「世のため人のため」とは自己犠牲?
以前、働きアリの法則とか働きバチの法則なんて記事を目にしました。
読んでみると、なるほどたしかにそうかもしれないなぁって。
おもしろい発見だなと思いました。
宇宙全体、その中の地球も、たくさんの法則の現れなんだろうなぁと
凡人の私でも、なんとなく思う訳ですよ。
世界の科学者たちが、日夜その法則を発見しようと努力してくれていて、
技術者たちがその法則を活用して「かたち」にしてくれることで、
今日の私たちの生活がある訳です。
ありがたいことですよね。
宇宙すべてが法則の現れということを考えれば、
人としての「幸せな生き方の法則」だって、当然、ありますよね?
その一つに、
いつでもどこでも誰とでも
「世のため人のためにお役に立てますように」と心掛ける生き方
があります。
法則という言葉の意味は簡単に言うと
「そうだからそうです」ですね。
何で?は無い訳です。
そうかと受け止めて、おこなってみると「なるほどそうだわ」って。
法則ですから。
ただ、行わずに頭の中だけで結論を出そうなんて無理をすると、
「生き方」だけに、誤解されることもあるかなぁって思うのですよ。
世のため人のためにお役に立てますように。
言葉で書けば「そう」なのですけど、
そう聞いた多くの人は「自己犠牲」と受け止めるかもしれないと、
布教師として経験的に思うのです。
そもそも、
自己犠牲は、
幸せな生き方ではありません。
言葉で書けば、
「自他祝福」が幸せな生き方です。
だいたい、自己犠牲は「続けられません」から。
なぜか?
「楽しくないから」です。無理がありますから。
楽しくないと感じるときは間違いなく「自我」にとらわれていて、
その時その場で感じている「本当のこと」「必要なこと」をせずに、
「無理」をしている訳です。
「自我」の中身はほとんどが「自尊心」です。
「世(世界)」ではなく「自分」に心が向いている生き方です。
「世の一部として生かされている自分」なのに、
自分が中心ではバランスを崩す訳です。
「世」の中で気付いたことを
我がことと受け止めて「実現していく幸福感」を
積み重ねていくことが、
「世のため人のためにお役に立てる幸せな生き方」です。
その些細な積み重ねの誠で、
だんだんと感覚できる「世(世界)」が広がっていき、
どんな「世(世界)」でも、自己犠牲なんかじゃなく、
一つの思いで、喜んで楽しく関われるように成長していけるんです。
人って「そうできている」んですよ、法則ですから。
がんばって(我を張って?)自尊心で自己犠牲に陥らないことを祈っています。
焦(あせ)らない焦らない。
人生は芸術である、楽しかるべきである。
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