依存症から回復すると浦島太郎になる
私はかつて、立派な?摂食障害者であったり恋愛依存症だったりしましたという話の続き。
詳細はこちら→「依存症の治し方」
摂食障害のみならず買い物依存でも、
ギャンブル、アルコール、リストカットなど自傷行為、痴漢、万引き、売買春など不法行為の依存でも、
あるいは戸締まりなどが気になる確認嗜癖(確認強迫)、不潔が耐えられない不潔恐怖(潔癖症)でも、
ぜんぶ同じなのですが
依存の渦中にある本人は
「つらいんです!止めたいんです!」
と言いますが、いやいや。
治ってからのほうがつらいです。
「治ってからのほうがつらいよ」
これは、回復者たちが口を揃えて言うことなのですが、
なにがつらいのか、その中身を説明しますね。
ちなみに、回復前のつらさ
依存症の渦中にあるときの「症状のつらさ」
は
「苦痛という快楽」の状態。
脳ミソから、快楽物質出まくってますから。
マゾヒスティックとも言える。
もちろん、そうならざるを得ない事情があってのことですけどね。
話を戻します。
症状行動をやめて回復の途上にある時、
何がつらいって
「自分が成長過程で学ぶべきことを、全部すっ飛ばして、歳だけとっている」
という現実に直面することです。
これを、竜宮城で遊んでる間に歳をとっている事に気付かず、
あとで愕然とした浦島太郎になぞらえて
「浦島太郎現象」と呼びます(勝手に呼んでます)。
想像してみてください。
例えば、摂食障害の女の子の場合。
友だち数人と、学校帰りにカフェ行こ〜
となったとしますね。
カフェでスイーツを楽しみながら
複数の友だちとおしゃべり、こんな時
「皆んなも自分も知ってて、楽しめる話題は何かな❓
部活の悩みとか聞いてもらってもいいかな❓」
とか、例えばですけど
こうしたちょっとした時間も、
コミュニケーション・スキルを高めるトレーニングの場になってるわけですね
若い子にとって。
この時、摂食障害女子の脳内は
どうなっているかというと、
友だち同士の集まりの中、
ひとり必死でカロリー計算をしています!
あるいは、この後どこで吐くか、あるいは吐かないか、
友だちが注文したスイーツと自分のスイーツはどちらが太りそうか、
そんなことで頭がいっぱいのため
その場で交わされている会話には
全く興味がありません!
テキトーに、皆んなが笑うところで笑い
「そーなんだー」
「へー」
「すごーい」
と、合いの手を入れるくらいで、精一杯です。
食べ物と体重のことで頭がいっぱいのため
他人に興味を持つ心の余裕が無いのです。
…こんな感じですから、
例えば
こうした摂食障害が20代で治ったとして、
当人のコミュニケーション・スキルは10代前半で止まったまま、
ということがあり得ます。
すると、依存症から回復しつつある中で
自分が、いろいろな面で同世代から遅れをとっていることに、
絶望的に気づくことになるのです。
この現実が苦しくて、
症状のほうへ後ずさりしたり、別の症状を作り出してしまう人もいるようです。
ですから、回復する、っていうのは
苦しいことなんです。
どう考えても。
そのことを心の底から理解出来るのは
「回復者セラピスト」
ということになるでしょう。
自分が回復者である、ということは、
治療者にとって武器であり、財産になります。
そのようなわけで
「回復者セラピスト」としての私は
ずっと忙しかったですよ。
今も忙しいです。
自分の実年齢に見合った自分になるために
やることが、山ほどあるのです。
しかしその道のりを、私は
わりと楽しんでいるかもしれません。
やることが山ほどあるということは
退屈しない、ということなので
退屈しない人生。
悪くないと思います。
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