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さよなら、ゴールデンウィーク

その店は駅前通りから一本入った小さな路地裏にある。いわゆる「看板」は出ていない。店の名前の入ったシルバーのプレートが灯されているのを確認し僕は扉にそっと手をかけた。開けてみるとそこはいつも通りだった。

「いらっしゃいませ」

「開いててよかった」

この店での自分の定位置、カウンターの一番奥に腰をかける。

「ビールでいいですか?」

「うん、お願い」

ゴールデンウィークの最終日。仕事帰りのお客をメインターゲットにしているお店は閉めているところも多いが、なんとなくこの店『Cafe SARI』なら開いてるだろうと思っていた。

「今日はお仕事だったんですか?」

「もちろん。今年もゴールデンウィークにしっかり働かせていただきましたよ」

「そうでしたか」

「沙璃さんは? 少しは休めたの?」

「ううん。どうせやることもないしと思って、今年はずっと開けてました」

やることなんていくらでもあるはずなのに。でもそれがこの店らしさでもあり、沙璃さんらしさでもある。沙璃さんなら開けてるだろうと思っていた。

「あらら、それはそれは。お互い仕事が好きで困ったもんだね。じゃあ連休中に頑張った沙璃さんに一杯ごちそうさせてください」

「ありがとうございます。遠慮なくいただいちゃいますね」



いつも通り。

いつも変わらない。

グラスを見つめる沙璃さんの横顔とビールが注がれる音。 

街が動いてようと休んでようと、人が騒がしくても静かでも、この店はいつも通り、いつも変わらない。

日が暮れて一日が終わる。それがどんな一日だったとしても、この店の扉を開ければ、そこには自分が落ち着ける場所が用意されている。

それが僕の生活にとても大きな安心感を与えてくれていると言っても大袈裟ではないだろうと最近思い始めている。

スピーカーからは、いつも通り、いつもと変わらずビル・エヴァンスのピアノの音が流れている。

『I Got Rhythm』はジョージ・ガーシュウィンの曲だ。作曲は1930年というから今から90年も前になる。だが古さは感じない。

この曲を最初に聴いたのはある映画を観たときだった。その軽快なリズムと歌声がとても印象に残っている。ビル・エヴァンスが演るとまた味が違ってくるのだが。

リズムがある、
音楽がある、
あなたがいる。
これ以上、わたしに何が必要だっていうの?

たしかそんな歌詞だった。


「はい、どうぞ」

「ありがと。じゃ、ゴールデンウィークを働きぬいた僕たちに」

「乾杯」


ゴールデンウィークか。たくさん休みがあるから黄金なのだろうけど。思い返してみればゴールデンウィークの祝日を全部休んだことなんて一度もないかもしれない。

18歳から働き始めてからというもの、正月や祝日や、人が休みの日にはだいたい働いてきた。だから休めないのには慣れている。

休みが仕事でつぶれても「あぁ、またか」と、かっこいい言い方をすればすぐに覚悟ができる。かっこ悪い言い方をすればすぐにあきらめることを覚えた。


「今日の料理は何があるの?」

「ラザニアがありますよ」

「お、いいねー、いただこう」

「はい」


人が休んでいることをあまりうらやましいとも思わないのは、僕にちょっとひねくれているところがあるからかもしれない。人と全く同じ行動をとるのは若い頃から苦手だ。みんな同じ、みんな一緒、そうしたベクトルが揃い過ぎてる場所はなぜか避けたくなる。

だからみんなが休んでいるときに働くのは嫌いじゃない。働く時間も休む日も全部みんなと一緒よりはよっどいいと思っている。

「次、何にします? ハイボールでいいですか? 」

「んー、ワインにしてみようかな」

一杯目はビール、二杯目からずっとハイボールが僕のいつもの飲み方だ。でも今日はちょっと気分を変えてみたかった。

「あら珍しい」

「あの、ソービニなんとかっていうワインある?」

「ソーヴィニヨン・ブランですか?」

「あぁ、それそれ。ちょっと前に教えてもらってね、おいしかったんだよ」

「へぇー、どこで?」

さすが沙璃さん。ボールを受けるのも投げ返すのも上手い。

「えっと… まあ、その…」

「誰に?までは聞かない方がよさそうですね」

そして笑顔でサッとボールを引っ込めるのもとても上手い。

「ワイン、沙璃さんもよかったら」

「はい、いただきます。私もこれ、好きなんですよ」


いつもならそろそろ混み始める時間だが、さすがに日が悪いのだろう、僕の貸し切り状態が続いている。

そう、たまにこういうことがある。

人と違う行動をとると、神様が思わぬ幸運を与えてくれることがある。

もし僕が今日休みで家にいたのならば。わざわざ外に飲みに行こうとは思わなかったかもしれない。そしたらこんな貸し切り状態で飲めることなんてなかった。

もし僕が人と同じように働き人と同じように休んでいたとしたのならば。今こうしてのんびりと沙璃さんと二人でお酒を飲み交わすことなんてなかっただろう。カウンター越しではあるけれど。


「もう飲んじゃったんですか?」

「うん。これサラッと飲めちゃうんだよね」

「いつもよりピッチ早いですよね? ひょっとして明日お休みとか?」

「バレた?」

さすが沙璃さん。

「いいなー。どこか行くんですか?」

「そうだね、夜は渋谷に行こうかなと思って」

「へぇ、渋谷ねぇ。このゴールデンウイークたくさん働きましたもんね。やっとお休みですから、た~っぷり楽しんできてくださいね。誰と?までは聞きませんから」

「いや、あの、そうだね」

最初からわかってたけど、この人には隠し事はできないな。



今年のゴールデンウイークもこれで終わりだ。

今年もよく働いた。

たぶん本当は、自分の胸の奥底には、みんなと同じようにたくさん休んで旅行でも行って、なんて暮らしに憧れもあるのだろうけれど。

でも、僕はこれでいい。

僕には自分がするべき仕事があって。お酒があって、料理があって、音楽があって。この店があって、そしてこうしてたまに話を聞いてくれる人がいる。

これ以上僕に何が必要だっていうんだ?

「沙璃さん、次はフォアローゼスね。ロックで」

「飲み過ぎじゃない?  明日はお楽しみなんでしょ? 大丈夫?」

「大丈夫。明日行くお店さ、ワインが美味しいらしいんだね。よかったら沙璃さんも今度一緒に行こうよ」

「わたしはお店があるから」

これもいつも通り。僕の投げるキメ球はいつもギリギリでかわされる。

でもこれでいい。いつも通り、いつも変わらない。これ以上何が必要だっていうんだ。

「だよねぇ~」

「でも。いいわよ」

「へ? いいの?」

「はい。私も今年はたくさん働いたから。来週はお休みにします。美味しいお酒、ごちそうしてくださいね」


ほらね。

今年もたくさん働いた僕に、神様は思わぬ幸運を与えてくれた。


さよなら、ゴールデンウイーク。

また来年。


--『I Got Rhythm』--
I got rhythm,
I got music
I got my man,
who could ask for anything more?

リズムがある、
音楽がある、
あなたがいる。
これ以上わたしに何が必要だっていうの?


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