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Here's That Rainy Day

僕は雨男だ。ここぞという日には必ず雨が降る。でも悪いことばかりじゃなくて、雨が降った日には何かいいことが起きる。

だから雨に降られてビショビショになったとしても「そうか、今日はこれから何かいいことが起きるんだな」といい気分でいられるのだけれど。

たまに何をやってもダメな日もある。雨なのに、どうも全てがうまく噛み合わない日。どうやら今日がその日だ。


その店は駅前通りから一本入った小さな路地裏にある。いわゆる「看板」は出ていない。

「いらっしゃいませ」

「ひさしぶり」

「ほんと。最近何してたの?」

「まあね。ちょっといろいろあって、お酒を控えてたんだよ」

「あら、そう。何にします?」

「まずはビールを一杯もらおうかな」

この店にとっても僕は雨男、といっても僕が雨を降らすわけじゃなく、雨が降ると店に来る男という意味だ。


いつもの定位置、カウンターの一番奥の席に座り出されたビールを口につけると、一気に半分飲み干した。

「ふぅ。うまい」

飲み物も食べ物も、"美味しい"はほぼイコールでしあわせだ。本気で不幸な時には味なんて感じない。もし、口に入れたものを美味しいと感じられたのなら、きっとまあまあしあわせなのだ。

そう。悪いことしかなかった今日だけど、たぶん僕はまあまあしあわせなのだ。



飲み干したビアグラスを見て沙璃さんが言った。

「どうします?」

「今日の赤ワインは何?」

「チリのカベルネ・ソーヴィニヨンですけどいかがですか?」

「チリね。じゃ、それちょうだい」

なんとなくこちらが選んだ風にしてみたけど。ホントはどんなワインでもそれを注文するつもりだった。それをわかっていながらかっこつけさせてくれるのがこの店、いや、沙璃さんのいいところだ。

出された赤ワインを口に入れる。まずはゆっくりと舌全体を浸すように。そして飲み込む。

うまい。

この店のオーナーであり店長の沙璃さんのワイン選びは間違いない。高いとか安いじゃなく、ちゃんと"美味しい"を提供してくれる。

だから安心できる。それは信頼とも言える。

そう、そういうことなんだと思う。

信じられる人。信じていい人。

「どう?」

「うん、おいしい」

「でしょ? きっと気にいると思った」

「ビンゴー」

「今日は雨降りだから。顔見せるんじゃないかなー、なんて思ってたんです」

「あらー、それも読まれてたんだね。ではお姫様、一杯お付き合いいただけますか?」

「よろこんで」

人の笑顔というものは、なぜこんなに心を癒やしてくれるのだろう。

悪いことしかなかった今日という一日が、だんだんと、やわらかく、ほぐされていく。

雨の日はヒマだろうから、と優しさを装ってこの店に来ているけれど、ホントは他のお客がいないとこうしていろんな話ができるから。


スピーカーからはビル・エヴァンスの『Here's That Rainy Day』。

雨の日、ではなく、まさかの日。なんて日だ!みたいな意味合いらしいけど。


雨の音。

ビル・エヴァンスのピアノ。

赤ワインの香り。


「今夜はヒマだね」

「ヒマですね」

雨の音。

「沙璃さんさぁ。人に裏切られたって思ったことある?」

「はい。何度か」

即答だった。

躊躇がなく、それだけに正直に感じられた。


人に裏切られた。期待しすぎたから裏切られたって感じるんだよ、と人は言うけれど。期待してない人となんて最初から付き合わない。

この人はいい人だ、この人とはいい関係が築ける、この人となら明るい未来を歩んでいける、そう思うから付き合い始める。

それはつまり期待からスタートしてるってことなんだけれど。

結果は残酷で、期待と真逆になることがある。

期待が100で結果が0ならいい。でも期待が100で結果がマイナス100になることがある。

あのクソ野郎!と怒れるならまだ傷は浅い。傷が一番深いのは「なんで俺、信じちゃったんだろう…」と自分を責める時。

そんな時は、過去への後悔と共に未来への不安で、自信がなくなる。


「もう一杯、同じの」

「はい」


人を見る目は鍛えられたはずなのに。また勝手に人に期待して、勝手に裏切られて、勝手に落ち込む。

性分なのかもしれない。

【性分(しょうぶん)】
生まれつきの性質。

仕事相手だった。

みんなは反対したけれど、僕は「年齢や経験、性別で判断するのは僕は好きじゃない」と押し切った。

50代の男性。

結果、勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じて、勝手に落ち込んだ。

これが性分だとするなら、我ながらタチが悪い。 



雨は止む気配はなく、ビル・エヴァンスのピアノが響く。

「人に最大限の愛情を持って接して、それでも裏切られたって思ったことある?」

「はい。何度か」

そっか。

俺だけじゃないんだね。

沙璃さんほどの人でも。

ずっと前に何かの本で読んだことがある。
「キリストほどの人でも直属の部下に裏切られたんだから」
いわんやをやだ。(「イワン八百屋」だとしばらく思っていた)

沙璃さんほどの人でもそうなんだね。


最近は「承認欲求」なんて言葉をよくきくけれど。

その手前で、認められるとか前のその手前で、許されたい時が僕にはあるのだと思う。

失敗の結果そのものよりも、その手前の選択を「それでよかったんだよ」と許されたい時があるのだと思う。

でもそれがなかなか難しい。自分で自分を許すのが、大人になるほどに難しくなってくる。

大人だから。子供じゃないんだから。たくさん経験を積んだんだから。

でも沙璃さんでもそういうことがあるなら。

ちょっと自分を許してあげてもいいような気がしてくる。

少し酔ってきたのかもしれない。


「もう一杯、同じのを」

「はい。今日は、なんかありました?」

「ううん。なんにもないよ」

「そうですか。それは良かったですね。いい日ですね」

「そうだね」

「私ももう一杯いただいてもいいですか?」

「もちろん」



そうだね。

今日もいい一日でした。

Here's That Rainy Day

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