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エッセイ | ねぇ 、 じょし きいている?

天然な人は「天然だね」と言われると否定する。逆に、天然キャラの人は「天然だね」と言われるとうれしそうにする。

こういった認識のせいで私は確固たる天然として生きてきた。

「天然だね」と笑いながら言う人を前にすると、「魔女狩りと一緒だな」と思いながらも天然キャラにはなりたくないため、やんわりと否定する。

そうすると相手はうれしそうに「天然な人は否定するんだよ」と言う。

「天然な人」に明確な根拠がないために、今日もどこかで魔女狩りが行われている。


goo辞書で「天然」について調べてみると『意図せずとぼけた言動をすること。また、そのような人』とある。

意図せずにとぼけた言動をしてしまう人が「天然な人」となるが、その本人は意図して行動したわけであるから、これは受け取る側にも問題があるのではないだろうか。

もっと相手の言おうとしていること、やろうとしていることをくみ取る努力が必要なのではないか。それを「天然な人」というレッテルを貼ることで、自分の力不足を隠しているのではないかと思ってしまう。

特に、他の人がその相手を「天然な人」と言っていることを聞いているがために、その情報に引っ張られてしまっているのなら目も当てられない。


では「天然な人」と言われている当人はどうすればよいのか。

正直なところ、天然な行動をしている場合は詰んでいると思ってしまう。ただし、天然な話し方をしているのであれば直せると思う。

恐らく天然な人は会話の中に出てくる助詞を聞いていないか、重要視していないのではないかと思う。それか会話を断片的にしか聞いていないかだ。

そのような状況であるにもかかわらず楽しそうに会話をしているため、急にとぼけたことを言っていると思われてしまう。

助詞を聞き逃しているために、どの言葉が何にかかっているかも分からない。そうすると全く別の話になってしまうこともある。

また、直前の会話を聞いておらずその前の話を続けてしまうこともあるだろう。もっと相手との会話を慎重に聞いた方がいい。


ここまで私の意見を書けるのには、ある経験をしたことにある。

私の知り合いに国語の教師がいるのだが、普段通りに会話をしていると「話聞いてる?」と詰められたのだ。

その相手からは「助詞の使い方が変だし、そもそもこっちの話を聞いてる感じがしない」と言われたのだ。

私としてはしっかり聞いていたのだが、直前の会話を反復しようとしても助詞まで同じようには繰り返せなかった。

「相手の言ったことを理解して話すことが会話の基本、言葉のキャッチボールだよ。言葉のドッジボールじゃ痛いだけでしょ」と言われた。

「言葉のドッジボールも楽しそうだね」と言いそうになるが、私は天然ではないため言わなかった。



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