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世のため、人のため。その輪に入れてもらうため。

修道女になりたいと思っていた時期が、そこそこ長く、過去にあった。

二十代のころ。
ふわっとしたあこがれではなく、けっこう具体的に、かつ現実的に、動いたりもしていた。

まずカトリックの洗礼を受けた。大前提である。
洗礼まえの段階で神父さまやシスターたちにそういった意志があることを伝え、どうしたらなれるかなどの条件を調べた。

大学で西洋史学を専攻していた、と言うと、何となく中世史を連想されがちだが、実際は現代史の研究もできる。それを活かして現代ヨーロッパでの修道制について独自に調べたりもしていた。

そういうことをしていると、当然かもしれないが、いつの間にか教授の知るところとなり、

「修道女にでもなりたいのですか?」

と正面から聞かれ、はい、と答えると、ほうほう、とふくろうのように教授は興味を示してくれた。





この教授はたまたま推薦入試の際、私の面接官を務めた人でもあった。
入試が終わり、さて、推薦受験生の誰をとるか。
選考の折り、私に関して十人ほどの教授や講師の意見はぱっくり二つに分かれたという。さながらモーゼの海。

「知っていることは院生レベルで知っているけど知らないことは本当にまったく知らなさすぎる。あまりにもバランスが悪すぎる」

とジャッジする反対派と、

「その院生レベルの知識量は膨大だし更にとてつもないポテンシャルを感じるし、まあまず一般入試は受からないだろうし、これがラストチャンスだ」

そう主張する賛成派。
さんざんに揉めたあげく、じゃあここはひとつ、面接官だった教授のお考えを聞きましょうとなったらしい。
教授は学科の長の一人だったから、それまで黙って聞いていたが、お許しが出て、では、と、口を開いたという。

「確かにバランスが悪すぎる。それは事実です。だが、既に歴史を学ぶ姿勢が整いつつある印象がありました。自分が持っている知識への批判精神、あれは他の受験生には見受けられないものです。非常にユニークです。そもそも何故、推薦入試制度があるのか。そこに立ち返ると、彼女みたいな拾いものを見過ごすのはナンセンスにも程があるのではないですか。我々も無難なことばかりしてないで、挑戦すべきでしょう」

こうなるともう鶴ならぬ学科長の一声。
その教授がいなかったら私は大学に進学できなかっただろう。まさに恩人であり、恩師である。
ありがとうございます、教授。入試に遅刻したのに、本当にありがとうございます。前泊したホテルの朝ビュッフェがおいしすぎたんです。





教授は入学後も私によく目をかけてくれていて、よく史料整理や、学科内の冊子のコラム執筆や、論文の編集作業など、他の学生がなかなか体験できないような機会を与えてくれた。
ラッキーだなとのんきな気分で手伝うと、お疲れさま、妻が焼いたクッキーがあるので、よかったらお茶でも、と、教授室に招いてくれることも多かった。

そのときも、いま時間があるならお茶でもどうですか、という運びになった。

教授室はゼミなどで使われる教室でもあるが、ついたてで教授のデスクと学生のスペースが区切られている。
その境界線ぎりぎりの、学生用の机に、教授はお茶とお菓子を並べてくれた。

「今日のスコーンはアールグレイの茶葉いりのらしいですから、紅茶はダージリンにしました」

奥様はお菓子づくりがご趣味なのか、教授はしょっちゅう、「妻の手製ですが」と前置きをしつつ、何かしらのお茶うけを出してくれた。
でなければカントリーマアム。
ゼミでもたまに学生たちに奥様のお菓子かカントリーマアムかを配ってくれるものだから、誰が言い出したのやら学生間で教授のあだ名は「カンマム」になっていた。ちなみにフレーバーはバニラ味と決まっていた。

「どの修道会かは決めているのですか」

学生用のパイプ椅子に座り、スコーンを割りながら、灰色の眉毛を片方だけ上げて私を窺う。教授の癖だった。

「いえ、まだです。ただ、通っている教会にマリア会のシスターがいらっしゃるので、ちょっとそういうお話をしたりする程度です」
「ああ、あの大学のシスターですか。イエズス会系列の」

私はスコーンを頬張りながら、うなずいた。さすがによくご存じだな、と感心しつつ。

「私があなたぐらいの年のころは、大学生も今とはやはり違うものでね」

うまく遠まわしにことばを選んで、あくまで物腰やわらかく、教授は語ってくれた。

「西洋史の学生が集まると、もし修道士になるならどの会が良いか、なんて話もしたものですよ」

ちょっとはにかんでから、教授がティーカップを取り、紅茶をすする。
へええ、と私は、教授の学生時代って四十年ぐらい前かな、と想像し、すると戦中か終戦直後だから、わりとのんびりというか、裕福な人たちの集いでもあったんだろうなあ、とか、いろいろ考えを巡らせていた。

「教授は、どこの修道会がご希望だったんですか」

好奇心をまるだしに尋ねてみると、そうですねえ、と教授はまたスコーンを割った。ぽろぽろとバター色のかけらが皿に落ちる。

「修道会なら観想系が良かったですね。カルメル会あたりがいいと思っていました」

修道会は主に観想系と活動系に分かれる。

観想系は文字どおり、人里を離れて瞑想をしながら自給自足の生活を送る。
日本で有名どころだとトラピスチヌ修道会がこれにあたる。

活動系は布教したり、病院や学校、出版社を経営したり、あまり世間から離れない過ごし方をする。
イエズス会、マザー・テレサの神の愛の宣教者、女子パウロ会など、日本では観想系より活動系のほうが名前ぐらいは知られているかもしれない。

教授は、教授になるような人だから、昔から学のある人生を歩んできただろう。
なら山奥のひっそりとした修道院で神と対話しつつ霊的瞑想や読書にふけり、というのはさもありなんと言える気がした。

「あなたはどうですか。観想ですか、活動ですか」
「活動かな、と思っています」
「理由は?」
「何となく、社会から離れすぎてしまうと、本来の目的からはずれるイメージがあって」

そこで、教授が、ふんと鼻を鳴らした。
嫌味ではない。が、ちょっとした反論のサインであることは、だいたい察した。
案の定、教授はわずかに姿勢をただしていた。スコーンにも紅茶にもふれていない。

「修道制度の意義と、あなた個人のやりたいこととを、混同させてはいけませんよ」

私はあわててティーカップを置き、背筋を伸ばした。

「あなたのやりたいことのために修道制を利用するのはいただけない話です。修道制の原則は?」
「清貧、従順、貞潔です」
「よろしい。だが、恐らくあなたはまだ従順を理解していないと思いますね」
「はい」
「まあ、あなたのような人がそういう枠にはまれるとも、私は思っていませんが」

でも、女子修道制の現実については私も知る機会が少ないので、今後の報告が楽しみでもありますね。

教授がふいに頬をほころばせ、ところで紅茶のおかわりはいかがですか、と話題に区切りをつけた。
ありがとうございます、いただきます。
そう答えてから、だというのに、私はつい、言い募ってしまっていた。

「あの、私、ひとの役に立とうとか、そういう考えはないんです」

灰色の眉がぴょんと跳ねた。
紅茶をそそぐ合間にも湯気はふんわりと立ちのぼり、あたりに良い香りを漂わせる。

「もちろん、修道者なら人ではなく神のためですからね」
「でも、あの、何ていうか、私は」

しばらく言いよどんだ。
学生時代の私はどちらかというとてきぱきと話す方で、あまり会話でためらいを表すことはなかった。
隙を見せたくない、そんな無意識の警戒心のせいでもあったと思う。

「私は、自分のために、自分の人生を捧げてしまいたいんです」

教授の眉はもうぴくりともしなかった。
しばらく黙ってから教授はティーポットを置き、恐らくこれまた奥様お手製のコゼーをかぶせて、再びスコーンを手にした。

ブラインドから入ってくる光が鈍かったので、くもった日か、今ごろの季節のことだったかもしれない。





世のため、人のために、生きなさい。

それが両親の教えだった。
大なり小なり何かを選ぶとき、必ず、それがちゃんと世のため、人のためになっているか、考えるようしつけられていた。

言っていることは間違いではない。
むしろ正論だと思う。
思うのだけれど、どこか納得できなかった。

中学三年、進路について考える時期、いろいろ事情があってほとんど両親と話す機会を持てずにいたが、一度だけ、父の要望を耳にしたことがある。

「看護師になってほしい」

理由は、世のため、人のためになる職業だから。

そのころ父は電機店をたたみ、長年の顧客の方かたご紹介いただいた大学病院で技師として働きはじめたばかりだった。
思えばちょうど今の私と同じ年ごろ。
四十三歳にして初のサラリーマン生活である。
自営業をやめた理由は色々あったようだが、バブル崩壊直前の景気の良さにまじる危うさをレミング並みに察したのが大きかったらしい。

病院で働いていれば、自然と、医者や看護師の方々の仕事を目の当たりにする日常。
そして改めて、世のため、人のために生きることは素晴らしい、そう思ったようだった。

それは本当に、まったく間違っていない感情で、それどころか素直で、まっとうですらある。

でもなあ。
私は自分の部屋に戻ってから、つくづく思った。
お父さん、私の成績のことなんか、何も知らないんだろうなあ。

私はその時点でどこまでも文系だった。
看護師となると当然、理系なわけで。私の壊滅的な理系の成績では、正直なところ、どうしようもない。
それでも自分のやりたいことなら、私は努力をしただろう。

でも、何かなあ。
特に目標もなければ、高校なんて、ある意味、遊ぶところじゃないかなあ。
遊ぶというか、好きなことをやるというか。

少なくとも、世のため、人のために、進路を決めるつもりはない。

もちろん、高校時代から看護師を目指す人だってたくさんいる。それを両立できる学校があるのも知っている。
でも順番が逆ではないか。
看護師になりたいからそういう学校を目指すのであって、世のため、人のために看護師になろうと、そういう目的をもって学校を探して選んで、というのを私にやれと言われてもなあ。

「私のため」というのは、許されないのかな。

ようやくそこで気づいた。
幼いころから、世のため、人のため、と言われつづけて、すっかり見落としていた。

「自分のため」

これを先に満たさないと、世のため、人のため、にすらなれないのではないだろうか。
そんな埒のあかないことを考えているうちに、うっかり専門学校に入学していた。





八月に通っていた、障害者就労移行支援事業所。
ここでも「社会貢献」というワードはしょっちゅう耳にした。
訓練の一貫として、自分の将来を図解化する、というのがあって(恐らく心理学的な何かに基づいた方法論なのだと思う)、完成させた人の発表などを聞いていると、

「社会貢献するために就職し、でもそれだけでは自分勝手だから、ボランティア活動をして世の中のために尽くしたい」

こういった内容がほとんどだった。
私は何というか、ううん、となってしまった。

もちろん、悪いことではない。
社会貢献もボランティア活動も。むしろ良いことだろう。

でも就職や仕事は、私にとっては私が食べて生きていくために必要なことだ。

つまり、私のため。

ボランティア活動は今、私が実際にしていることだが、あれも世のため、人のためというよりは、時間がありあまっていて、家にじっとしているのが性分に合わなくて、でも休養期間と決めたから仕事を探す時期ではなくて、いざ仕事を始めたらボランティアってなかなかできないことなんだよね、と実感しているからやっている。

要するに、私のため。

何かなあ。
仕事もボランティアもきれいごとじゃないんだよなあ。

特にボランティアは勘違いされがちだけど、「無償で誰かを助ける」ことじゃないのは、もうとっくに理解が浸透していると思っていた。「有償ボランティア」についてどう説明する気なんだろう。

私が時間つぶしにボランティアを選んだ理由は、過去に経験があったからだが、じゃあ当時、何故ボランティア活動をしたのかというと、ただ単に教会の行事のひとつだったからだ。
それだって別に誰かに、やれ、と強制されたわけではない。いっそ、洗礼を受けたばかりで、教会組織になじむためにやっていた面もある。
何にせよ私の意志でしかなかった。
だってボランティアって「志願すること」だもの。
車椅子の扱い方とか、重度障害者の方との関わりとか、知らないことがたくさんあるから、それに接する良い機会だと思ってやっていただけである。

どこまでも、私のため。

大学時代、そうやってボランティア活動や、いろいろな場で何かしら手伝うこともあったけど、どれも私のため。

それが結果的に、人から見て、世のため、人のためみたいになってるなら、まあそれでも良いかな、ぐらいの考え。





でも修道女になるというのは、日本ではかなり特殊なことだというのもわかる。
そういうものになろうという人は、世のため、人のため、そんな意識がありそうだなと思われるのも、わかる。

教会側はちゃんと、神のためだと教えてくれている。

教会と関わりのない人がシスターや神父や牧師さんを見て、どう思うか。私は特に興味がない。

私は、私のために、私の人生を修道女という生き方に費やしたかった。

それはきっと、世のため、人のため、というあの教えの一見した正しさと、実際に親のしていることとの矛盾を解決しようとして、極端に力んでしまった、と言えるのかもしれない。

あとは、自分は本当に何もできない人間だなと思っていたから、普通にしていたらまったく何にもなれないだろうと予感し、人生を捧げるというかたちで俗世のもちものをすべて捨てて、修道女としての一生を送りたい、そんな考えも確かにあった。

でも、それから数年ほど、仕事をしつつ修道院に通ったりしているうちに、修道女には修道女なりのスキルや適性が必要だと痛いほど理解した。

そして最終的には、ある修道院のシスターに、はっきりと、

「あなたは向いていない」

と、いわば不採用の判決を頂いた。

「だってあなたは、いろいろなことができる人だし、社会や自分のために活かせる力がある。俗世でも神のためにできることはいっぱいあるのだから、そちらの方が向いていると思う」

がっかりしながらも、シスターのその一言で、そうなのか、私ってまだ私のためにやれることがあるのか、と冷静に驚き、喜びもした。

神のためにできること。

それはシンプルに私のためのことだな、と、もう、わかるようにもなっていた。





「ボランティアする奴なんて偽善だよ」

今年の三月。
社会復帰の足がかりとして働いていたコンビニの事務室で、オーナーがききっぱりと断罪した。発注作業でパソコンをいじりながら。

「あんなの自己満足じゃん。そんな時間あったら俺ならゲームしてるわ」

それもそうですねえ、と笑いながら私は制服をロッカーにしまった。
でもそのオーナーは、私が、

「こういう事情で長く外で働けなかったけど社会でちゃんと仕事ができるようになりたい」

と、いきなりかけた電話にちゃんと対応してくれて、

「がんばろうとしてる人の手助けぐらい、したいからさ」

と雇ってくれた人でもある。

その後いろいろあってそこでの仕事は続けられなくなったものの、私は今でも感謝すべきところにはしっかり感謝している。

世のため、人のため、っていうのは、ああいうことなんじゃないかとさえ思う。





ボランティアは自己満足。
そのことばを思い出して傷ついたり、不快になることもない。事実だと思うから。
私は私が満足するためにボランティア活動をしている。

カウンセラーさんに、最近どうしてますか、と聞かれて、ボランティアしてます、と答えたら、

「それは良いね。何かしてる気になれるの、大事ですよ。予定を立てて、自分の意志で外と関わる習慣を保つ工夫になってますし。それで何か結果的に誰かがちょっと助けてもらったなって思ってくれてるなら、あなたが抱えている『自分は無意味』みたいな感情もやわらぐでしょうし。休養期間に対する罪悪感を軽減してくれそうだし」

つまりは、そういうことだと思う。





世のため、人のため。
自分のため。
神のため。

どれも悪いことじゃないし、優劣もない。
でも押しつけることでもない。

人に要求するまえに自分がやることだろう。やれる範囲で。

それをしないのなら、そもそも他人に求めることじゃない。
ことばの上の美しさに惑わされてはいけない。





世のため、人のため。

そうくりかえしてきた父は、毎年ユニセフや何らかの団体に何万円も寄付をしている。

でも同じ家で二十年ひきこもっている兄のために何か行動を起こしたことは、私の知る限り、一度もない。

だからといって父の慈善行為をないがしろにする気もないが、あっちに寄付した、こっちに寄付した、世のため、人のために。
そう聞くたび、何だか、貧しいなあと思ってしまうのも事実だ。

兄も私も、世の一部だし、人なんだよ。

あなたの目の前にいるんだよ。
助けを必要としているんだよ。

ちゃんとそう言ってるのに、何故、聞かないふりをするのだろう。





数年前、薬疹で思いがけず三ヶ月ほど入院したことがあった。
ステロイドの二十四時間点滴を一週間ほど続けたら免疫力がゼロになり、実質、隔離状態だった。
ちょっとしたことで感染し結核や骨髄炎の危険性があるから、院内の行動も制限されていた。

本来ならもう数ヶ月、安全で清潔な院内に留まる必要があるけど、必要最低限以外は家にいて、外出時は必ずマスクをして、こまめに両手をアルコール消毒をしてくれれば。

まるでコロナ禍の予行演習のような医師の指示で、ようやく退院できたとき。
父から、どうせ暇なんだからやりなさいと渡されたのは、ボランティア活動の情報誌だった。

でも、医師がああ言ってるから、今はこういうことはできない。

医師は父にも詳しく説明してくれたはずだ。
無理をさせてはいけないと。
今は普通の生活すらぎりぎり許容範囲で、人ごみなどは下手をしたら命とりなのだと。

でも父は言った。

世のため、人のため。

医師への、看護師への、事務員への、病院の食事を作ってくれる調理師への、清掃してくれてる業者の方への、ご恩がえしのため。

やりなさい。

私は私のために、医師の言いつけを守ります。
ボランティア活動は、今は私はすべきではない。
世のため、人のためなら、お父さんがしたらいい。

退院直後の三時間の口論の末、父がドアを叩きつけて出ていった後、床にぽつんと残された冊子を拾って、私は読みもせずゴミ箱に捨てた。

通常の生活をしていて、死亡率、十パーセント。

世のため、人のため。

そのために残りの九十パーセントを賭けるつもりなんて、私には、到底ありっこなかったから。






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