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サカナとコトリ

 小さな町の狭い入り江に毎日訪れるおじさんがいました。おじさんの仕事は郵便配達です。おじさんは配達のあいまのお昼どきに、その入り江の大きな石に腰をかけ、お弁当を食べることを楽しみにしていました。おじさんがお弁当を食べていると、きまって一匹のサカナと一羽のコトリが、おじさんに話しかけてきました。サカナは海と浜辺とのちょうどあいだくらい、波が打ち寄せるあたりに顔を出し、海の中のお城のこと、まばゆい光のことを話し、コトリはおじさんの足もとにたたずみ、遠くの町のいろんな出来事を話しました。おじさんはそんなサカナとコトリが大好きでした。
 まだ夏の日差しの残るある日のこと、サカナがおじさんに言いました。
「おじさん、お願いがあるんです」
 恥ずかしそうにしているサカナにおじさんは言いました。
「お願いっていったいなんだい」
 すると、サカナは思い切ったように言いました。
「手紙を届けて欲しいんだ。夜になると空に輝く大きなお月様にね。お月様にどうしてもかなえてもらいたいことがあるんだよ。サカナの世界の言い伝えなんだ。お月様に願い事をすれば何でも聞いてもらえるって」
 サカナは、おじさんが毎日たくさんの手紙を配達していることを知っていました。おじさんは、サカナの世界の言い伝えはよくわからないと思いましたが、サカナの願いはかなえてあげたいと思いました。おじさんはサカナに言いました。
「もちろんいいよ。手紙は書いたのかい」
「今そちらに届けるよ」
 サカナの声が大きく響き、波が小さなしぶきを上げました。サカナが高く飛び上がっています。白い小さな封筒が、おじさんの足もとに落ちました。ふたたび波の中に戻りながらサカナが、おじさんに言いました。
「お願いしますね。僕の大切な願い事なんですから」
 きらりと身をひるがえし、サカナは海に帰って行きました。
 サカナの手紙を受け取り、おじさんは少しこまりました。サカナの願いをかなえてあげたいと引き受けはしたけれど、お月様に手紙を届けたことは、今まで一度もなかったからです。しばらくしてそれまで黙っていたコトリが、首をちょっとかたむけながら小さな声で言いました。
「私が届けましょうか。夜の空に輝くお月様のところへ」
 おじさんは驚きました。鳥は暗い夜のあいだは、飛ばずに休んでいると思っていたからです。
「サカナさんの大切な手紙なのですから、私も届けてあげたいのです」
 コトリの優しい目を見て、おじさんはコトリに手紙を預けることにしました。
「では今日の夜、さっそくお月様に届けに行きますね」
 コトリはサカナの手紙を大切そうに胸に抱き、帰って行きました。
 その夜、空には、お月様に向かってひたすらつばさを羽ばたかせるコトリの姿がありました。コトリはただお月様だけを見つめて飛んでいました。大切なサカナの手紙を必ずお月様に届けようと、それだけを思っていました。しかし、お月様が近づくにつれ、だんだん息が苦しくなってきました。気が遠くなりそうになりながらも、コトリはお月様だけを見つめ羽ばたき続けました。しかし、お月様がとても大きく近くなってきたころ、とうとう力を使い果たしてしまいました。コトリはゆっくり静かに落ちて行きました。そんなコトリを、ただ月の光だけが優しく包んでいました。
 おじさんは飛び立つ前にコトリがおじさんに渡した手紙のことを思っていました。その手紙には、コトリのサカナへの思いが書かれていました。毎日おじさんのところに来ては、サカナに会えることを楽しみにしていたこと。そして、そのサカナの願いをかなえるためなら、何でもしたいと思っていること。そして、サカナのことがとても好きだということ。
 朝がきました。おじさんがいつものように狭い入り江の大きな石に腰をおろそうとすると、そこにコトリが横たわっていました。大切なサカナの手紙をしっかり抱いたまま動かないコトリを、おじさんは両手ですくい上げました。するとコトリがかすかにふるえました。おじさんは持っていたタオルでコトリを優しくくるみました。気が付くと、静かな波のあいだから、サカナが心配そうにコトリを見ていました。
「おじさん、コトリさんは僕の手紙をお月様に届けようとしてくれたんだね。でも、そのためにコトリさんが」
 サカナの声がだんだんと小さくなっていきました。
 その日から、おじさんはコトリを大切に看病しました。毎日コトリのことをたずねるサカナは、いつも涙を目にいっぱいためていました。そんなときおじさんはいつも、コトリのサカナへの思いをそっと思い出すのでした。
 やがてコトリは空を飛べるくらいに元気になりました。おじさんはコトリとともに、いつもの入り江に行きました。そこにはもうサカナが待っていました。元気になったコトリを見たサカナはおじさんに言いました。
「僕の手紙をコトリさんに読んであげて」
 おじさんはサカナの手紙をあけました。コトリは不安そうに手紙を見つめていました。
 サカナの手紙には、コトリへの思いがたくさんつづられていました。コトリに自分の気持ちを伝えたい、お月様にそれだけを願った手紙でした。ふと見ると、コトリはサカナを見つめていました。お月様は、サカナの願いをかなえてくれたのでした。
 小さな町の狭い入り江で、郵便配達のおじさんは今日もお弁当を食べています。嬉しそうにさえずるコトリの声。コトリを優しい眼差しで見つめるサカナ。そして、そんなコトリとサカナを眺めるおじさんは、とても幸せそうでした。
「さて仕事を始めるか」
 おじさんはゆっくり立ち上がりました。そろそろ秋の終わりです。おじさんのそばをそっとすべっていった柔らかな風は、かすかな冬のにおいをふくんでいました。