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子どもが不登校だからって子育て失敗ではない。


「子育て失敗した。」
この言葉
わたしが
不登校になった時に
母が言っていた言葉だ。

わたしがその時感じたこと。
そんなことない
そんなこと言うなよ!
学校は
行かないけど
人の道を外れたことはなかったし
『誰かのためになるために
生まれてきたんだよ』
って言った母のおかげで
この経験を糧にて
将来何かの役に立ちたいって
と強く思っていた。
だけど…
その時は何も言えなかった。

だって学校にも行けてないのに
なんの実績もないのに。
でもなぜか
自分の中では
自信があった。
わけわからない自信。

それから
社会に出た後に

私は母に言った。
「失敗なんかしてない
失敗ではないよ
こんなに立派に育ってるじゃない!」

高校も短大も現役ではなかったし
短大は夜間だったけど
そのおかげで先にパートで保育職に
なってから短大の保育の勉強を学べた。
これが何も知らずに
学ぶより遥かに
実体験との照らし合わせができ
より深く考え学ぶことができた。

自分のやってきたことを悔いたことはない。

不登校です!
とは大見え切っては言えないけど、
ほんと一度も後悔したことないのだ。

だからこそ。

今息子の不登校を
無理矢理には行かせたくない。

どう乗り越えられるか

息子と話し合いながら
確認しあいながら
していた。
週一で
行けなくなってから3ヶ月経って
今週はもう
「行きたくない。もう行かない。」

週一で行きたくなかった時は
次の日には行くと言っていた息子。
もうそんな気持ちにもなれなくなっていた。

難聴がある息子にとって
学校の集団の中では
全く話がわからない場になっていた。

この事は
リコさんの記事を拝見してまさしくこれだ!と思えた。
リコさんの記事とってもいいので
こちらをみてください。


まさしくこれだ!
リコさんもおっしゃる通り
まさに外国なのだ。
外国にいるように言葉がわからない。
そんな中にいたら
誰だって嫌になるし消極的にもなる。
外国にいたら
その土地の言語を学べばいい
でも難聴の聞こえないって
頑張りではどうしようもない。


甘くみていたのかもしれない。
そう思った。
私は難聴の大変さを
甘くみていたのかもしれない。

生まれた時から
難聴児で
片耳全く聞こえない。
聞こえる方も高音が聞き取りにくいため
補聴器を使っている。

そんな息子を
育ててきた。

保育園にも2歳の時から通って
集団に入れてきた。

4歳児、5歳児となるにつれ
友だち付き合いで
すれ違いが生まれてきていた。
だけど
楽しく通っていると思っていたし
仲のいい友だちもいた。

だけども小学校に入って集団の中
もっと子ども同士の
すれ違いも多くなってきたり
学習する上で困難なことも多くなってきたんだろうと思う。

天真爛漫な息子
私たちにはめちゃくちゃ話しておしゃべりなのだ。
だけど
学校では
むしろ静か。
鳴りを顰めている。

話したいけど
話せない。
怖い。

そんな思いを抱えての
学校生活は
苦しかったと思った。

もっと私にできることがあったのか?
どんな事が可能だったかとか
考え出すと
もう
何がよかったかなんて分からない。

もう
言えるのは一つ。
この子のために

これから何ができるのか。

それだけだ。

私が思った
"子育て失敗だ"なんて
思わない。思わせない。
そんな気持ちで今後
このこと接して行きたい。

そう思った。

こう息子にも話をした。

私の母のように
「誰かのために
何かを果たすために
あなたは生まれてきたんだよ。」

「だから辛いかもしれないけど
この経験を
したからこそ
何かができる人になる。
同じことで苦しんでいる人に
話ができるんだよ」

今はわからないかもしれないけど
いつかわかってもらったら
生きてる価値は
誰だってある。
こんな
普通の人ができない経験
これは本当に
価値があることだと

私は思っている…


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