高柳しい
エッセイと写真。
終わらせないことだけを大事に。
「ねぇ」からはじまる。「ねぇ」でおわる。
我が家には大中小の猫がいて、一番身体の大きい子をわたしは「大きなねこ」と呼んでいる。体重は8キロ近くあり、立ち上がると子どもと身長は変わらない。「ごましお」が本名だけど、家庭内で勝手なあだ名をつけるのがたのしい。家庭内にしかいない猫だけれど。 この大きなねこが、わたしの人生を変えたのだ。 大きなねこは、中くらいの猫(3キロ)と共に保護団体から我が家に来て、もうすぐ6年経つ。生後3ヶ月で我が家に来た二匹。先日、普段二匹が食べているご飯に「アダルトキャット(1〜5歳)」と書い
頭の中のひとりごとが止まらない。止まらないことを意識するのも止まらない。そういう日がある。そういう時間を頭の中で「ぴろぴろ」と呼んでいて、つまりわたしは最近、毎日ぴろぴろしているのである。ぴろぴろ。 こういう文章を書くと自分を不安に思う。おいどうした、と思う。ぴろぴろって何、これからどうなっていくんだろう、と思う。実態は、毎日ふつうに仕事して、ふつうにご飯を食べて、ふつうに子どもの歯を磨いて、普通に本読んだりゲームしたりしてる。そんで寝る。寝不足ではない。新しい枕は頭にジャ
うっすら暑い。汗ばんでいる、白いシャツの中であずき色のヒートテックがきゅっと肌をしめつけている。太ったのかもしれない。 家を出たゆきちゃんはよもぎ公園まで歩くことにした。途中でセブンがあったから寄って、鮭のおにぎりと蒸しパンと紙パックのオレンジジュースを買った。袋ももらった。蒸しパンは、よもぎ公園の池の鯉にも半分あげるつもりだ。よもぎ公園は本当は坂下第二公園という名前だけど、たくさんよもぎが生えてるからヨコさまがよもぎ公園と呼び、それがふたりの中の共通認識になったので、ゆきち
いるよね。すぐにスマホとか鍵とかなくすひと。大事な書類こそどこかへ行くし、忘れ物も多い。うっかりやおっちょこちょいですぐ見つかってよかったねーで済めばいいけれど、たいてい、パニックを起こしながら半泣きで床をはいつくばって物を探すことになる。朝、仕事にいかなきゃなのに家から出られない、とかって。そういう人、いるよね。 わたしだ。 今朝のわたしだ。察してくれ。 鍵をなくすのは今月2回目。ダイオウグソクムシのキーホルダーをつけた鍵。車に乗ろうとして鍵の不在に気づいた8:12。
疲れやすくなった。 年齢のせいだ、と友人には笑われるが、とは言ってもまだ33歳。経産婦ではあるけれど、こんな速度で身体が年を取るとは思えない。確かに長く眠れなくなったし、初めての白髪が生えたし、夜中に尿意で起きる日も増えた。わかりやすく加齢の影響を感じるけれど、いやしかし、もっとエネルギッシュな人間でいたい。そう、わたしはエネルギッシュな自分が好きなのだ。 フッカル、と褒められることがある。フットワークが軽い。略してフッ軽。軽さでおなじみのわたしのフットワークが最近かなり重
こんにちは、高柳しいと申します。個人事業として「エッセイ講座」なるものをやり始めて3年経ちました。今日はわたしの仕事の話をします。 この講座は友人から「ねぇ、エッセイってどうやって書くの?」と聞かれたのが始まりでした。わたし自身、エッセイの書き方を知らないままブログやnoteにエッセイを書いてきましたが、それも書きたかったから書いてるだけ、という認識。書きたいけど書けない人がいることを初めて知りました。そこで別の友人が「じゃあ書きたい人に向けて講座という形で教えてみたら?」
先日、双子が車内で喧嘩を始めた。仕事を終えて、学童に迎えに行った帰りだった。車用に置いてあるトムとジェリーのDVDのどの話を見るかで揉めており、心底どうでもいい喧嘩ですね?と静観しつつ、すっからかんの冷蔵庫を思う。夕飯の足しになにか買おうとセブンの駐車場に着いてギアをパーキングに入れたときに、その音は聞こえた。 ぼこん! 金属がやわらかいものに強くあたった音。振り返るとひとりが頭を手でおさえ今まさに泣かんと目になみなみと涙をため、もうひとりの手にはミッフィの水筒(柔らかい
自分の書いたものに悲しみの雰囲気があることを嫌だと思ってきた。 けど昨日初めて、こんな自分でよいのではないか、と思えた。 岸政彦さんがTwitterで紹介していた本、 カート・ヴォネガットについて書かれた「読者に憐れみを」を読んでいて、思わず線を引いた場所がある。 ヴォネガットの文章にただよう悲しい雰囲気について彼が語った部分だ。彼は「子どもの頃から悲しいことがいろいろあったから、それがわたしの作品の悲しい感じと関係があるんだろうね」と言っていた。悲しい雰囲気の文章を書いて
うちの大きなねこが、尻を見せてくる。さ、どうぞ、と尻を見せてくる。しっぽは天井に向かってぴんと立っている。つまりここで言う尻は臀部でなく肛の門で、去勢手術によって小さくなったタマも一緒に見せてくる。母猫にお尻をなめてもらった子猫時代の名残だとどこかで読んだ。わたしに尻を向け、さあどうぞ、と言わんばかりに振り返るねこのなんとも言えない甘えた表情を見つつ、はいはい、と見せられたそこらへんを手のひらでぽんぽん、と優しく叩く。続けてしっぽのつけねもぽぽぽんと叩く。うちの大きなねこの肛
お昼に何を食べるかと、つばめについて考えた日。 今日は職場の人と予定していたランチに行く。カンカン照りの中、着ていた作業着を頭からかぶって歩いた。ほっかむり、じゃないけど、ああいうのなんていうんだろう、江戸時代とかに傘がない人がやってる服装というか、ポージング?分かんない言葉が多いや。 徒歩で10分の定食屋さんに行く途中、酒屋が気になった。酒饅頭が大好きで、と同僚に話すと、じゃあ帰りによりましょう、と言われてうなずいた。さらに道を進むと、雑貨屋さんを見つけた。風見鶏のかもめ
朝、ケンカする子どもらをうまく送り出せなかった。もっと優しくすればよかったし、長靴をはかせればよかった。あーあ。すごい大雨。 大雨の中、夫に車で職場に送ってもらう。夫は普段わたしが通るのと違う道を進んだから、いつもの汽水域は見られなかった代わりに、田んぼの真ん中に飼われているヤギたちを見られた。ヤギは大きな丸い筒の中や、ヤギのための遊具の下に隠れていた。ヤギも雨が嫌いなんだ、と思った。そして、いつか見た夢のことを思い出す。 そこはおばあちゃんちの前だった。小学校を建築する
朝。双子が着替える場所を巡って言い合いを始める。こっちに来ないでよね、とか、行かないって言ってるでしょ、とか。言い合いは急にヒートアップして、殴り合わないだけの乱闘みたいになった。キッチンにいたわたしは、このへんで水筒にお茶を入れる手が止まった。ただいま07:09。 あらあらどうしたんや~とふ抜けた声でなだめる。でももう遅かった。言葉でなく声がぶつかり合って、「静かにして!やめて!」とわたしまで大声を出して乱闘に参加。1年生になったふたりは最近、着替えを相手に見られるのを嫌
BUNCAさまにて短編小説『短いこゆび』をご掲載いただきました。 読んでいただけると嬉しいです。 (猫のエッセイでフォローいただいた方が多いと思いますが、今回、ねこは出てきません…植物がもりもり出てきます) https://blog.bun-ca.com/useful/5991.html
うちにいるねこ、3匹ともに首輪をつけてない。外に出すわけでもないし、必要もない。その前に、ねこはもうその姿ですばらしく完成形な気がして、首輪なんて余計に思えたから。裸のねこが好きなのよ。 でも。首輪つけちゃった。つけちゃったよ。ああ。 Catlogという首輪。家にいなくてもねこがどんな様子かスマホを見ればわかってしまうスグレモノ。 そのきっかけはねこの病気だった。先月、茶トラのきーちゃんが肺炎にかかった。1年ぶり、2回目の肺炎だった。わたしは平日外で働くようになったので、
友だちって何人いる?って聞かれたらわたしは、きっちり人数を数えてしまう。「高校のときの友だち」「大学のときの友だち」って言わなくても今も「友だち」って言える人。わたしは多分、友だちが結構いる。結構てのは誰かの友だちの数との比較じゃなくて、自分が大事にできる量を超えてる感による「結構」で、わたしは友だちが両手からあふれてる。友だちひとりひとりを大事にする性質によるものかもしれない。 春頃から、友だち付き合いを減らそう、と思い始めた。わたしは友だち付き合いをするととにかく会って
小学生の頃、家と学校を行き来する道である通学路は厳格に決められていたものの、帰り道は行きとは違う道を通りたくなる性格だった。そしてクラスメイトが先生にチクるのだった。わたしは近所の犬すべてに挨拶できる道(犬巡りロード)を友だちと作って、日々犬巡りをしていたので、しょっちゅうクラスメイトに注意された。ある日、二人の女の子に帰り際、こう言われた。 「つ」「う」「が」「く」「ろ」「や」「ぶ」「り」「は」「だ」「め」「だ」「よ!」 (通学路通りに帰らないことは「通学路破り」と呼ば