【雑文】高速バス
僕は、高速バスは思いのほか嫌いではない。
好きな人はあまりいないと思うが(運行会社に失礼ですね。ごめんなさい。)、今のところ僕にとって苦痛を感じさせるものではない。
今のところ、と表現したのは、将来的に僕がせっかちになって、心の余裕が無くなってしまう可能性も捨て切れないからだ。
だが今はそんな話はどうでもいい。
僕の周囲には高速バスを忌み嫌う人々しかいない。
「膝が疲れる」、「おしりが痛い」、「車酔いする」など、多くのネガティブポイントを不服そうな顔で列挙するのを何回も見たことがあるし、聞いたことがある。
僕もその気持ちは分からなくもないが、そこまで言わなくてもいいのではないかと高速バスを庇護したくなる。
実際に僕は、反高速バス派に出会ったら、味方ではないことを主張し、逆に高速バスのいいところを話すようにしている。
ザビエルがキリスト教を布教するみたいに(僕はそこまで敬虔ではないけど)。
なんと言っても、高速バスに乗っているとき、僕は気楽でいられる。
何もしなくていいのだから。
言い換えれば、流れる外の景色を眺めているだけでいいのだ。
日常生活では様々なタスクに追われ、常に何かを考え、悩むことを求められる。
しかし、高速バスに乗っているときは、「移動している」というタスクを進行形でこなしているのだから、他のことを考える必要がないのである。
これは電車や飛行機では感じえないものだ。
電車は拘束時間が短いからこそ移動しているという実感は得られにくいし、飛行機は空を飛んでいるからこそ道路の凸凹や外での人々の営みを五感で感じることができず、移動していることさえ忘れてしまう。
何も考えない、という非人間的な行いは、高速バスの車内でのみ許されるのである。
高速バスの魅力はそれに尽きない。
気楽さと同時に自由を与えてくれるのだ。
車内では何をしてもいい。
外を眺めたり、歌を聴いたり、映画を見たり、本を読んだり、睡眠したり。
自分には数多の選択権があると実感したとき、僕は高揚するあまり身震いしてしまうほどである。
また、大体の高速バスの車内には40~50個の席があり、それが4列で縦長に並んでいる。
そして、それらは当然、同じ方向を向いている。
席に着く人々も自然と同じ方向を向くことになる。
彼らを乗せた高速バスはある特定の場所へと進み続ける。
僕はそこに、えも言われぬ美徳を感じている。
出生も知らない、事情も知らない見ず知らずの人々が同じ場所に向かって進んでいることに、なぜか喜びを感じるのである。
それは、全員野球で甲子園を目指すような、あるいは社内一丸となってコンペを勝ち取るようなことに似ているのかもしれない(甲子園を目指したことも、コンペに参加したこともないが)。
といった感じで、僕は反高速バス派に説くことがある。
釈然としない顔をされるのが関の山だが。
高速バスの魅力を少しでも理解してくれることを願っている。
もしかして僕は高速バスが好きなのかもしれない。
当初は中庸な態度をとっていたけれど、ここまで熱弁してしまうと後戻りできない気がする。
正しく言い直さなければならない。
僕は、高速バスは思いのほか好きだ。
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