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【古代②】『ヒストリエ』~アレクサンドロスの大帝国と古代ギリシャ奴隷制の示すもの~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『ヒストリエ』1巻表紙より。

 本記事シリーズ前記事でとりあげた『天は赤い河のほとり』で描かれたのは、様々な国家が勃興し、そして関わり合ったはるか古代のオリエント世界でした。
 しかしこのような複数の国家が群雄割拠する状況がずっと続いたわけではなく、やがてこの古代オリエント広域を征服する統一国家が生まれます。具体的には、『天は赤い河のほとり』の時代から約700年経った頃に遊牧民族の国家アッシリアがオリエント世界を統一。そのすぐ100年後にはアケメネス朝ペルシアという強力な国家が出現、再び全オリエントを支配します。
 こうした長きにわたる興亡は、基本的にはもとからオリエント世界(今でいう中東~中央アジア)にいた民族たちによるものであり、同じような民族の間で、新しい国家が生まれては消えていくということが長い間繰り返されてきました。しかしこの後、アケメネス朝のもとに統一を見たオリエント世界の全てが、この世界の外から来た異人によりわずか10年ほどで征服されるという大事件が起こります。
 その異人とは誰か。名前を聞いたこともあるという方も多いでしょう。古代ギリシャの英雄、アレクサンドロス大王です。

 アレクサンドロス大王がどこから現れた男なのかを説明するには、まず「古代ギリシャ」の話をしなければなりません。こちらも古代の文明としては非常に名の通った世界ですね。
 もともと古代ギリシャは古代オリエント初期と同じく、王や貴族の支配する都市国家が多く存在していました。しかし古代オリエントとの違いとして、やがて軍事・商業の担い手である市民の発言力が増していきます。その結果、特に有力な都市国家であったアテネでは当時非常に珍しい「民主主義」政治が行われるなど、特徴的な社会を生み出しました。
 しかし、そんなアテネの繁栄も他のポリスとの争い等によって徐々に陰りを見せていく中で、北方にあった小国マケドニアが台頭。この時代にマケドニアの王子だったのが、他でもなくアレクサンドロスでした。そして彼は王位に就くと、マケドニアを古代ギリシャという枠に収まらない、アジアの半分を支配する空前の大国へと押し上げていくのです。

 そんなマケドニアの成長期を舞台にしているのが、岩明均先生の『ヒストリエ』です。アレクサンドロスに仕えた実在の人物、エウメネスを主人公に据えた歴史ものであり、エウメネスの英雄譚を中心にしつつも、マケドニアの拡大戦争やその政治劇、そしてアレクサンドロスという稀代の才能の特殊性が描かれていきます。
 そのエウメネスの英雄譚の起点となっているのは、古代ギリシャの奴隷制です。彼はもともとギリシャの一都市国家の有力者の子でした。しかしながらある事件をきっかけに、彼が実子ではなく異民族から拾われた子であったという(本人も知らなかった)事実が暴露され、直ちに奴隷の身分に落とされます。彼は一瞬のうちに幸福な生活、そして家族を失うのです。
 しかし、彼は奴隷として他の町に売られる途中に、幸運にも囚われの立場から逃走。もちろん財産も人脈も無い中での脱出であり、それだけでは当然もとの生活には戻れないわけですが、彼は自らの知恵と頭脳を武器にして生き抜きます。その後マケドニアの王にその才覚を見出され、最終的には彼を奴隷として売った者以上の身分と権力を手にするのです。
 そしてその過程で描かれるは、彼のそら恐ろしい知略、それでいて終始飄々としている彼の態度、しかしそこに垣間見える、故郷と家族の愛情に対する喪失感。また、その喪失からのドラマチックな再起。そんなエウメネスの複雑な生き様を鮮やかに描きだすその筆致には、『寄生獣』を生んだ巨匠、岩明均ならではの凄みを感じずにはいられません。

 なお、そんな古代ギリシャの奴隷制ですが、奴隷階級と市民階級の移動というのは実際比較的カジュアル(?)に行われていたようです。借金を返せないため自由市民の地位から奴隷に落ちたが、主人から解放され再び自由を得るというのも可能であり、そうした実態は、奴隷身分からの再起を描く『ヒストリエ』の物語にもリアリティを持たせています。 
 とはいえ奴隷は奴隷。現代の価値観からは到底受け入れられない話であるわけですが、現代的な「民主主義」を実現したアテネは逆に奴隷が非常に多い都市だった、というのは興味深い話です。この奇妙な事実について、「奴隷に労働を任せていたからこそ、自由市民はその分得た余暇で思索や討論に励み、だからこそ充実した民主主義が実現できた」とも説明されることがありますが、現代に照らしてみると、これまたなかなか示唆的な話にも聞こえるところではないでしょうか。

次回:【古代③】『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』~偉大なるローマの苦い記憶~ 


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