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図書館のヤングアダルトの棚に期待していたものは無かった

思春期の時分、男子はエロコンテンツを合法的に享受するのに必死になった。

2000年代の前半に一番身近だった媒体はインターネットではなくテレビだった。
現在と比べると多少テレビの規制が寛容な時代だったと思う。『志村けんのバカ殿様』ではバカ殿のお付きの女性がヌードになっていたし、火曜サスペンス劇場では『混浴露天風呂殺人事件』なるシリーズが放送されていた。嵐の二宮和也主演の『Stand Up!!』は高校生たちの「エロ」をテーマにしたTVドラマで、男女を問わずクラスメイト達が見ていた。
極め付けは深夜のテレビ埼玉で、裸の女性のセクシーショットを映すだけの短い番組をやっていた。(調べたところ『君にどきどき』という番組で、毎週現役の風俗嬢の人が出演していたらしい。)夜中にこっそりテレビを付けてこの番組を発見した時の感動は忘れられない。
『特命係長只野仁』も忘れがたい。毎週必ず濡れ場があるドラマなのだが、ある友達がビデオに録画したというので、わざわざみんなで家に集まって鑑賞したこともあった。

得てして当時の子どもたちは、公共の電波から性に目覚めていったのだ。

公共と性の目覚め、で思い出すエピソードがある。


中学生のとき、僕は何の気なしに近所の図書館に行った。そこで書架の案内図に「ヤングアダルト」という表記を見つけて心を躍らせた。
何せ、ヤングでアダルトである。文字どおり「ヤング世代向けのアダルト作品」が並んだ棚があるに違いないと思った。
しかしヤングアダルトの棚に期待していたものは何も無く、そこに並んでいたのはごく普通の小説だった。中学生から高校生くらいまでの年齢層に向けた図書をヤングアダルトと呼んでいるに過ぎないのだ。


期待を裏切られた悔しさを少しでも晴らそうと、僕は図書館の検索機に「セ」から始まる4文字を打ち込み、新たな希望を探そうとした。

その4文字のワードは、図書館に所蔵されているCDの作者名に部分一致した。
その名もセックス・ピストルズーーなんて卑猥な名前だろう。

僕はCDの棚にあったそのアルバムを借りた。タイトルは『Filthy Lucre Live (邦題:勝手に来やがれ)』。1996年の再結成ライブの音源だった。
ピストルズの唯一のオリジナルアルバムである『Never Mind the Bollocks (邦題:勝手にしやがれ)』は、元々蔵書に無かったのか、貸し出し中で検索にヒットしなかったのだと思う。


僕は家に帰ってそのアルバムをCDプレイヤーにセットした。
再生ボタンを押すなり、溢れんばかりの観客の歓声が聞こえてきた。その歓声をかき消すようにギターリフの轟音が鳴り響く。そしてバンドの音が合わさった瞬間、ボーカルの鋭い声が空間を掌握する。

とてつもないエネルギーの塊をぶちこまれた気がした。お世辞にも上手い演奏とは言えないが、荒々しいギターの音、マシンガンのようなドラムの音、演奏の全てが剥き出しのまま耳に迫ってくる。CDプレーヤーの前にいる僕がライブ会場に引きずり込まれ、観衆の中で揉みくちゃにされるような気分だった。

何よりも、このボーカルが凄まじい。鼻にかかって大衆を舐め腐ったような歌い回しをしたかと思えば、背筋が凍るようながなり声で怒号を上げる。


ボーカルの名前はジョニー・ロットンというらしい。ロットンは「腐った」という意味だ。なんと下劣な名前だろう。
インターネットで彼の名前を検索すると、ひょろひょろに痩せた金髪の男の写真が出てきた。なぜか着ている服はボロボロだ。何よりその目がイカれていた。ほとんど瞳孔が開いているような、どこに焦点が合っているのかわからない目。僕はその目に引き込まれて、すっかりジョニー・ロットンに夢中になってしまった。
(なお、音源のライブが開催された1996年の時点では丸々と太って昔と別人のような見た目をしていたことは置いておく。)


僕はピストルズのCDをMP3プレーヤーに取り込んで、それから何回も聴いた。何回聴いても本当にかっこよくて痺れた。
それにしても図書館で思わぬ出会いがあったものだ。少なくともヤングアダルトの図書の何倍も、僕にとっては有益な出会いだった。


ピストルズを聴き続けて、いつからか、僕もバンドというものをやってみたいと夢見るようになった。

中学生の僕はロックを好きになって、他にも色んな音楽を聴いたけれど、ピストルズの音楽が他と圧倒的に違ったのは、「この音楽なら僕もやれるんじゃないか」と思わせてくれたことだ。
レッドツェッペリンもアークティック・モンキーズも、B'zもラルクも、全部演奏するのは難しそうで気後れしてしまった。だけど、ピストルズならやれる気がしたのだ。


そうして僕は数年後、高校の軽音部に入ってセックス・ピストルズのコピーを演った。ジョニーの声を真似て怒鳴り続けるだけの所業をボーカルと呼べるのであれば、僕はボーカリストとして学園祭の体育館のステージに立った。
未だに泣かず飛ばずの音楽との日々は、一応その体育館から始まった。


それから15年ほど経ち、僕はうだつの上がらない日々を送っている。だけど世の中に押し流されそうになったとき、僕は今でもセックス・ピストルズのあのライブ盤を聴く。ジョニーの怒声に喚起されて、弱っている自分が目を覚ます。冷静に考えろ。
「ノー・フューチャー・フォー・ユー」
未来が無いのは俺じゃない、クソッタレのお前の方だ。俺はお前に構わず前に進むぜ。
ジョニーの歌う絶望は、いつだって僕に希望を与えてくれる。


ピストルズの音楽は、中学生の僕を少しだけ大人にしてくれた。
だから、図書館のヤングアダルトの棚には、こっそりとセックス・ピストルズのCDが置いてあっても良いんじゃないかと思う。

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