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短歌を詠むことが楽しい


私はことばを綴ることが好きだ。そして趣味のひとつが短歌を詠むことだ。短歌を詠み始めて半年が経つか経たないかくらいの最近、やっと「楽しいな」と思えるようになってきた。

今のところは、私自身の経験やその場で感じたことをそのまま単純に詠むことが多い。それしかできない。昔の恋なんかは素材にしやすい。おかげで未だに縋り付くような過去の失恋も、悪い失恋ではなかったなと思える。作品をツイートをしたりメモに溜めるほかに、うたの日という短歌サイトやRIUMという短歌アカウントに参加することもある。承認欲求が強めだから、他人に認められたいと思ってしまう。どちらかといえばそれはきっと良いことだけれども、評価を気にしすぎることは良くない。たまに気にしてしまうから、そうすると楽しくなくなってしまうから、いいねの数よりも自分の作品を愛してあげることを大切にしたい。

私のうたには解像度が足りない。とても視野が狭い。誰もが気づかないような視点でうたったり、誰もにとって当たり前のことをハッとすることばで導き出したい。個性を取り入れながら良いうたを詠みたい。圧倒的に技術が足りない。これはもう、とにかく数を詠むことで成長していくしかないとわかっている。それと、外に出歩くことも手段だと思う。今は下手くそでもいい。いいや、下手くそではない、飛び立たせるうたには自信をもちたい。

学生の頃、"教科書やノートの大事な箇所にマーカーを引く"という作業が苦手だった。勉強が苦手なわけではなく、むしろ、全てが大事な箇所に見えて厳選することが難しかった。なんとなく私にとっての短歌はそれに似たようなものだとも感じる。三十一音にはめるために、私のなかの拙い語彙からちょうど良いものを閃めき出す。知っている語彙の辞書から厳選するという作業が似ている。今の私には、それが楽しい。楽しいからやれる。

私は賢くないから、まだ、豊かな感性を持っていないから、ことば選びが難しい。堅苦しく考えようとしなくていいとわかっているけれど、簡単ではない。でも、もっと上手くなりたいから、楽しい。

ついさっき、"本を読む"ということが苦手である私が、何年かぶりに最初から最後まで一冊の本を読み終えた。『天才による凡人のための短歌教室』(木下龍也 作)という短歌について指導と助言をしてくださる本で、興味を持って読み進めることができた。まず第一に、本が読めて嬉しかった。そして、これを私の頭に取り入れることで短歌の基礎を学べた気がした。なにより、これは短歌というものを教えてくれた友人からの贈り物だったから、しっかり昇華できて良かった。

今日は短歌教室を読み終えてまた一歩天才に近づいた記念日だ。ありきたりなことばで、ありきたりな表現しかできない私は、いつか、いつかは、天才になる。

私はことばで天才になりたい。前向きな気持ちで今日を終えることができる。

たくさんのうたを詠んだ、短歌と向き合った。今日は良い日だ。

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