見出し画像

私が心配性なワケ(Day.13)

保育園に着いた瞬間、ぐらっと地面が揺れた。幸い自転車を止めたあとだったので、そのまま前面座席に座る息子に覆い被さった。

園内からは「地震だ!」「みんな集まって!」と声がして、教室の真ん中にひとかたまりになった子どもたちの上に、先生たちが腕を組んで覆い被さっていた。

大きな揺れは一瞬だったが、心臓がばくばくした。園長先生に「(息子を)連れて帰ったほうがいいですか……?」と聞くと「園では普段どおりに生活するから大丈夫だよ。ママ、心配性だね」と言われてしまったのだった。

心配性。人に言われるとグサッとくるのは、それが自分の「短所」だと思っているからかもしれない。調子がいいときには気にならないけど、不安ループに陥ってしまうと「心配性の自分」に押し潰されそうになって息苦しくなるのだ。

でも、ふと考えてみると、私が心配性を発揮するのは家族のことや大切な友人、そして仕事についてだけ。

「以前はここまで心配性じゃなかったのに……」と悩むこともあるが(悩みすぎ)、それは今の私の生活がほぼ「育児」と「仕事」で充たされているからだろう。

「心配する」というのはすなわち、その対象に計り知れないほどの愛を持っているということかも。だから失いたくなくて、つい心配しちゃうのかもね。

「いちいち心配しすぎだよ」といろんな人に言われて、それはいけないのだと思っていた。でも私にとっては「心配しないでいる」のは不自然なことで、ストレスがかかる。だったら心配しちゃう自分を受け入れて、否定しないであげたい。

もちろん、心配だからといって相手の行動を制限したり、コントロールしようとしたりするのは絶対ダメ。息子や夫はもちろん、友人たちとの関係においてもそうだ。これだけは死守している。


何が言いたいかというと、心配性の人は愛情深いということですよ。


▽本日の一冊▽

和田秀樹『不安に負けない気持ちの整理術』

ちょうど1年前、息子の入園が間近に迫って、ライターとしてのキャリアをどう積んでいこうか不安だった頃に読んだ1冊。

「不安なときにはとにかく行動する」という言葉が印象的だった。考えすぎて立ち止まるよりも、動いている事実に安心できるから。以来、実践している。


▼昨日の記事。家族のなかでのわたしの役目とは。▼



この記事が参加している募集

#今こんな気分

75,900件

いつもありがとうございます。 いただいたサポートは より上質な記事をお届けできるよう 大切に使わせていただきます♪ 新米母ちゃんを ぜひとも応援してください📣