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神への畏怖と「後ろめたさ」

神社に行って、神様にお願いごとをする人たち、多いと思います。神社に行ったら、さまざまなお願い事が書かれた絵馬をみることができます。それらひとつひとつの願い事を叶えてくれるかどうかは分かりませんが、神様ってのは、すごい存在です。

ただ、神様は願いを叶えてくれるだけの存在ではありません。まったく逆の側面として、とても恐ろしい存在でもあります。

神を畏怖する」なんて言葉があります。神様というのは、元来、恐ろしい存在でもあるのです。

例えば、学問の神様として知られる菅原道真の天神様の話などは、とても有名です。

本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん / にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。

ウィキペディア「天神信仰」より引用

菅原道真は、「学問に優れていた、すごーい」というだけで、天神様になったわけではありません。藤原氏の陰謀によって、大宰府に流され、失意のなか没した藤原道長の祟りが、当時の朝廷によって大いに恐れられたからです。その祟りを鎮めるために菅原道真を天神様として祀り、今の天神信仰に繋がったということです。

偉大な神様というのは、それだけ大きな祟りを起こすだけの力があり、祀る側はそれを大いに恐れて、盛大に祀るのです。

出雲大社にしても、興味深い話があります。

大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)

ウィキペディア「出雲大社」より引用

天照大神に国を譲れと迫られた大国主大神は、国を譲る条件として、出雲大社を作るように言ったといいます。神話でどう語られていたかは別にしても、実際、出雲大社はとてつもなく大きなものだったことが判明しています。

雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)――。
貴族の子弟教育のために作られた『口遊(くちずさみ)』(10世紀)が語る、古代建築の背比べだ。東大寺の大仏殿(奈良)や平安宮大極殿(京都)をしのぐ巨大構造物、それが島根県出雲市の出雲大社だった。地上48メートル、ある試算ではのべ12万人余の労働力で工期6年というから、空前の大建設工事である。

朝日新聞デジタル
「そびえる高層建築、「国譲り」を暗示 古代の出雲大社」
2021年8月31日より引用

これだけ大きなものを作ったのは、もちろん、それまで国を治めていた大国主大神が偉大だったからという言い方はできます。しかし同時に、国を譲れと迫った(国を奪った)天照大神側が、出雲・大国主大神の祟りを恐れたとも考えられるわけです。国を奪ったわけですから、恐れて当然ですし、その祟りを鎮めたいと願うのは、至極、当然ではないかと思います。

つまり、国を奪った側の権力者には、出雲・大国主大神に対する「後ろめたさ」があったということです。

そんな構図を頭に思い描きながらみてみると、なかなかに面白い動画があったので、紹介しておきます。

日本書紀によると、(法隆寺は)670年に火事でなくなっとるんよ
そのあと建て直してるんですよね、わざわざ。建て直した法隆寺には謎だらけというのを皆さん、ご存じですか?
これ、建て直したのは、さっきも言った藤原氏なわけなんですけれども、これね祟られるから、何とか法隆寺を建てて許してもらおうという話があるんですが・・・

そもそも、聖徳太子というのは、実在していなかったのではないか?という話が語られたうえで、その聖徳太子の怨霊を閉じ込めるために、法隆寺が建てられたというストーリーが展開されています。

実在していなかったのに、その聖徳太子の怨霊ってどういうこと???

不思議に思われるかもしれませんが、その答えは、ここにあるのだと思います。

蘇我氏というのは、それだけ特別な一族だったわけです。それを討ってしまった彼らは、是が非でも蘇我氏の正統性を隠す必要が出てきます。こうして、聖徳太子は、逸話だらけで実在が怪しいながら、同時に確固たる実績を持ち合わせるキャラクターとして仕上がったと考えられるわけです。

「虚像だった聖徳太子」より引用

つまり、聖徳太子というのは、記紀(日本書紀・古事記)によって悪者に仕立て上げられた蘇我氏に関して、その実績や功績の辻褄合わせをするために作り上げられたキャラクターであるということです。

実在はしていなかったとはいえ、まったくいなかったわけではないのです。そこには、モデルとなる人物がいたということです。そのモデルとなった人物こそが、のちの歴史書・記紀(古事記&日本書紀)で悪者に仕立て上げられた蘇我氏だということです。

そうなると法隆寺は、藤原氏が「偉大な聖徳太子」のために建立した寺などという単純なものではなく、その裏返しとして、大いに畏怖すべき「祟る蘇我氏」の怒りを鎮めるために作ったとも考えられるわけです。

逆を言えば、蘇我氏には祟るだけの理由があり、法隆寺を建立した藤原氏には、それだけの「後ろめたさ」があったということです。

そう考えたら、蘇我氏の無念に思いを馳せずにはいられません。天皇を巡る歴史は、なかなか一筋縄ではいかないということです。


翻って、今の日本の国体(国のあり方)について考えます。

今の皇室について、天照大神から続く「万世一系」などと言います。けれども、それ本当?古事記・日本書紀って、そんなにマルっと信じて大丈夫なの?と思わずにはいられません。

私は、日本という国が大好きです。日本人としての誇りも持っています。愛国心もありますから、こうして日本という国の成り立ちについても、真正面から向き合いたいと考えています。

日本には天皇がいて、その存在によって、日本という国がひとつにまとまっているという考え方はあっていいと思います。けれども、それが絶対であると考える必要はないでしょう。

今や、天皇がいるというその仕組みすら、外国勢力によって利用されている可能性があります。

つまり、「皇統の真実」を知っている者たちは、「天皇」や皇室という存在を利用して、「日本が大事」という愛国者たちをミスリードしていく可能性があるということです。「皇統の真実」を知っている者たちに、愛国心を弄ばれるのは困ります。
皇室にだっていろいろあります。

「「日本」という国の要件」より引用

そう考えたら、天皇を絶対視することの方が、危険である可能性すらあります。

私は、今の日本を考えるうえで、天皇そのものよりも、今の時代に至るまでの長きに渡り、天皇を存続させてきた日本人全体の方が、より高い価値があるし、素晴らしいものをもっているのではないかと思っています。

当然、大国主大神にも、そのモデルとなった人物、あるいは一族がいたことでしょう。そして、大国主大神が、いつの時代の神様(人物)なのか分かりませんが、天皇が天照大神の子孫であるというのであれば、今の日本国民は、ほぼ全員、大国主大神の子孫であるとも言えます。

「大国主大神の子孫たち」より引用

私たちには、何の「後ろめたさ」もありません。一切の権威や権力とは、無縁の私たちには関係のないことです。

関係ないからこそ、日本の国体を考えるうえで、本当に価値あるものは何なのか、タブーなしに考えてみていいのだと思います。


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