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帰国一作目

カンボジアから帰国して1ヶ月
東京に家があるので、友人に数人会ってから地元へ帰省
クリスマスは恋人がいないので高校の友人と飲み歩き
全然悪くない、ニート的な日々を送り続けている。

インスタのストーリーは派手だったな
クリスマスのディナーやプレゼント交換、年末年始の帰省や飲みの投稿で溢れかえってた。ある意味、激しく季節を感じた。

毎日起きてご飯食べてネトフリ見て写真整理して、誘ってくれる友人がいれば飲みに行き、次のチャレンジのためにパソコンで調べ物。

時間にゆとりがあるというのはもはや特権すぎる。
そろそろ同級生は大学が始まり、社会人は当然ながら仕事。家族ももちろん学校や仕事に出掛けて犬とお留守番の日々。雪国のおかげと言っていいのか外に出なくても寒いし、天気が悪い、吹雪だし、地面凍ってて危ないから、とかそんな理由でなんとなく引きこもりでも肯定される。

悲観的になることも気持ちの落ち込みも減った。

年に一度、このタイミングで20歳を超えたから飲みに行こうとか朝まで遊んでいることを親も許してくれるようになった。というより呆れられている。社会人の友人もいるから車を出してくれるし(ありがとう)年末年始は休みだから遊んでくれる友人がいる。

みんな思い思いに恋愛の話とか将来の話とか、社会人になってみての愚痴とかを聞くようになった。
特によく遊ぶメンバーは中学時代の友人ばかり。学校で毎日一緒にいて噂で回ってきてた友人の話は本人の口から聞く方法でしか事実が分からないというのは体力がいることだなって思う。

大体は過去の恋愛の後悔話とかそんなところ。一方で就職の話も出てくる。恋愛も就職もそうだけど、みんな家庭を持つようになり、社会人になったら朝まで遊ぶなんてこともう無いんだろうなって思うと取り残された気分になる。

そして地元は特に逃げ場がない。自宅と職場の往復だろうし、友人もどれくらい残っているのだろう。年齢を重ねるほど異性間での友情は成立しないと確信できるようになったし。要するに隙がない気がする。

PS すべてのひとへ
もっと気楽に、もっと大胆に人生送りましょう

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