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「日本」という国の要件

それぞれの人に母国があるとして、日本人が日本という国を愛することは、とても自然なことだと思います。外国人とのハーフやクオーターの方など、もしそれがひとつでないならば、それら複数の国を愛する、そういうことでしょう。

愛国心というものは、けっして排他的なものではなく、お互いを尊重し、認め合いながら成立するものです。

どうも愛国心を「他国を罵倒し、けなすことで成立する」と解釈する人もいるようですが、そんなのあり得ません。そんな薄っぺらい愛国心なら、ないほうがマシです。というか、そんなものは偽物です。

例えば日本の学生は、試合に勝っても負けても、お互いの戦いを称えあい、エールを交換します。相手への敬意があってこそ、自分自身も高まっていくし、そこに美しさがある・・・これが日本人の感性です。
日々、殺伐とした報道、ニュースで溢れているなか、冒頭の中国共産党の書き込みに対する中国国内での非難の声には、中国人の良心を感じました。
まだまだ、中国や韓国における「反日に立脚した愛国心」は抜けないと思います。メディアの問題もあります。しかし、私たちは私たちなりの愛国心を持ち続け、その愛国の姿を彼らに見せて続けていくことが重要です。いわば、「愛国心の輸出」です。それが彼らの良心に響いたとき、日中韓・東アジアの国民感情は大きく変わると信じます。
※「愛国心を輸出しよう」より引用

日本人のこういう感性は、もっともっと表に出していいと思います。

さて、私も日本という国が好きですし、愛国心があります。日本という国でいろいろなものを育ませてもらいました。

で、その日本のナショナリズムについて、少し興味深い内容があったので、ご紹介させていただきます。

それ(多数決の民主制)が成立するにはナショナリズムがないと無理でしょって話です。
ナショナリズムがない状況で多数決で負けましたと。絶対許せないって感じになるとテロやるしかないわけですよ。そういう方向になっちゃうから、負けた側が納得できる基盤っていうものが必要で、それがナショナリズムでしょって言ってます。
そのナショナリズム日本の場合は3つ柱があると思うんです。
日本語ですね日本語。さらに日本国民の国であること。そして皇統
考えてみたら、この3つすべてが攻撃を受けているんですね。

あー、そっか日本という国を「国たらしめている」のは、「日本語」、「日本国民」、「天皇」の3つなのかと聞きつつも、本当かな?という思いがしたのです。

私は、「天皇」のような存在がいることは奇跡だと思っています。これは、いろいろなところでも言われていることなので、あらためて私から言うこともないでしょう。

古事記や日本書紀といった歴史書に記された、神話に出てくる神様の子孫が、代々「天皇」という地位を受け継ぎながら、今日に至るというのは、世界的にも他に例がありません。日本だからこそであり、日本という国の歴史の素晴らしさを象徴していると言えます。

ところで、その素晴らしさについては、代々「天皇」という地位を受け継いできた皇統(天皇の血統)と同じくらい、それを認めてきた日本国民にスポットが当てられてもいいのではないかと思っています。

皇統が守られてきたひとつの側面として、「天皇」に徳があったというのは否定しません。仮に「天皇」が権力を濫用し、民を苦しめるような行いをしていたら、「天皇」は民衆から廃されていたかもしれません。

民を苦しめるようなことをしなかったから、「天皇」は今日まで存続できたわけであり、それは「天皇」に徳があったと言えます。

しかし一方で、どんなことがあっても、「天皇」を「天皇」として認めてきた日本国民の存在を忘れるべきではないと思うのです。

鎌倉時代以降、明治に至るまで、実質的な権力をもつようになった武家の覇者たちも、「天皇」を廃しようとはしませんでした。「天皇」は「天皇」のまま居続けられたのです。

武家の権力者たちが、清和源氏や桓武平家など、あくまでも「天皇」に「さぶらう(侍う)者」としての血筋を重んじてきました。これは皇室を離れた武家(広義の「国民」?)が、「天皇」を敬い続けてきた証です。

例えば、王朝が変わるたびに皇帝の血筋が変わってしまっている中国の歴史などを鑑みれば、「天皇」に係る日本の特異性は際立っています。鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代・・・と、実質的な権力機構がいくら変わっても、「天皇」の地位は維持されたままでした。

そう考えると、日本の長い歴史の中で「天皇」を「天皇」たらしめてきたのは、「天皇」の徳による部分はもちろんですが、それを支えてきた日本国民の平和精神があったのではないかと思えてならないのです。

ところで、私があえてこの論点を挙げるのには2つの理由があります。

1つには、現在まで2000年以上続くとされる皇統というものが、どこまで真実なのかという点です。この問題については、日本古代史の観点から、既にいくつか記事を挙げています。

詳細は、そちらをご覧いただければと思います。

実際のところ、古代史だけではなく、近代においても疑わしい点があるように思っています。それについては、別途、あらためて整理したいと思います。

ただし、仮に「皇統の真実」に重大な問題があったとしても、私はそれをさしたる問題ではないと考えます。それは、私が持ち合わせている日本人としての「平和精神」によるものです。そんなことは、ある意味、どちらでもいいことです。

問題は、2つめのポイントです。

そうした「皇統の真実」に問題があった時、それを利用する輩がいるという点です。この問題は、今、私たちが生活している現代社会に大きな影響を及ぼしうるので、注意が必要です。

つまり、「皇統の真実」を知っている者たちは、「天皇」や皇室という存在を利用して、「日本が大事」という愛国者たちをミスリードしていく可能性があるということです。「皇統の真実」を知っている者たちに、愛国心を弄ばれるのは困ります。

皇室にだっていろいろあります。

私たち日本人が、こういうニュースにいちいち振り回されるのは御免なのです。

このあたりはちょっとややこしいかもしれません。また機会をあらためて整理したいと思います。

いずれにせよ、私は日本が日本である要件について、「日本国民であること」、「日本語を話す」の2つがあれば十分なのではないかと思ったのです。

上掲の動画では、こんなコメントもありました。

伝統はね、相対的に正しいんです。
とくに2000年も続いた皇統という日本の伝統は、これは多分、地球史上、地球上で最も最強の伝統なんです。何故かというと続いているからです。
(中略)
それをですよ?男系の皇統とかって古臭くて、差別的だからとか言って、そんなポーンと出てくるようなアイディアで壊していいの?と。あんた、自分のアイディアが2000年の検証に耐えられるって豪語できるわけ?と。

すごく分かるんです。本当にその通りです。この日本の伝統は奇跡だし、私も最強の伝統だと思います。

しかし一方で、私は今、地球上で人類史上あり得ないことが起こっていると思っています。そして、その中には日本が誇る2000年を超えるとされる伝統を悪用する人々がいる・・・それ、大丈夫なのか?と思うわけです。

とにもかくにも、そんないろいろある中、私が日本を考えるときには、絶対に変わらない真実があることを知っています。それは私が「日本人」であり、「日本語」を話すということです。

まずは、それだけでもあれば、「日本はある」ということにしたいと思うのです。そう考えれば、どんなに大変なことがあるとしても、私にとっての日本は不滅です。


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