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とびっきり愛らしい、北欧の映画『オンネリとアンネリのおうち』を観て、思ったこと

少し前のこと。
ずっと、観たいなぁ…と気になっていた映画を、観ることができました。

フィンランドの作品『オンネリとアンネリのおうち』です。

とある経緯でふたりだけの「家」を手に入れた少女たちと、そのふたりを取り巻く周囲の大人たちの様子を描いたファンタジー作品。

この映画が本当に、とびきり素敵だったので、映画を観て思ったこと、考えたことを書きたいと思います。

《映画 オンネリとアンネリ 予告編動画》

※映画の感想を書く記事ですので、以下の記事には、映画の展開や内容に関する記述もあります。
未視聴の方はご注意ください。


絵本のようにとびきり可愛い世界観

ふたりの女の子、オンネリとアンネリは、それぞれの家の事情で家庭内での存在感が希薄な少女たちです。
(なんと、数日いなくなっても家族が気づかないくらい!)

家の中にはなんとなく居場所がなくて、ふたりだけで楽しく遊べる場所もすぐには思いつかない――。

そんなふたりが「私たちだけのお家があったらいいのに」と話していた直後、とある出来事が起き、突然ふたりの手には大金が舞い込んできます。

ふたりは不思議な婦人から、可愛らしい家を買うことになり、そこで暮らし始めます。

その家は、まるで誂えたかのように、オンネリとアンネリにぴったりの、可愛らしいお家。

クローゼットいっぱいの、とびきりキュートなお洋服。
アクセサリーに、手袋などの小物たち。
(もちろん、ふたりぶんのおそろいのドレスもたくさん!)

かわいい小鳥に、夢みたいに素敵な家具たち。

天蓋付きのベッドに、ドールハウスに、お人形。

甘いお菓子に、キュートなキッチン。

”かわいいもの”が好きな子たちが夢みる世界を、そのまま形にしたような家のなか。

その空間で、ウキウキしながら大好きな友達とふたりだけの時間を過ごすオンネリとアンネリは、とっても微笑ましい。

ニコニコと笑っていて、その笑顔が、本当にきらきらしてるんです。

ちょっと不思議なご近所さんとのお付き合いも、楽しくて、おもしろい。

お隣さんのお庭には不思議な植物(?)がたくさんあって、魔法と現実が混ざりったような世界観。

映し出されるどの場面も、本当に可愛らしくてわくわくします!


誰かが咎められるわけじゃない、やさしい世界

「こどもふたりだけで暮らすなんて!
そんなの…《危険》、《心配》、
あるいは、《できるわけない》」

オンネリのアンネリのまわりには、こんなことを言ってくる人はひとりもいません。(少なくとも、この映画のなかでは)

オンネリとアンネリが家を持ったこと、家主としてふるまうことを、ご近所さんも咎めたりせず、他の隣人と相対するのと同じように、接します。

同時に、オンネリとアンネリがいつの間にか自宅からいなくなっていたことに気づかなかった彼女たちの親が、誰かに責められることもありません。

(その家庭環境が良いかどうかを判ずるのとは、別のこととして)家族から関心を払われないこと、それをさみしいと思っている子供が今、たしかに「いる」ということ。
その事実からこの映画は、目をそらさないようにしているように、私は感じました。
その子達が、居心地良く過ごせる場所、心から笑顔になれる場所がどこかにあって、それをまわりの大人たちがやさしく見守れるような場所が、あったらいいよね――と、そんな願いを物語の形で観たような気がします。

「そんな環境は良くない」
「子供だけなんて危険だ」
「親は何をしてるんだ」――そんな言葉を外野が投げかけ、咎めるのは簡単です。
でもそれだけでは、今「さみしい」とか「居場所がない」という気持ちをかかえている子の心に寄り添ったことは、きっとできない。

家庭の事情はそれぞれで、親が子供のことより優先したいことがあったり、忙しくて目が届かなくなってしまうことだって、起こりうる。
体力も、体調も、環境も違う、それぞれの家庭のなかで起こることを「家庭でどうにかするべき」だと咎めるだけでは、何かを解決する力にはならない。

それよりも。

子供が、どこか安心できる場所、楽しい場所、「大好きだと思える」場所を見つけられること。
その場所で、自分なりの過ごし方をしていこうとするその子を、まわりの大人が、見守りながら、認めていくこと。

――そういうことの方が、よっぽど大事なのかもしれない。

そんなことを、終始ニコニコと笑っているオンネリとアンネリの、本当に素敵な笑顔を観ながら考えました。

ニコニコしていて、きらきらしていて。
楽しげな笑い声が胸に残って、観ているこちらも、幸せな気持ちになるような笑顔。

その笑顔を見守る、大人たちのやさしいまなざし。

それは――子供だからと、何もできないと見くびって、彼女たちの行動を制限したり、心に抱える「さみしさ」のかたちを、決めつけようとするのではなくて……まず何よりも、彼女たちには「日々を楽しんで生きる力があること」を、周りの大人達が、”信じている”からこそ持てるもののように感じられました。

この映画はファンタジーだけれど、世界がこんなふうに優しくあったらいいなと、思える光景でした。


社会と個人は、どんなふうに関われるだろう?

この映画では、楽しい夢の世界のような場面とともに、ほんの少し、社会の薄暗さや痛みを感じる部分も描かれています。

物語の後半で近所の家に泥棒が入るという、センセーショナルな事件が起こります。

犯人は、オンネリとアンネリとも交流があった、とある人物でした。

映画の冒頭から、その人物が仕事とお金のこと、家族とのこととで日々心を追い詰められていっている様子が、ところどころに描かれます。

結局盗みを犯し、拘置所に捕まったその人に、オンネリとアンネリがとある提案をします。
「あなたの仕事を手伝うわ」と。

その仕事を手伝うのは、オンネリとアンネリだけではありません。
彼女たちの「友達」――泥棒に、直接の被害を受けたご近所さんも。
みんなが協力して、手助けするのです。

ご近所さんの不思議な力も借りながら、みんなで新しい商品を作り出そうとしているシーンを観ていて、私は、涙がこみ上げてきて止まりませんでした。

そのシーンでは、盗みを犯してしまった人が抱えていた家族の問題も(全てではないかもしれないけれど)、解決に向かっていると思える、描かれ方がされています。

罪を犯すことは、もちろん、いけないことです。

だけど、その罪を犯した本人を捕まえたら、罰したら、問題はそこで終わるのでしょうか?

その背景にある悩みや、問題を解決しないと、結局その人は苦しいまま。
また同じこと、あるいはもっとひどいことが、起きるかもしれない。

「どうすれば、辛くなったり、ひとりきりで問題を抱こんでしまったりせずにいられるのか」を、まわりが一緒に考えてあげることができたなら。
どんなに助けられるでしょう。

道を誤ってしまったとき、あるいは自分ひとりではどうにもできない問題を抱えてしまったとき、どうしたら、その人自身が「喜びや楽しみを感じながら生きていけるようになるか」を考えながら、社会に戻してあげること

それはとても、大切なことのように思えます。

この映画はもちろん、ファンタジーです。
現実には、そうしようとしてもうまくいかないこともあるでしょう。

でも、それでも。

そんなふうに、社会が個人を受け止めてくれる世界になっていったなら。
そういう考えが広がっていったなら。

それはとても優しくて、あたたかい世界だと、私は思いました。

願わくば、そんな世界に、少しでも社会の形が近づいていってくれたらと思うのです。

夢と願いに満ちている、やさしい映画

キラッキラとまぶしい笑顔で過ごす、ふたりの女の子。

そして、とてもチャーミングな大人たち。

人と人の出会いと、関わりが織りなしてゆく、やさしい物語。

これは、それぞれの”居場所”の話でもあるように、思いました。

人が、社会のなかで、家族のなかで、あるいは友人や好きな人との間で。
どんな居場所をつくれるか。
そんな問いに対して、魔法やファンタジーの力を借りながら、「どうか世界が、社会が、こんなふうにやさしいかたちでありますように」という願いが描かれているように思えて、とても胸を打たれました。

観終えてからもしばらく、明るい笑い声と、まぶしい笑顔の余韻が、淡くやさしい光のように、胸に残って。
しあわせな気持ちになれる、映画でした。

可愛くって、とびっきりキュート。
そして、夢と願いに満ちている、本当に素敵な作品でした。

観ることができてよかったです。

どうか、たくさんの人に、この映画を観てほしいと思います。

私は、とっても好きな作品でした!


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