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生きづらさを愛と光へ!NO.46 〜これから先の人生をもっと素直にそして、少しでも楽しく生きれたら〜

子どもの頃、田舎の山奥の一軒家に住んでいたので、現実の生活と、テレビで見る世界が全てだった。
それとちょっとしたラジオ。

田舎すぎて、昔で情報も少なかっただろうけど、映るテレビ番組が少ない上、家庭環境も良くなく、アニメや他のドラマや、見る番組も限られていた。

ちなみに、ヤッターマンやドラえもん、親が何も言わずに見せてくれたのはサザエさんのみだった。

最もよく見ていたのはNHKの、大草原の小さな家。
それは、父親の推しであった。
長女の姉もだったのかもしれない。

勿論、時代的なものがあったとしても、都会では色んな観光地や美味しいものも、私たち家族が知らないだけで、世の中には色々あったに違いない。
それは後のテレビ番組などで知ることになる。

自分の子どもの頃は、日本全体や、世界、地球のことなど、関係ないと思うぐらい、疎かった。
それだけ家庭環境からして、狭い世界の中でしか生きていなかったのだろう。

唯一、父の妹夫婦が、中国や、どこかの外国へ旅行に行っていたのは知っていたし、今はニュージーランドに別荘を持っていて、日本の桜の咲く頃日本に帰って来てることも知っている。

だけれど、ここ数年連絡は全く途絶えているので、もしかしたら、日本だけにいるのかもしれない。
叔母、叔父も良い歳になっただろうから。

子どもの頃、父親に失礼ながら、どうして兄妹でここまで生活が違うの?
と、叔母、叔父のことをとても羨ましく思う部分もあったが、一度、祖母と一緒にその叔母と叔父の家に泊まりに行ったことがあった。

とても居心地が悪かったことは今でも記憶に残っている。
家庭環境の差と、妙に納得した。

私たち夫婦が結婚した頃は、叔母と叔父からの絵葉書が届いていたが、うちの子どもたちの成長と、この時代の流れや自分たちの生活の変化から、ここ数年、年賀状という文化を、考えざるを得なくなり、連絡が途絶えた。

来年の年賀状あたりは、特にかなり考えるのだと思う。

歴史上のことをあれだけ信じなかった若い頃だが、アラフィフとなった今は、自分がこの時代を生きていて、生かされているということが、実によく分かるようになった。

明日があるさ!と思うのは、今まで無事に生きてこれた経験から思う事でもあるが、当たり前のように、そうではないことは重々わかったアラフィフの自分。

そうそう、今の時代って、ネットで検索すれば殆どのものは何でも出てくるし、実際に行かなくても、遠い場所にあるお店の物も買えたりするし、色々なものが見れたりもある。

自分が学生だとして、他の同年代の人を見るとするならば、テレビでとかなら分かる。
昔はそれだけだったが、今ではSNS上で情報が溢れかえっている。

実際には会わない人とも、姿もネット上で見たり声まで聴けたりするのだから、他の人とも自然と比べてしまうこともある。

うちの娘は、Nintendo Switchのゲームに始まり、YouTube、TikTok、Instagram、Xも?やってるのかは知らないが、かなりやっている。
他にもあるみたいである。

ある意味で物知りでもあるが、娘の見ている世界も広いようで、灯台下暗しのところもある。

アラフィフの私は、最近、娘の勧めでInstagramと TikTokもやっている、いや、正直見るだけだけれど、これがまた、今の時代に乗ってないと思ってしまう。

中学、高校、20代まで、あるアイドルを好きだったのだけれど、今はママになり、娘さん2人育てあげているし、テレビにも時々出ている。

その当時、私もイベントや、ディスコ、ミュージカルなどにも行き、ブティックができた時にはそのお店まで行き、買い物をして、そのアイドルの方と写真を撮ってもらったこともあった。
もちろん、ファンクラブに入っていた過去。

ファンクラブに送った文章が会報誌に載ったこともあった。
今思うと、文章を書くことは元々好きだったのだと思う。

ブティックのそう広くない店内で、そのアイドルの方に、足を踏まれて、「あ、ごめんなさ〜い」と言われて嬉しかったのも良い思い出であり、Instagramでフォローしているのだけれど、♡を押すのがやっとである。

と言うのも、お金のない時代に、一旦身を引いた。
自分の意思で封印したのだ。

しかし、画面上で応援していたのは事実で、テレビで見るのもやっぱり好きで、応援している。

ちなみに女性であるが、とても素敵な、うちの夫と、同じ歳の女性です。

今の時代、普通に見れてしまう。
それが良いのか悪いのか、娘からしたら、不思議のようであるが、私はあんまり見ないようにしている。

いや、それって素直じゃないのかなとも思うが、私は、好きで憧れの方(人)は、いつまでも憧れの存在でいて欲しいと思う。

Instagramで見ようと思えば、読もうと思えばマジマジと見れるのだが、憧れの人は、いつまでも少し離れたところで、憧れの存在でいて欲しいと思うのである。

それ、わかる〜と思ってくださる人がいたら、それはとても嬉しい。

私の憧れの人は、2人いるが、2人とも下の名前が同じという、人生の偶然。

色々な意味での憧れ。

しかし、それを言うと娘は不思議がる。

そんなに見れないんだってば。
と思いつつ、しかし、時代的には見れる、身近に感じられる、いやいや、遠くから、そっと見ている方が、色々な意味で幸せなんだってば。


誰か、その気持ちわかる方いらっしゃったら嬉しいです。

その反面、これからの人生でもっと素直に少しでも楽しく生きれたらと思うのです。
自分の思うままに〜



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^






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