見出し画像

実務の話③~認知症の人と会おう~

皆さん、こんにちは!
クラスマネジャーの三村です。

遅くなりましたが、新年、明けましておめでとうございます♪
新年最初は勉強方法についての記事の方がいいのかな!?とは思ったのですが、すみません…実務についてです。

【1】認知症って何?

ところで、みなさんのまわりに認知症の方はいらっしゃいますか?
もしかしたら、この記事を読んでくれている方の中にも、親が認知症で介護しながら勉強しているという方もいらっしゃるかもしれませんね。
後見人として仕事をしていると認知症の方と出会う事が多いというお話は以前しましたが、みなさんは認知症(もしくは認知症の人)にどんなイメージを持っているでしょうか?

夜間徘徊してしまう困った人?
だんだんと何も出来なくなってしまう怖い病気?
家族の名前や記憶すら忘れてしまう可哀想な人?

私が初めて後見人として出会った方は、全盲で路上生活を送っていた方でした。
長年、生活を共にしてきた友人がいたのですが、その方に虐待を受け、通報が入り、後見人として就任した事案でした。
もちろん認知症を患っていたのですが、「全盲」「路上生活」「虐待」と聞き、一体どんな人なんだろう?と妄想が膨らみます。

生きる事の厳しさが骨身に沁みている強面の人?
もしかしたら人を信じられなくなって、きつく当たってくるかもしれない…
などなど

けど、会ってみると会話のキャッチボールもできるし、ジョークも言って笑わせてくれる、何よりも天使のように笑顔が素敵な方。
今まで苦しい人生を歩んできただろうに、なんでそんなに優しい顔をしていられるんだろうと不思議に思わずにはいられなかったです。

一方で、同じ認知症でもほとんど反応を示さない方も当然います。
認知症と一口に言っても、個人差がとても大きいという印象がありますね。

【2】後見業務は今後も残り続ける仕事

被後見人ご本人と接する時、どんな時でも本人の方と同じ高さに視線を合わせ、言葉・こころをしっかりと届けていく、届いたことを確認していく必要があります。
認知症の人は「何もわからず、何も話せない人」では決してないし、何よりも後見人は本人のために存在していますからね。
優しい声掛けや手で触れてあげること(今はコロナで難しいですが…)が生命力を維持するためには欠かせません。

そもそも後見人は本人に認知症があろうとなかろうと、会話が成立しようとしまいと、一人の人間として敬意と知的好奇心をもって、積極的に話し掛け、(心の)対話をしていき、本人の人生に踏み込んでいかなければなりません。
たとえ本人にどんな病気があっても、若さを失っていっても、仕事がなくても、お金がなくても、孤独の中にいても、大切な人であることに変わりはないですから。

そしてご本人はもちろん、親族や行政・福祉関係者の方々と信頼関係を築くことに尽力します。
様々な方達との関わりの中でご本人が大切にしている価値観を探り出し、どのように過ごされるのがご本人の意思に最も近いのか、真剣に考え、支援していく必要があります。
時には親族の利害と本人の利害がぶつかったりする難しい局面では、対応を一歩間違えれば苦情が発生しますし、親族との関係が悪化してしまった最悪の場合、辞任しなければ事態が打開できないこともあります。

「後見人の仕事は本人の人生に巻き込まれること。覚悟を持って飛び込んでください。」
これは私が研修を受けていた時に支部長がおっしゃっていた、今も強く心に残っている言葉です。
ご本人の人生の伴走者として、想いを受け継いでいく・・・AIでは決して代替できない部分でしょう。

私たちが生きている社会には働きたくても働けない人もいるし、一人暮らしが難しい人もいます。
障害や病気ではなくとも、災害や解雇、ちょっとした人間関係のトラブルやつまずきで生活が立ち行かなくなることもあるでしょう。
さらに自分で「自立している」と信じていても、家族や会社、恵まれた環境、親が残してくれた遺産など、なんらかのものに支えられていて、なにかを失った途端に人生につまずいてしまう可能性は誰にでもあります。

私も入門講座受講期間も含めれば、受験生活を12年間も送ってきたため、いつか社会の底辺に落ちてしまうかもしれないという恐怖感が常にありました。
だから、被後見人の方を含め、苦しんでいる人・困っている人を見ると自分自身を見ているようで、他人事とは思えない感覚に陥ります。

人は赤ちゃんとして生まれた時、両親や周りの温かい手で世話をしてもらわないと、すぐに消えてしまうほどの弱さを持って生まれてきます。
つまり、弱さは否定するものではなく、全ての人に備わっている根源的なもの。
人間は人間の手で世話をされ、助け、助けられながら、やっと生きられるように作られている。
そして、不安定で、脆くて、無力なものとして生まれ落ち、育てられ、いつかまた無力な存在に還って消えていくことが、自然の営みのように見えます。
今は健康な人も、70歳、80歳、90歳と歳を重ねていけば、また人の手を借りないと生きていけなくなります。
誰もがいつかそうなるなら、みんな同じ仲間だし、お互い様ですよね♪

【3】司法書士の社会的責任・使命

100歳まで生きれば、ほとんどの人が認知症になります。
長生きの先に、みじめで悲しい晩年は必要ないはずです。
笑いながら、ゆっくりと坂を下りていけるようにしたい。
認知症を恥ずかしがることなく、恐れることなく生きられる社会になって欲しい。

そのために、この記事を読んでいるあなたにお願いがあります。
合格後、後見人として仕事をするようになったら、積極的に見つけてみて下さい。
老いていくことの豊かさ、不思議さ。
衰えていくことの面白さ。
認知症のある人の世界の美しさ、自由さ、新しい価値観を。
そしてそれを多くの人に伝えていって欲しいなと思います。

それは後見人としての職責、司法書士の社会的責任・使命の1つでもあるとも言えます。

認知症の方と触れ合い、対話し、そこで見つけたその人の魅力や素晴らしさを語って欲しい。
と同時に、私たち司法書士がいるから安心して欲しいという事も本人や社会に向けてぜひ発信していって下さい。

あなたの親も親戚も、そしていつかあなた自身も認知機能が衰えていくでしょう。
そのとき、「ちょっと不便だけど、これはこれでいいよ」と笑顔で思えたら、今ある認知症問題の多くは解決していくんじゃないかなと思います。

【4】最後に

団塊の世代が全て後期高齢者になると言われるのが2025年。
これからますます後見のニーズは高まり、大変な時期を迎えるでしょう。
果たして大丈夫なんでしょうか?

実は私はそこまで心配はしていません。

それは伊藤塾で勉強しているみんながいるから。

『希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。
これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ』(魯迅 故郷より)

あなたがいるからきっと大丈夫。
一緒に仕事をして、大きな道を作っていきましょうね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?