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【エッセイ】遅ればせながら、自己紹介をしようと思う。

「あなたという人間を一言で表すと?」

という面接官の質問に答えられる具合のいい言葉を僕は知らない。というか、そんな言葉はない。
私のこの薄っぺらい餃子の皮のような人生ですら表現できないとすれば、他の人にとっては至難の業である。

人間とは、頭部から順に、胸部、腹部、腰部、大腿部、下腿部と6つに分かれた構造を持ち、それらが骨によってつながれ、骨によって臓器が収納されている。
この体を自在に動かすために身体中に酸素を運ぶ血管が存在し、神経が通っている。

これほど人間について知っているのに、私は人間である自分のことが分からない。自分は何が好きで何が嫌いなのか、何を知り何をしたいのか、何のためになぜ生きるのか。知っているのはもしかしたら名前(いっせい)と年齢(20)、身分(大学生)くらいかもしれない。

しかし、最近確かに思い続けていることがある。

それは小説が好きだということ。

これは1+1=2のような、水は氷に変わるというような絶対的な真理であると断言できる。

この確固とした証明が得られてからというもの、私は飽き足らず小説を読み続け、小説について考えを巡らせていた。

なぜこんなにも小説というものに惹かれるのか。
私を魅了し、誘惑するものの正体とは。
私の傷口から侵入し、内側から弄び、指先つま先まで支配する魔力の根源とは。

そう考えるうちに私は自らそれを生み出せはしないだろうかと夢想するようになった。
少ない知識、頼りない表現力しか持ち合わせていない私でも他人に影響を与えることができるのではないかと、夢を見るようになった。
内に秘めたる情熱の絞り先を見つけたようで嬉しかった。

そこから私の将来の夢の一つが見つかった。
それは

死ぬまでに小説を1本出版すること

である。

別に小説家になりたいという訳では無い。一つの脳と1本の腕で飯が食えるようになりたいという訳でもない。そんな人は日本で数えるぐらいしかいないことはチンパンジーでも知っている。そこまで賭けに出れるほど強気の人間ではない。

「そんな中途半端な気持ちで本を出版することなんて無理に決まってんじゃん」
と有難くご指摘下さる方もいらっしゃると思うが、そんなのは人の自由じゃありませんか。
あなたは私の何を知っているのでしょう?
私ですら私を知らないのに。

しかし、小説を書くと豪語しても正直どうすればいいか皆目見当もつかない。文明の利器に頼って調べてもみたが、どうやら小説家になるための専門学校とやらも存在しているらしい。そんな学校に通うための資金もなければ勇気もない。その上、教えられた知識、表現、構成で作られた小説作品などたかが知れていると不躾ながら思ってしまった。

やはりひたすらに先人たちの努力の所産を吸収し、浸透させ、思うがままに解放する行為によって産まれたものにこそ真の価値があると思う。それが先人たちへの還元として形を成すならば尚良い。

ならば今はその吸収の段階であるとすると、自分の言葉で表現し、目に見えるように記録することが効率的だと考えられる。
それがこの「note」という非常に生産性、創造性あふれたサービスを利用するにいたったきっかけである。
すでに投稿は始めているが、これからも書評や感想を素直に書いていこうと思う。

また書評だけでなく、日々の生活で肌に触れて感じたことについての随想録のようなものも自由に書いていく所存である。

最後まで読んでくださってありがとうございます。これからも騒々しく投稿すると思うが、軽く覗く気持ちで読んでいただけたら本望である。


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