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【良い人そう選手権優勝者とのアツい夜】

良い人そうな人…良い人そうな…人…。

私はロータリーに並んでいるタクシーの窓の中をチラチラと覗き見し、ドライバー達の顔を物色していた。

この時、私が降り立ったこの州都は、犯罪が頻発する危険な場所だったと後に知る。

16歳、日本人、155センチ、大きなリュックとスーツケース。

ビッビーーー!!ビーーーーー!!!!

けたたましいクラクションが闇を裂き、そちらをハッと振り返ると、ニヤニヤ笑う白人のグループが叫びながら、窓から手を伸ばし何かのジェスチャーを私にしている。

『あなた…。』

今度は耳の後ろから声がして私はすぐさま振り向いた。
品の良さそうな白人の中年女性。

『だれも迎えに来ないの? 早く、ここから離れた方がいいわよ、危ないから。 …危ないから。』

アメリカ留学・ノンフィクション──16歳が降り立ったロードアイランド州

         ∇∇∇

今、自分が置かれているこの状況がじわりと分かって来た私は、一刻も早くタクシーを捕まえようとした。

しかし私は全財産をユサユサ引っ掛けて歩くティーネイジャー。
しかもここは深夜のアメリカ。 

ちゃんと人選しないと、ここで私の人生は幕を閉じることになる。
私は、慎重にドライバーの物色を始めた。

このドライバーは寝ているし…
このドライバーは電話中だし… 
このドライバーは…人相悪い……

そして、とうとう、私は“良い人そう”なドライバーを見つけ、駆け寄った。

特に人生経験も多くない小娘の判断基準は信用ならない。

悪夢は始まろうとしていた……。

        ∇∇∇

なんと、“良い人そう”選手権を勝ち抜いたそのドライバーは、モコモコのアフロヘアに褐色の肌、ずんぐりとしたデカい図体の大男だった。

なぜ優勝させたのだろう。
そこは今となっても謎である。

私がコンコンとノックすると、スーと窓が開いた。

『ここに連れてってもらえますか?ホストファミリーの住所です。』

彼は、私の差し出した紙をジッと見つめると、
『分かる分かる、オッケー。』
と当たり前のように言った。

私は安堵して、タクシーに乗り込む。
うん、良かった。やはりアナタは優勝だ。
私達は、夜のハイウェイをただただ走った。
それが終わると、下道に入る。
そろそろか。
そろそろ、私の夢にまで見たアメリカン・ホームなのか。
もう、夜中の2時だけど、きっとホストファミリーは私が到着せずに混乱してるか怒ってるかだろうけど、そして今現在は就寝中だろうけど、
嵐に見舞われ、フライトキャンセルになり、独りでボナンザバスに乗り、最後はタクシーまで拾った勇気に免じて許してほしい…。
私は、初日の挨拶と到着遅延の理由説明を、何度も英語でシミュレーションした。

もうすぐホストファミリーとご対面。
窓の外を流れる夜の景色を眺める。
へぇ、こんな所に1年住むのかぁ。

あ、オイル工場の看板、さっきもあったな。

ここは、オイル工場が多い市なのかな。

またオイル工場の看板だ。

オイル生産が盛んなんだな。

オイル工場…。

オイル……。

『ガタンッ!』

私は大きな音に驚いて、バッと顔を上げた。

え?
今のなに? 

『ガタッ!!ガタン!!!』

私は見てしまった。
ドライバーが狂ったようにハンドルを強打している後ろ姿を。

血の気が引いていくのがわかる。

ヤツは今、迷子なのだ…。

『ポンポゴンゴポンポンポン!!!!』

ドライバーは、メチャクチャなポンとゴンの羅列を叫び始めた。
彼は…アメリカ人では無かった…。

彼が叫ぶそれは、明らかに英語ではなく、彼の母国語のようであった。

次に、彼は携帯電話を取り出した。
電話の相手に叫び始める。

『ゴモンゴポンポン!!ポンゴンゴン!!』
電話の相手は、家族か友人か。

やたらとポンとゴンが多い。
一体何語なのだろうか。
一体どのくらい前にアメリカに移住してきて、一体どのくらい土地勘があるのだろうか…。

私は一体、なぜ彼を優勝させてしまったのだろうか…。

彼の体は前後に激しく揺れ始め、ポンゴン語はさらにヒートアップし、さらにハンドルは連打され、さらに彼は自分のオデコまで連打し始めた。

『ポンゴポンゴンモンゴンポン!!!!!』

もうこの頃には、私はすべてを天に預けるまでに昇華していた。この狂気の車にグッタリと体を預けていた。

このズングリムックリに対し、私は何の抵抗も出来ない小娘で、全財産はトランクの中。
正気を失い、パニックに陥り、自暴自棄になってるこの男が私をどうこうしようなど、いともカンタンなことであろう。

死んだ…。
私の人生、ここまでか…。

叫び声とハンドルの連打音を遠くに聞きながら、私は一筋涙を垂らした。

その後も何度かあのオイル工場の看板が流れてきた。

私はもう全てを諦めて、まぶたを静かに閉じ、尋常じゃない車の揺れに身を任せていた。
心は何も感じず、何の波風も立たなくなっていた。

その時、車は静かに停まった。

ここですね。
ここは森の中か何かでしょうか。
それとも波止場か何かでしょうか。
どちらにせよ、ここが、私が引きずり降ろされて死を覚悟する場所ですね。

悟りを開いた16歳の私は、静けさの中で目を開けた。

そこにいたのは、狂気に満ちて銃を手にするドライバーではなく、精気を絞り取られグッタリと窓にもたれかかるドライバーの姿であった。

メーターは、もう消されてあった。

窓の外には、一軒家が見えた。

着いたのだ。

私は生きていた。

ドライバーは、『着いたよ』も『料金は、』も何も言わずにただ放心状態であった。

こうして私のロードアイランド州初日の悪夢は終わった。

後に、あのオイル工場は結構家の近くにあったのだと知る。
オイルが滴り落ちるマークの看板を見る度に、生死をさまよったあの夜を思い出すことになる。

ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!