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生きづらさと共に!NO.95 13歳の娘は、まだ自分の殻から弾け出ることは難しいんだろうな。

中学一年生で吃音の症状がある娘は、続けて2日学校を休んだ。
今の一年生は、娘から話を聞いただけでも、小さい町の中学校ではあるが、よく、〇〇ちゃんが、〇〇くんが休んでいたという話を聞く。

私自身も、あまり学校は好きではなかったが、それ以上に家も好きではなかったので、我慢して学校にも、ほとんど休まずに行った。

しかし、今の時代はそうではない。
我慢して精神おかしくなるまで学校に行く必要はないと思っている。

娘はまだ、学校に行きたくないと言えるだけ、私の子どもの頃よりマシだと思う。
私は、色々な学びの中、今見ている景色だけが全てではないってことも今ならよく分かる。

結局、娘がどうしたいのか、今も最終的に決めているのは娘本人である。
学校へ行く行かないをいくら親子で議論したところで、結局のところ、本人の意思で決めている。

休むと、学校に電話をするのも慣れたといえば慣れたが、また電話しないといけないのかと思うと少しは苦になるものだ。

昨日は、2人の先生から電話をいただいた。
朝、休みますの電話をかけ、その直後に、国語の先生からの電話。
そして、担任の先生からは学校が終わる頃電話があった。

休んだことで先生方にも手間を取らせて申し訳なくも思う。
しかし、国語の先生も恐らく、自分の考えた吃音に対する配慮に問題があったと思っているようで、申し訳なさそうに謝りながら話されたので、私は、吃音に対する配慮を考えて下さり、どうにか、うちの娘に負担をかけないようにと考えてくださったことにお礼を言った。

クラスの子たちが、みんながみんなそうでないにしても、ちらほらそういう、『マジうざい』だとか、人を傷つける言葉を言ってたりする。
うちの子に限らずあるようだ。

聴こえたり、聴こえなかったりもあるだろうが、うちの娘も、一言、『ごめんね』と言えたら良いのかもしれないが、言葉に対する問題なので、それも難しいのかもしれない。
うちの娘も足りないところがあるのだとは思う。

担任の先生も、いつも熱心で、子どもたちのことをちゃんと考えて下さっているのも伝わる。
電話で先生と話した事を娘に伝え、どうにか今日は学校へ行った。

娘は、中学に行く前もそうだったが、高校に対してもこういうところに行きたいという思いはもう、膨らみかけているのである。

しかし、今の感じだと正直、難しくはないか?と考えつつ、毎日のように、グチグチ言う娘をどうにか学校へ行くように促しているのは、結局、親であり、家族である。

みんな、娘のことを思うからこそ、言ってくれる言葉であるが、まだ13歳になったばかりの娘は、自分の殻から元気に弾け出ることが難しいのだと思う。

私は、娘の気持ちは痛いほど解る。
なので、ペアトレの勉強会であったり、児童デイサービスであったり、病院であったり、私自身のカウンセリングであったり、ここ2年近く取り組んできた。

自分のことも、娘のことも、色々なことも、結局、否定してきたのだけれど、カウンセリングを50歳の時から受けてきて、嫌いだった自分も好きになった。
今、こんなふうにnoteを書きながら一つ頭に浮かんだ。

私はたった1人の先生に出逢い、たった1人の先生に自分のことを理解していただけただけで、考え方や捉え方が変わり、自分を受け容れ、過去を受け容れ、今を受け容れることができた。

娘も、月1などのペースではなく、娘に合う心理カウンセラーの先生を探せば良いのではないか?
そういう考え方が浮かんできた。

身内にも心理カウンセラーがいるが、身内の心理カウンセリングは基本できないので、娘に合うカウンセリングの先生をと思った。

何で今まで気づかなかったのだろう…

今思い浮かんだのも、noteで、ある方に出逢ったたからかもしれない。

少しだけ前に進みそうなそんな気がする。

人の出逢いって、そんなに大切なものだって、最近になって気づいた。
遅すぎた。

いや、今からでも全然遅くない。


(今日の相田みつをさんの名言)

『あんなにせわしてやったのに 「のに」がつくと ぐちが出る』


昨日の名言も、良かったので、そちらの方も。

(昨日の相田みつをさんの名言)

馴れ

馴れるな
馴れるな
一生馴れるな
馴れると
感動がなくなってしまう
感動がなくなったら
人生はおしまいだ

馴れほどこわいものはない
いつも初めて
いつも初心

何回同じことをやっても
今日が初めて
初めてだから
緊張で身体がふるえる
ふるえていいのだ
初心だからふるえるのが
あたりまえなのだ


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^



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