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海から来ました。(エッセイ)

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エッセイと写真。
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書く音を聞く仕事

こんにちは、高柳しいと申します。個人事業として「エッセイ講座」なるものをやり始めて3年経ちました。今日はわたしの仕事の話をします。 この講座は友人から「ねぇ、エッセイってどうやって書くの?」と聞かれたのが始まりでした。わたし自身、エッセイの書き方を知らないままブログやnoteにエッセイを書いてきましたが、それも書きたかったから書いてるだけ、という認識。書きたいけど書けない人がいることを初めて知りました。そこで別の友人が「じゃあ書きたい人に向けて講座という形で教えてみたら?」

アフリカゾウにも、ラッコにもカナブンにも

自分の書いたものに悲しみの雰囲気があることを嫌だと思ってきた。 けど昨日初めて、こんな自分でよいのではないか、と思えた。 岸政彦さんがTwitterで紹介していた本、 カート・ヴォネガットについて書かれた「読者に憐れみを」を読んでいて、思わず線を引いた場所がある。 ヴォネガットの文章にただよう悲しい雰囲気について彼が語った部分だ。彼は「子どもの頃から悲しいことがいろいろあったから、それがわたしの作品の悲しい感じと関係があるんだろうね」と言っていた。悲しい雰囲気の文章を書いて

2番目に楽しいこと

友だちって何人いる?って聞かれたらわたしは、きっちり人数を数えてしまう。「高校のときの友だち」「大学のときの友だち」って言わなくても今も「友だち」って言える人。わたしは多分、友だちが結構いる。結構てのは誰かの友だちの数との比較じゃなくて、自分が大事にできる量を超えてる感による「結構」で、わたしは友だちが両手からあふれてる。友だちひとりひとりを大事にする性質によるものかもしれない。 春頃から、友だち付き合いを減らそう、と思い始めた。わたしは友だち付き合いをするととにかく会って

ちょっといまTwitter見そうになってたやん

明日23時までTwitterを開かないというルールを課した。けど、課した3分後にはブラウザにタブ追加してTwitterを開いていてヒエッってなった。課す、とは。トワ・エ・モワ。 こういう謎の工夫は楽しい。 *** コロナの影響で秋から収入が減っている。年末年始、仕事のことが頭から離れなくなり、脳みそが深刻な態度をとるようになった。仕事どうしよ、と頭に浮かぶたび「働かずして食う飯はうまいか」と脳みそが話しかけてくる。やめてほしい。このままでは怯えるばかりで行動に変化が起き

生きてるみたいに、死んでるひと

死んだように生きる、って言葉があるけど、生きるように死んでる、ってこともあるよな、とふと思った。 わたしの記憶には、まさかもうこの世にいないとは思えない人がひとりいる。頭の中には生きてる彼女がいて、いつも静かで、体育の授業のバレーボールではレシーブが下手すぎて空気が固まるほどで、白い肌と空気に透けそうな茶髪がかわいくて、白い花に囲まれてそうな小柄な女の子で。いつも少しだけ笑って、そしてうつむいていた。彼女とわたしは同じ高校の隣のクラスにいて、体育の授業で一緒になるだけで、な

にゃんちゅう

そんな予定はないけれど、次に家にねこを迎えたら、なんて名前にしようかなと考えるのは、とても楽しい。 *** 大学生の頃に拾ったねこは「うりぼぅ」(愛称 うーちゃん)だった。わざわざ小さくした「ぅ」に大学生時代のわたしの痛い浅はかさ、と「う」じゃないよ「ぅ」だよという自己顕示欲が出ていた。そんな名前をつけられた三毛猫のうーちゃんだったけれど、普段からとても静かでずっとくっついてくることはなく、かと言って離れているわけでもなく、気づけばそばにいる、朝起きたら布団の中にいる、そ

いつかうつわになる日

寒くなった。実家の犬が死んだ。 それだけなんだけど、しぼんでいる。夫がわたしの好きなお店でのランチを提案してくれたり、いつもなら頼まないデザートを頼めば?と言ってくれたり、なんとなしにとても優しくて、わたしが好きなアイスを買ってくれて、折に触れてスタバにでも行こうかと言ってくれて、ああもう早く元気になりたい、と思う。 とても普通に、自然に、わたしは毎日笑う。友達に会って、猫に背中に乗られて、双子がふざけて、毎日笑う。でもなんか違う。ちょっと違う。筋トレの習慣がパッタリと消え

こういうの、ないですか。そうですか。

歩幅が違うことってないですか。ないですかね。 どれだけ互いを知っている相手でも、歩幅が違っていては同じ景色を見ることができなくて、もどかしくなったりして。 時間の経過や人生のフェーズの変化で人と離れたり近づいたりすることって、ごく自然なことだと思うのだけど、今はそれがさびしくて、そんな自分を悲しいなと思ったりもする。 ちょっとした言葉にその人の態度が出るように思われて、言葉尻が気に食わなくて、難癖をつけたくて、思春期の朝のように敏感になってる。そのくせ今とてもさびしくて

愛さざるをえないひとよ

ああ、想像よりも、かわいい声のひと。 わたしが彼女にもった第一印象は、声だ。 彼女とわたしはその日、知り合って初めてお喋りをしていた。知人の紹介で「お話しませんか?」と声をかけてくれた彼女のことはわたしも元々知っていた。ドイツにいること。雑誌の取材を受けるような、自分らしいお仕事のスタイルを持っていること。写真で見た、お人形さんのような薄い色素の肌と、ほほのえくぼ。 スピーカーからゆるやかな弧を描いて耳に、そして頭の中に彼女の声が届く。わたしたちは日本とドイツという超遠

愛だから

好きなものについて語れますか。わたしはカマキリが好きなんだけど、それについてあなたはどう思いますか。 *** いや、どう思っててもいいんですけどね。 夕方のリビング。視界の正面には窓があって、座ってても少しだけ、海が見える。残念なことにうちのマンションのガラスには黒いワイヤーが入ってるから、座ったまま見えるガラス越しの海は、実物というより壁紙みたいだ。3日前に物置部屋からひきずり出したこたつは夏用のテーブルより高さがあって、パソコン作業には不向きだった。しばらくキーボー

不可逆と共にある

三日前からわたしは、顔を大事にし始めた。 三日前のわたしは、ふと自分の顔が気になった。 顔が、なんか、気になったのだ。 まず毛穴が気になるし、顔の赤みも気になるし、そして、つやがない。二十代前半の頃、徹夜した翌日はこんな肌だった。今は夜7時間寝てもこんな肌なのだ。 一度気になるとずっと気になる性分なもんで「毛穴 ツヤ」などと検索しまくって、これは乾燥に違いない、そう確信した。 お次は、乾燥には保湿だろうと思い「保湿 プチプラ」で検索する。すごくいいなと思っても、あまりに高

目を閉じて誰かに出会うこと、その手をにぎること。

なにか、の中にいるのだった。 ここはどこなのか。いや、それよりも、この身体の周りにあるものは一体何なのか。焦りはないけれど、緊張はしている。この状況は、異常だ。 浮遊感はある、が、明らかに空気でない何かに支えられている身体。ちょうど今は両肘が身体の外側に向き、手は身体の前にあって、足は、足は、これ足はどうなってんだろ。折りたたまれてる。たぶん。 肩から先を動かそうとすると、抵抗が大きかった。どこなら動かせるのだろう。試しに指先に力を込めた。 ずぬぬぬぬ。 左右の手

おとこをみつけた

仕事を終えて、保育園に向かって歩く。迷わず海沿いへ続くドアに手をかけた。足取りは軽い。晴れているけどそう暑くもない。眼前の海の湿った存在感に反して、髪をすすぐように向かってくる風はさわやかだった。 いつもより少し早く迎えに来ただけなのに、わたしの顔を見た双子は「おかーちゃん!」と跳ねて喜んだ。 靴をはいてリュックをしょった二人は、園庭で、上手になったという鉄棒の技を披露してくれる。「見て!ほら!」という声も表情も、わたしを安心させる。二人がこの園に入れてよかったと何度も思

だれでも書けるよ。

もしあなたが「書く」ことに困っていたら、わたしと一緒に自分の見たもの、感じたもの、そのときの心のありようを書いてみませんか。 ーーーーーーーーーーーーーーーー わたしは普段エッセイを書いています。 特にエッセイの書き方について考えたことはなくて、なんとなく、感じたままに書いています。ある日、友人に「エッセイを書いてみたいから、書き方を教えて!」と聞かれました。 わたしが普段、自然とやっている「書く」ことを、改めてだれにでもできる形にできないかなと模索して生まれたのが「だ