![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144839582/rectangle_large_type_2_344a1eec849732390a3278000afe8a1e.png?width=1200)
生きづらさを愛と光へ!NO.37 娘が生まれたことで学んだことは大きいと思うのは、夫も同じだった。
先日、次男の入籍前の両家顔合わせに、彼女さんの実家のある宮崎まで行って、その後、色々な意味で流れが変わった気がする。
と言っても何も変わっちゃいないと言えば変わっちゃいないが、気持ちがである。
少しづつ前に進んでいる。
これからの大きなイベントとしては、次男の入籍、その後のお盆と、その途中にも色々な行事云々あるにしても、一つの区切りとしては、お盆が大きい。
それまでにどうにかできることはやっていきたい。
まあ、娘が受験生ということも我が家ではとても大きい。
宮崎から帰ってきてからも、娘は何一つ変わらず、だけれど、ちゃんと期末テストは受けて、それなりの点数は採れたようである。
学校と、学校へ行けない日は車で10分ほどのところにある教室まで連れていき、また、迎えに行く。
私が娘のために今できる精一杯のことはしてあげたいと考えている。
高校の選択肢を増やすことができるように。
今年の夏休みが勝負である。
学校に行けない日に、違う教室に行くことにより、そちらの先生が、いや、そちらの先生も大変よく、娘のことも考えてくださり、進路のことも、毎回のように話して下さるし、色々調べても下さる、本当に良い先生でありがたい事だと思う。
娘の上に26歳と24歳の兄が2人いるが、2人の時に進路のことでここまで心配したかと考えた時、違うことを心配はしたかもしれないが、娘と息子の時は心配のしどころが違う。
息子2人は就職して、共に生活できている。
つい最近、夫はいつものように掃除機を調子よくかけていた。娘が学校から帰り、2階の自分の部屋にいつものように篭って、YouTubeなのか、 Instagramなのか、TikTokなのかはわからないが、いつも通りの、かなり大きめの笑い声が聴こえた。
それもいつも通りの光景であるし、夫は家の中でだまってゆっくりしていることもあまりなく、晩酌したり、テレビを見たりしている時は多少ゆっくりしていることもあるが、夫は休みの日は、家の周りの草刈りや、草を集め、片付けたり、家の中で掃除機をかけ始めたり、車を洗ったり、車の中を掃除したり、玄関の掃除をしてくれたり、道路の溝掃除をしたり、あまり黙っていることがない。
私が家事の一仕事を終え、ソファに座ったくらいの会話であったが、「しかし〇〇(娘)から、俺たちも学ばされてるしな 2人の時にはわからんやったことを今教えられてるな」
と言った。
おっと〜〜!!(夫ではない、シャレでもないが)
夫も、ちゃんと学んでいるではないか!
私も出来事の端々で、夫にも色んな話をする時もあるので、その話もちゃんと聞いてるのかなという発言だった。
娘が生まれなかったら、今頃私もバリバリ働いて、とかあるだろうけど、娘が生まれなかったらなかった出逢いばかりの今現在。
そう考えると、娘が生まれたことによって学ばされたことは数知れない。
1番学んだことは、2人の子育ては、個性というものをよく知らず、自分が子供の時に受けてきた子育てを、知らず知らずのうちにやっていたということである。
上の子は一度言うと理解したとしても、下の子が同じようにはいかないということである。
私の子ども時代、あの子ができて、自分ができないことはない、やればできる、と思ってやれ!と父親から言われて育ち、あれはダメこれもダメ、何もしなくて良いと、やりたいことは全て否定された。
知らず知らずのうちに、我が子にも同じようなことをやっていたのだろうと思う。
もちろん、反面教師にした部分も大きい。
しかし、娘が生まれたことで普通に子どもが当たり前に生まれることは、決して当たり前ではないってことを学ぶ。
人間(子ども)も、一人一人個性があって、この子が出来たとしても、他の子が出来ないこともあるということ。
そこで、長男と次男を比べながら育てたことに気付かされた。
娘は極低出生体重児で生まれたために、無事に生まれてこれただけでも、奇跡だったのに、そこを忘れてしまって、色々望んでしまったのだとも思うし、そんな中生まれてきたことで、過保護になり、皆んなで甘やかしてしまったこともあるなとも思う。
子育ては親育てとも言うし、娘が生まれてなかったら、次男に対しても否定の言葉をたくさんかけてしまったことや、態度をとったことに気づくことすらできなかったことだろうとも思う。
そこをカバーしてくれたのは紛れもなく義母なのである。
きっと、娘が生まれてなかったら、そこにも気付くこともできず、次男との仲もどうなっていたのかはわからないし、長男と次男の関係性だってわからない。
「みんな違ってみんないい」とはよく聞く言葉であるが、まだまだ、みんなが同じが良い…みんなと同じが安心するという人は少なくない。
アラフィフの私は、流石に、20代、30代ではわからなかったことがあったが、今は人生を歩んできて、若い時にわからなかったことも、人生の経験からわかるようになった。
きっと、息子や娘も歳と共に学んでいくことだと思う。
息子や娘を一生懸命育てたつもりでも、傷つけることもたくさんしてきたと思う。
「生涯学生」この言葉は、カウンセリングの先生にいただいた色紙のお言葉の一つだけれど、正しくそれだ!と思う。
日々学びであり、今ある環境がどれだけありがたい幸せなことか、感謝しながら過ごしていきたい。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?