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【古代③】『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』~偉大なるローマの苦い記憶~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』1巻表紙より。

 前記事でとりあげた『ヒストリエ』が描く天才アレクサンドロスの大帝国。
 この大帝国は瞬く間に空前の支配領域を実現することになりますが、あまりにも急に広がった支配は瓦解するのも早いもので、アレクサンドロスが若くして亡くなると大帝国もすぐに3つの国に分裂してしまいます。その後は再び中規模の国家が群雄割拠する時代に戻るわけですが、それらをまとめあげる存在として次に登場した大帝国が、ローマ帝国です。
 古代ローマと言えば、実写映画も大ヒットしたヤマザキマリ先生作『テルマエ=ロマエ』を連想される方も多いかと思います。この作品で描かれるように、古代ローマは風呂をはじめとする様々な市民文化が発展し、人々が平和と文明を謳歌した時代でもありました。この後「暗黒」とも称された時代を長く過ごすことになるヨーロッパの、つかの間の栄華の時代です。
 
 そんなローマ帝国には、早くも瓦解してしまったアレクサンドロスの大帝国と大きく異なる点が2点ありました

 一つは、アレクサンドロスの大帝国がギリシャから東のアジア方面へと伸びていった一方、この古代ローマ帝国はローマを中心に東西へと伸びていったこと。ローマ帝国は、もともとはその名のとおり、ローマという都市のみを支配する都市国家でした。それが、紀元前3世紀にはイタリア半島全域を支配。その後も侵略の手を緩めず、ちょうど紀元後に暦が変わる頃には、かのクレオパトラが率いていたエジプトに勝利。最盛期の紀元100年ごろには、イギリス、フランス、スペイン、イタリアといった、現代のヨーロッパ主要国がある地域のほとんどを支配するに至ります。
 もう一つの違いは、その超広域支配が、アレクサンドロスの大帝国と違って長期間継続したこと。この結果、被支配地域の文化には決定的な変化がもたらされることになりました。具体的には、長期間の支配を通して共通の言語(ラテン語)、法律(ローマ法)、宗教(キリスト教)等が領域内に広く行きわたるようになり、もともと様々な文化・様々な民族が混ざり合っていたこれらの地域が、「ローマ」のもとに均質化されていくのです。ばらばらだった地域社会が一つの大きな社会になっていくわけであり、これがまさに、現代において「ヨーロッパ」という名前でひとくくりにされる大地域の、その基礎となっていくのです。

 そんな「大正義」古代ローマ帝国ですが、実は一度、領域拡大の過程で強烈な挫折体験をしています。それが第二次ポエニ戦争(紀元前218年~210年)であり、この戦争だけを13冊かけて丹念に描いた作品が、カガノミハチ先生作『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』です。

 紀元前3世紀前半ごろ、イタリア半島を統一したローマはいよいよ海の向こうへと手を伸ばします。この時立ちはだかったのが、アフリカ北沿岸地域(現在でいうとチュニジアあたり)を支配していた「カルタゴ」という国でした。
 まずローマはイタリア半島のブーツの先にあるシチリア島の覇権をめぐってカルタゴと対立し、これに勝利(第一次ポエニ戦争)。初の海外戦を勝利で飾ります。しかしその約20年後、カルタゴにおいて傑物ハンニバル将軍が頭角。アフリカからスペインを通してヨーロッパに上陸したと思ったら、極寒の地であるアルプス山脈を越えるルートを選択、アフリカとは真逆の北側からイタリア半島に侵入するのです(第二次ポエニ戦争)。海外への侵略を進めていたはずが、思わぬ形で国内への侵入を許したローマは半島内でこれを迎え撃つことになりますが、カンネーの戦いにて、戦力7万人のうち死傷者が6万人という人類史上稀にみる大敗を喫します。以後半島内で暴れ続けるハンニバルに対して、苦しい持久戦を強いられるのです。

 『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』は、そんな向かうところ敵なしに見えたローマの挫折を、軍人、政治家、市民の反応を通して刻銘に描いていきます。当初は好戦的な軍人・政治家らが慎重派をせせら笑いながらカルタゴ軍に対峙していきますが、ことごとくハンニバルの巧みな戦術にハマり敗北を喫していく。あるいはたまに敗北を免れても、それ自体が次の戦いにおけるカルタゴの大勝利を招くための、ハンニバルの罠でしかない。そうしてローマは指導者層の人材を多く失っていき、その先に待っているのが、上記のカンネーでの大敗でした。その頃になるともはやローマの中枢に主戦派は残っておらず、ずっと耐久戦を訴えてきた老人の政治家が、なんとか指導者の地位を継いでローマを辛くも運営していく状況になる。こうした「亡国の危機」をリアルに描いていくその筆致は、読んでいる側としても非常に緊張感があります。
 しかし、その一方でローマ軍にも若い才能が育ちつつありまして、それが本作の主人公であるスキピオでした。彼は一兵卒として上記の連戦連敗を目にし、また多くの挫折を経ますが、やがて頭角を現していきます。そしてもはや不可能とも思わされたハンニバルへの逆襲を、ハンニバルのお株を奪う巧みな戦略によって実現していくのです。
 非常に渋い作風のマンガですが、画力が非常に高く(キャラクターが写実的すぎて兜をかぶったおじさんキャラの見分けがつかないレベル)、また引き込まれる政治劇と二転三転する戦況により、意外なほどにすらすらと読める作品です。

次回:【古代④】『キングダム』~中華二千年の歴史、その始まりにあった願い~ 


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