幣理論)的な意見もあるけれど、ぼくには今のところこれもしっくりこない。それを否定するものでもないし、なるほどなぁとは思う部分もあるけれど、まだ少しかじった程度なのとこれを書き始めるとまた話が逸れるので今回は割愛する。
”国の借金がぼくの資産” とは思わないけれど、国民の資産が担保になっているなぁくらいの印象を個人的には持っている。
この巨額な借金は国債だけでなく金融機関などからの借入金や政府短期証券の合計だけれど、税収で返済しなければならない普通国債が約1059.5兆円もある。
そう思うと、岸田首相が「経済を立て直し、財政健全化に取り組む」と以前に表明されたのは正しいと思うし、日銀が長年続いたマイナス金利などの解除や国債買い入れの減額に舵を切ったことは金融政策正常化として正しい気がする。
しかし、まず「経済を立て直し」という部分が、どうやって?とぼくには疑わしく思えるし、結局そんな岸田首相は退任される。
これほどまで借金が膨れ上がったのは、無論コロナ禍によって財政支出が大幅に増加したこともあるけれど、本を正せば2013年のアベノミクスから始まった黒田・前日銀総裁による異次元金融緩和に話が遡る。
政府が国債を発行しても日銀が買い受けてくれるので、財政支出が必要とあればいくらでも国債を発行すればいい、と借金に麻痺した政府は財源を国債に依存するようになった。これなら増税によって国民から嫌われることもない。
こうした長年に渡る財政の放漫体質が、現在の巨額な財政赤字に帰結する。
アベノミクスで安倍・元首相と黒田・前総裁が行ったこの手法は、財政赤字を補てんするために中央銀行が通貨を発行し、政府が発行する国債を直接引受けるという、ほぼ ”禁じ手” ”禁断の” と呼ばれる「財政ファイナンス」に近い。
これは以下のように財政法第5条で原則禁止されているし、その理由も述べられている。
ちょっとわかりにくい話だと思うので、もう少し噛み砕いてぼくの解釈で補足してみる。余計にわかりにくくなったら申し訳ない。
闇雲に国債を発行すると必要以上に通貨量を増やすことになり、これだと市中(市場)の通貨量のバランスが崩れ、良くないインフレを招きかねない。
だから ”市中消化の原則” は、国債発行によるインフレ防止を目的としていて、原則として国債を日銀が ”直接” 引き受けることを禁止し、民間金融機関(銀行とかね)に売却することになっている。
こうすることで、その範囲(民間の資金内)の通貨量でバランスが保たれ、急激なインフレは起きないであろう、という理屈になる。
そして今度は、その国債を日銀的が買い受けることで銀行など民間金融機関に国債の支払いをすることになる。こうして民間金融機関から事業をやっている人や国民といった世の中に低金利でお金がまわり、好景気へと向かわせること(そのはずだった)を狙ったのがアベノミクス・第一の矢である〝異次元金融緩和” だった。
多分、合ってると思う。
日銀的には、市中を一旦通ったものを買っているため国債を ”直接” 引き受けていることにはならないし、デフレ脱却のため、物価目標の達成を目指す ”金融政策” であるから(目的が違うので)財政ファイナンスではない。とされている。
以前、この点を記者会見で問われた黒田・前日銀総裁は、「政府に言われてやるなら財政ファイナンスかもしれないが、中央銀行が独立の主体として金融政策の観点から行う国債買入れは、金額がどんなに大きくても財政ファイナンスには当たらない」とキッパリ話されていた。ちなみに、これは黒田・前総裁だけでなく、現在の植田総裁も強調されている。
市中を通しているので ”直接” でないとはいえ、新規発行される国債の90%以上を日銀が買い受けていたことを思うとやはりそれが前提だし、これは詭弁だと思うんだなぁ。
長くなってきた。次回にしよう。
つづく
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