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桜の森の八分咲きの下

春が苦手だ。
正確に言うと年度の切り替わる時期、3月後半から4月頭くらいが苦手だ。

つまり僕は環境が変化することが嫌いなのだ。今の部署の仕事にこれといった思い入れは無いが、僕にとっては思い入れのある仕事をするよりも慣れた環境で慣れた仕事をこなすことの方が何倍も大切なのである。
身体に染み付いたルーティンの中に仕事が落とし込まれ、生活の中で仕事がほとんど無色透明な存在になるのが僕の理想だ。


環境が変わる春という季節に、僕はまるで死刑囚が刑の執行を待つような心持ちで人事異動の内示を待っていた。幸い、今年は自分に人事異動の報らせは無かった。
と安心したのも束の間、内示が出た瞬間に職場のあちこちが浮き足立った。自分に異動が無かったとはいえ、仲の良かったあの人が部署を出て行ってしまう悲しさと、くせ者と評判のあの人がやって来る恐怖がじわじわと押し寄せてきた。
業務の担当替えをすることになったので、年度末に向けて手元の仕事の消化と引き継ぎに追われ、めくるめく日々が過ぎていった。


冬の冷たく澄んだ空気がいつの間にか湿気を含んだ生ぬるい空気に入れ替わっていた。しつこいスギ花粉の攻撃にやられ、くしゃみをするたびに頭によぎるのは新しい環境への不安である。
ある朝起きたら右目に物もらいが出来ていた。またある日の残業中に引き継ぎ資料を作っていたら急に寒気がして、家に帰って熱を測ると微熱があった。なぜか春は体調不良が多い。年度の切り替わり目に病院に行く暇がなかったので、ドラッグストアで買った市販薬に頼ってなんとかやり過ごした。


そもそも春が苦手なのは今に始まったことではない。小中学校の頃からクラス替えというものが嫌いであった。1年かけてやっと醸成した居心地のよい空間をなぜわざわざ解体する必要があるのか、僕には理解できなかった。仲の良かったと思っていたクラスメイトと離れ離れになった途端、そのクラスメイトが新しいクラスで楽しそうに過ごしているのを見て切なくなったりしたものだ。


しかしクラス替えというイベントに端を発し現在の人事異動にまで連なる「環境の変化の歴史」の中で、僕は僕なりに、これまでどんな環境でもそれなりの居心地の良さを、ぬるま湯のような人間関係と自分の立場を見つけてきたのかもしれない。そうだ、今までだってなんとかやってきたじゃないか、と自分を無理やり鼓舞してみる。



⭐︎
新年度を翌日に控えた3月31日は日曜日だった。実家にちょっとした用事があったので、適当な時間に訪ねます、と午前中に母に連絡した。
すると母は、今日は昼から父の友人(以下Aさん)が遊びに来る予定なのだが、私はあまり好きな人じゃないから避難することにした、という。
なんでも午前中に父に車を運転させて、避難先のショッピングモールに連れてきてもらったらしい。Aさんが帰る時間まで適当にショッピングモールで時間を潰し、飽きたらバスに乗ってどこかに移動するつもりだという。

たしかに母は以前からAさんの話題が出ると顔をしかめていた。Aさんは父の学生時代の友人で、数年に一度我が家を訪ねてくる間柄だった。しかし毎度手土産を持たずに現れては、夕飯どきまで家に居座られてしまうので、それなりの食事を用意せざるを得なくなるというのだ。
僕が最後にAさんに会ったのは僕が実家で暮らしていた20代の頃だった。Aさんは昼から家を訪ねてきて、晩飯を食べる時間になると「僕、なんでも食べれるんでどうかお気遣いなく」と言った。そこは気を遣って晩飯を食べる前に帰るという選択肢は無いのか?とやや厚かましい人だなという印象を受けた。(決して悪い人ではないのだが)

しかし母がAさんを忌避している理由はおそらく他にもあった。それは過去に母がAさんのバンドのライブを観たことに起因している。
Aさんは学生時代からバンドでギターを弾いていたらしい。社会人になってからもバンド活動は続いており、父が母と結婚してから、夫婦でそのライブを観にいったことがあったという。
母は音楽自体は好きなのだが表現者には割とシビアな目を向けており、「素人とはいえ金を取るからにはそれ相応のものを聴かせてくれるんだろうな」と期待していたという。
しかし実際の演奏は散々で、母いわくAさんのギターは「なんの感情もこもっていない無味乾燥な音」だったという。バンド全体を見ても何がしたいのかよくわからない退屈な音楽で、人付き合いのためにこんなものを聞きに行って損した、などと散々な言いようだった。

実際、この母の言葉はかつてバンド活動をしていた自分にも刺さった。たしかにいかなる表現をするのも自由だし表現自体は尊ぶべきものなのだが、音楽はライブにせよアルバムの販売にせよお客から金を取る場面が多い。金を取った時点でその表現は商品となる。だから最低限、お客を損させない程度のクオリティは確保されているべきだし、金を払った客にはそれに価値があったか無かったかを論ずる権利はあるだろう。

Aさんは50代になってもバンド活動を続けていた。父がAさんから買わされたというバンドのアルバムを聴いたことがある。音に凹凸がない薄っぺらいミックスで、中年がやっとこさ搾り出したようなハードロックが鳴らされていた。女性のボーカルは下手ではないが音楽教室の講師みたいで面白みのない歌い方だった。Aさんのギターはたしかにテクニカルではあったが、バンド全体のグルーヴがまるで感じられない。母のいう「無味乾燥な音」の意味がわかった気がした。


日曜日の午後、僕は父に必要な書類を渡すために実家にやって来た。玄関のチャイムを鳴らそうと思ったが、ドアの向こうでは父とAさんが酒でも飲みながら談笑しているはずだった。それでも挨拶くらいはしておこうかなと思った瞬間、かつて聴いたAさんのバンドの音楽が脳裏によぎってしまった。
必要な書類は玄関のポストに投函してその場を立ち去った。父にポストを見てくださいとメールを送っておいた。


スギ花粉が落ち着いてきたので、春の風はただ心地よかった。帰り道に少し回り道をしたら、これまで気にも留めなかった空き地に菜の花が咲いていたので、思わずスマホのカメラを向けた。

空き地の菜の花

年度の変わり目の焦燥感やスギ花粉の飛散だけでなく、こういう場所に美しい春がちゃんと訪れているのだと思った。


地元の駅に着いたら腹が減ったので、中華料理屋に入った。期間限定メニューの鶏肉と菜の花の炒め物というのがあったので、菜の花に縁がある日に違いないと思って注文してみた。

中華屋の鶏肉と菜の花の炒め物

甘辛く味付けされた鶏肉に菜の花の苦味がいいアクセントになって美味しかった。先ほど見たばかりの美しい菜の花を胃袋に収めていると考えると複雑な気持ちではあったが、美しさとおいしさを兼ね備えた菜の花は春のスーパースターに違いない。



⭐︎
4月に入った。新たに引き継いだ業務に戸惑いながら、例に漏れず忙しない新年度を迎えていた。
仕事に追われながらも気にしていたのが開幕したプロ野球の動向と桜の開花情報である。4月に寒の戻りがあって例年よりも少し遅めではあるが、関東にも桜が咲く季節がやってきた。
美しい桜を見られるタイミングは一瞬だ。「満開になってから見に行こう」なんて悠長なことを言っていると、その間にやれ雨が降った、やれ強風が吹いたといって桜は散ってしまうのだ。桜は散りやすく、春の天気は得てして変わりやすい。

だから今年も後悔をしないよう、4月の最初の日曜日にためらわず桜を見に行くことにした。空が曇ってはいたけれど、近所のちょっとした桜並木に妻を連れて出かけた。

実際、この数日後の風雨で桜はかなり散ってしまった

曇り空の下でまだ八部咲き程度ではあったけれど、一面に咲く桜の花は今年も美しかった。


数年前、妻が病気で体調を崩して外出が難しかった頃に、どうしても桜が見たくて近所の河川敷まで必死でたどり着いたことを思い出した。あの頃は今よりずっとしんどかったけれど、桜を見た妻が久々に笑顔になったのを覚えている。
川沿いの桜吹雪の中を妻と歩いていたら、これからちゃんとやり直せる気がした。


今年も春はようやく安定しかけた僕の日常を破壊し、それと同時に僕は強制的に新しい環境に直面した。僕は毎年春に踊らされている。それでも春のおかげで僕は少しずつ強くなっているのかもしれない。
そんなことを桜の木を見上げて考えた。隣で桜の花の写真を撮りながら妻が笑っていた。春はなんとも憎い奴である。

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