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【転生侭語】羽生結弦は"対比"があるから美しい

2022年2月20日、北京オリンピックが閉幕した。

たくさんの感動的なシーンが思い出されるが、多くの人々の記憶に残ったもののひとつとして、フィギュアスケーターの羽生結弦選手の演技があるだろう。

なぜ羽生結弦はあんなにも美しいのであろうか。
なぜ羽生結弦に魅せられるのであろうか。
なぜ観客は羽生結弦に熱狂するのであろうか。

それは"対比"があるからである。
もう少し言えば、相反するものの共存という方が正しいのかもしれない。

彼のFS(フリースケーティング)のプログラム曲の名前を見るとそれは一目瞭然である。
例えば「ロミオとジュリエット」はモンタギュー家とキャプレット家の対立がある。
「SEIMEI」は映画『陰陽師』を題材にしており、陰と陽。まさしく対比である。
「Hope&Legacy」はHope(希望)という未来に向かうものとLegacy(遺産)という過去のものとが対比されている。
「Origin」は一見すると対比がないように思えるが、ここにも対比はある。
幼少の頃、憧れの存在であったロシアのプルシェンコ選手と羽生結弦自身との対比である。
「天と地と」はその名の通り天と地の対比である。

この"対比"にこそ羽生結弦の想いが込められているのではないかと思う。
彼のFSは、正反対のもの同士を上手く共存させ、芸術へと昇華させている。
一見共存できないように見えるものが共存できたとき、ひとは感動を覚える。

では、なぜ"対比"なのか。

それは、絵画を思い浮かべてみるとよくわかる。
絵を描くときには光を意識する。
そして影をつける。
すると、絵が立体的に見えるのである。

絵が光と影をつけることで立体的にみえるのと同様に、彼は光と影のような表現で演技を立体的に見えるように意識しているのではないだろうか。

不思議なことに彼の演技は平面であるはずのTV画面越しに観たとしても立体的に見えるのである。
だから見るものに衝撃と感動を与えるのではなかろうか。
素晴らしい芸術というのは2次元を飛び出して3次元に見えるものなのかもしれない。

羽生結弦は対比があるから美しいのだ。
共存できないものを共存させてしまうから美しいのだ。
光と影があるから美しいのだ。
それを羽生結弦は全身全霊をささげて体現している。

彼は北京オリンピックでは惜しくもメダルには届かなかった。
しかし、下を向く必要はない。
なぜなら、羽生結弦という存在は他の誰とも"対比"できない唯一無二のフィギュアスケーターであるのだから。

世間では連日、ロシアとウクライナの緊張状態が報道され、今にも戦争が起ころうとしている。
しかし、戦争は影ではない。闇だ。
闇の世界はどこへ進もうとも闇しか存在しないのである。光など存在しない。
平和の祭典であるはずの五輪の直後に世界が闇で包まれようとしているのはなんとも皮肉な話である。

軍事力で無理やり併合するのではなく、相反するものの「共存」という道は模索できないのであろうか。
相容れないもの同士が共存していくことは難しいかもしれない。大変なことかもしれない。
しかし、共存できたときその先にはきっと"美しい"世界が待っていることだろう。


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