見出し画像

風(4月20日)

朝。双子が着替える場所を巡って言い合いを始める。こっちに来ないでよね、とか、行かないって言ってるでしょ、とか。言い合いは急にヒートアップして、殴り合わないだけの乱闘みたいになった。キッチンにいたわたしは、このへんで水筒にお茶を入れる手が止まった。ただいま07:09。

あらあらどうしたんや~とふ抜けた声でなだめる。でももう遅かった。言葉でなく声がぶつかり合って、「静かにして!やめて!」とわたしまで大声を出して乱闘に参加。1年生になったふたりは最近、着替えを相手に見られるのを嫌がり、しかし相手がどんな服を着るのか互いに見たがるのでケンカになる。風呂には二人一緒に入るのに、裸からパジャマに着替えるときは恥ずかしいから一人になりたいのだそう。そうか。わからんでもない。銭湯でも洗い場では恥ずかしくないのに、脱衣所ではなんとなく恥ずかしいと思うもの。

今朝はわたしの機嫌も悪かった。なかなか起きられなくて15分寝坊。焦っていた。一度静かになったふたりにかける声に明らかに棘があった。今言わなくていいことまで言った。子どものひとりが「もういい着替えない!」と座り込んだとき、ああ、やってしまったと思った。もう遅い。もう遅いことばっかり。

一度キッチンに戻る。お茶の入った水筒に蓋をまわしてつける。食洗機で水筒の蓋を洗うと、いつも水がたまってうっとうしい。蓋を取り上げる手がうっかり斜めになって、せっかく乾いた食器に水がたれた。イライラする。着替え終えた一人がパンを食べ始める。今日はマヨネーズとハムのパン。チーズをのせて焼こうと冷蔵庫をあけたら、チーズの外袋だけで中身がない。騙された。トイレにいる夫にチーズを食べたのかと問う。スライスチーズなら1枚だけ食べたよという。それが最後だったんだから袋を捨ててくださいよねと言うと夫が笑って「はーい」と言う。夫のことは大好きだが、こういうときに「ごめん」って言わないところ、好かん。まったくもう。そして、あなたがスライスチーズだと思って食べたのはとろけるチーズだ。とろけてないチーズ、とろける予定だったチーズを食べた夫。どゆことなん。チーズの無念を感じる。とろけるポテンシャルがあったのに。

水筒とお給食用の箸をダイニングに出す。連絡帳、給食袋、教科書、削りたての鉛筆。ああ、わたしだけじゃなくて、子どもも疲れてるんだ、と思った。子どものほうがずっと大変なんだ、こんなに生活が変わったのだから、と何度思っても忘れてしまうことをまた思い出した。
一度ちゃんと息を吸って吐いて、座り込んだままのひとりのもとへ。まだトイレの前に寝そべっていた。顔がびっしゃりと涙で濡れている。
みーちゃん、疲れちゃったね、お洋服着替えよう、手伝うよと言うと、もうわかった、手伝わなくていい、と着替え始めた。
キッチンに戻って、今度は自分の昼ごはんを作る。まずはスープ。豆腐、冷凍ほうれん草、中華だしの素、醤油、水。密閉できるタッパーに全部入れてチン。あたたまったタッパーを見て、水が多いのが気になった。お湯で戻さないままの春雨も入れた。昼までには水を吸って柔らかくなるでしょう。仕上げにごま油ちょろり。あつあつのままタッパーの蓋をしめた。冷めるのを待てたことがない。
いつの間にか着替え終えた子がキッチンの横にしんみりして立っていた。着替えができたね、今日はハムのパンだよ、そう声をかけても動かない。お腹が空いてなかったらデザートの苺から食べてもいいし、ヤクルトを飲むだけでもいいよ、お給食まで時間があるからお腹が空くとひもじいでしょう、ひもじいってわかる?お腹が空いて悲しくなるんだよ、ね、食べなよ、と頬をなでた。子どもを相手にするのは苦手だけど、子どもに話しかけるのは苦手じゃない。猫にだって虫にだって話しかけるのと同じだ。返事がなくても表情を読み続けるだけ。涙でむくんだ赤いまぶたをマッサージすると、ちょっとだけわたしのお腹に顔をくっつけて離れて、ご飯のテーブルについた。パンをかじる姿を見てほっとした。すかさず脇に体温計を差し込んで体温を測る。背後から体温計を差し込むわたしと、パンを両手で食べる子どもの手が交差する。
体温測定は学校から課された毎朝のルールで、体温や体調をカードに書いて提出しなくちゃならない。放課後に行く学童保育の連絡帳にも同じように体温を書きつける。こんなにも生活が変わったんだ、と思う。

パンを食べて元気になったのか、饒舌に話し始める子どもに相槌をうちながら、時計を見たら思ってたより15分遅い。寝坊したから当然だ。これじゃ昼ごはんのメインは作れないと気づいて、職場の冷蔵庫においたままのカレールーを思い出した。ランチはカレーにするほかない。カレーの気分じゃないけど。

双子に荷物の確認をしてもらう。教科書、水筒、連絡帳、給食袋。準備万端になったところでわたしもばたばた着替えてたらもう二人が家を出る時間で、毎朝一緒に登校してくれる(とろけるチーズを生で食べた)夫が玄関を出る音がした。その後、子がいってきまーすと叫び、わたしも脱衣所からいってらっしゃいと叫んだ。先週届いた、インスタでよく見る着圧レギンスがなかなか太ももに上がってこない。毎朝苦労してるけど足がむくまなくなったのはすごく嬉しい。でも履くのに2分以上かけてるから痩せないとまずい。

iPhoneで藤井風をかける。こうすればiPhoneを仕事に持っていくのを忘れない。鏡に顔を近づけた。今日は肌艶がいい。昨日新しく使い始めた洗顔がよかったみたい。最近は化粧水と美容液と日焼け止め乳液だけ。あとは眉毛と涙袋をかけばどうにかなる。どうにかなったことにする。髪の毛をざっくり濡らして、ジェルでわしゃわしゃする。
歯磨きしながら鏡を見て、今夜はシードルを飲まないぞと決める。今朝の寝坊は風呂上がりのシードルのせいだ。アルコールたった5%のスパークリングりんごジュース。甘くてすっきりして大好きだけど、15分の寝坊はちょっとね。

水筒をバックパックに、昼ごはんをランチバッグにつっこんだ。猫にいってくるねと声をかけて頭を撫でると、もっともっと、と頭を手のひらにぶつけてきた。
iPhoneの藤井風をさえぎって上着を着て外に出たら、5月みたいな風。おそいかかってきそうな新緑があっちの山からうちの庭へはみ出てる。

今夜もきっと、シードルがうまい。

サポートは3匹の猫の爪とぎか本の購入費用にします。