街 上 小 景 (上)

(わが東京回想スケッチの一節)

 昔、銀座の街が、あのきらびや

かな、都會のさかり塲の一つとし

て、朝霧のなかにほのかにかすみ

夏の日の舗道の上にいら/\しく

立ち並び、橙色の夕日を美しく浴

び、夜は、南京玉のやうにとり/″\

な灯に浮き彫りにされて、あの氣

まぐれな都會人のはしやぎ過ぎた

散歩の足どりを、聽いてゐた頃の

ことである。その銀座の街のなか

ほどに、ある小さな農園があつた

のである。農園といつたところで

二百坪あまりの空地に、葭の屋根

のついた幾段かの鉢棚と、小さな

温室と、その間にちょつとした東

家があるだけであつた。

 秋のなかば過ぎの、あるさわや

かに晴れ澄んだ小春日の、おひる

頃のことである。鉢棚には、汚な

い鉢に植江られた、白だの、黃だ

の、花の小さい懸崖菊が、ぎつし

りと竝べられて、その純朴な草花

の、枯炎な感じにさへ、うら枯れ

の秋の淋しさがたゞよつてゐた。

 焦茶いろのジャケットをつけた

この農園の靑年は、朝のうちから

の忙しい仕事に疲れて、今は温室

の前にのんびりと足を投げだし、

ほか/\とした日だまりを浴び乍

ら、煙草に火をつけた。

 そこへ十二三の舞妓が三人、振

袖にゴム草履といふ外出着で、一

人の藝者に手をひかれて、何かべ

ちや/″\饒舌り乍らやつてきたの

である。それにつゞいて、彼女だ

ちの抱江女將らしい、そんな種類

の女一般によくみる型の女が、よ

ち/\とした足どりで、へんにあ

たりに氣を配り乍ら入つてきて、

目ざとく靑年を見つけたのである

 さて私はこゝらで、長たらしい、

小說的な記述をきりあげておいて

その日、この農園の若主人の生活

におりこまれた挿話を、端的な對

話のかたちにして書きつけてしま

はうと思ふ。

    そ の 一

靑年。「今日は。毎度・・・」

女將。「お天氣がよくて結構ね。あ

   なたのとこなんか、お助りで

   せう」

靑年。「江ゝ、今日のやうにのんび

   りする天氣は滅多にありませ

   んよ。お蔭さまでみんないゝ

   案配にうまく出來ます。去年

   なんか、瀧のやうな雨ばかり

   幾日もつゞいて、折角私が研

   究してみた異種菊が、すつか

   り駄目になつちゃつたんです

   が、今年は雨がないだけでも

   もうけものです」

女將。「さうでせうね。街を歩るく

   にも氣がうき/\するやうよ

   今日なんか加減をして着てき

   たんですけど、これ、ちょつと

   家からこゝまでの間にこんな

   に汗ばんでしまつて・・・・」

  (菊棚を一まはりした女達がか

   へつてくる)

舞妓A 「阿母おつかさんずゐぶん於かし

  な菊ばかりあつてよ。どうし

  たんでせう!」

舞妓B 「みんな根のとこから垂れ

  下つて眞すぐ向いてゐる大き

  な花のなんか一つもないわ」

舞妓C 「そんなのをね、洋服の人

  が、見事だなんでほめてゐる

  のよ」

女將。「なにもおかしなことはない

   よ。今はそんな奇妙な形の方

   がよく賣れるんだよ、ね江K

   さん――」

靑年。「まあさういふわけですね」

藝妓。「だけど考へてみると、草花

   なんか買ふのは馬鹿らしいも

   のね。元は只みたいなものを

   高いお金で買つて、一寸でも

   油斷すると、手入れをしてや

   つた苦勞や恩を忘れて、すぐ

   かさ/\に枯れてしまふんで

   すもの。こんなつまらないも

   のはないと思ふわ」

靑年。「ハヽヽヽヽ、そんな風に考へ

   た日にや、世の中で自分一人

   の外には何も手は出せやしま

   せんよ。時に先達のダリアは

   うまくいつたでせう?」

女將。「蔦ちやんは何を云ひだすの

   馬鹿ね。草花だつてあれだけ

   にする間の苦勞は、金に見積

   つたりするわけにはゆかない

   ものよ。藝妓がお客を相手に

   するのぢやあるまいし・・・ダ

   リアもたつた一つ黃色の分だ

   けうまくいつたのよ。この人

   達がちつとも構はないで放つ

   たらかしておくもんだから」

舞妓B 「まあ、ずゐぶんね。相模

  屋さんの犬が堀り出してしま

  つたんぢやありませんか。」

女將。「まあそんなことどつちだつ

  ていゝわ。」

舞妓 「あら、ずゐぶん勝手ね。」

  六人哄笑。そこへ一人の男が

  やつてくる。

藝妓。「あら、Mさん。しばらくね。

   どちらへ?」

   Mと呼ばれた男。(面喰つて)

   「やあ、一寸そこまで買物に

   みんな息抜かい?」

藝妓。「知らつばくれてずゐぶんひ

   どいわ。あれつきりぢやない

   の。どうなさつたのよ。」

M。「いや、實はずつと北海道の方

   へ旅行してゐてね、一昨日歸

   つたばかりさ。今年は商賣の

   方が面白くなかつたもんだか

   ら、つひ御無沙汰したわけな

   んだ。」

藝妓。「ほんたう?、だけど何んだ

   かおかしいわね江。それにあ

   なた、あの奥様の方の話どう

   なつて?」

M。「あれかい。あれはとう/\結

   婚してやつたよ。さうするよ

   り仕方がなかつたからね。」

藝妓。「さう。お目出度いわ。つい

   うつかりしてお祝もしなかつ

   たわね。」

M。「さう皮肉をいふなよ。僕一寸

   そこの資生堂へ行くんだが、

   かまはないなら、一處に行か

   ないかい」

藝妓。「お伴してもいゝわ、けれど

   どうせ奥様のお買物でせう。」

M。「そんなあたりを云ふのはよ

   さうよ。お女將かみさん、ぢや、お

   借りしますよ。」

女將。「江ゝ、どうぞ御遠慮なく。

   だけどあまり喧嘩をしないや

   うになさいましよ。」

   二人は肩を竝べて舗道の方へ

   でてゆく。

舞妓A 「まあ、蔦姉さんたら、ず

   ゐぶんね。晝日中見せつけた

   りして・・・・」

舞妓B 「まつたくよ。」

女將。「オホ・・・もうお前たちそん

   なことを云ふやうになつたの

   かへ。」

靑年。「(だしぬけに)早いものです

   なあ!」

   五人哄笑。

女將。「あゝお邪魔さまでしたね。

   さあ歸りませう。」

舞妓。「あの阿母かあさん。もう歸へる

   の。淺草へ活動をみに行くの

   ぢやなくつて?」

女將。「分つてるぢやないの。こゝ

   から出るといふのさ。廻りく

   どい妓ね。ぢやKさんさよな

   ら。」

靑年。「さよなら。」


(越後タイムス 大正十三年一月六日 
     第六百三十二號 四面より)


#戯曲 #短編戯曲 #芝居 #劇 #東京 #菊 #懸崖菊 #舞妓 #芸鼓
#女将 #銀座 #大正時代 #越後タイムス #小説 #短編小説 #資生堂




ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?