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お花見

 川原には人がいっぱいあふれていました。
「すごい人だね」
 妹のももこが言いました。
「お天気もいいしね」
 そう返事をしながら、私は後ろを振り返りました。
「お母さん、どうしたの?」
 数歩後ろで、母が立ち止まっていました。
「いや、ほら、ここね、とってもきれいだなと思ってね」
 そこはちょうど母の目線ぐらいの高さに枝が下がっていました。目の前の満開の桜に、母は見入っているのでした。どれどれ…と、私と妹が近付いてみると、急に風が吹いてきて、枝がさわさわと揺れました。
「あっ、喜んでる」
 妹がそう言って笑いました。
 ここは家から電車で一駅行ったところにあるお花見の名所です。毎年四月初め頃におまつりが開かれます。私達親子三人は、ここ数年毎年行っています。川の中州では、フラダンスのショーが行われたり、歌謡ショーがあったりして、とてもにぎやかです。露店もたくさん出ます。皆それぞれ好きな場所を陣取って、敷き物の上に、お弁当を広げています。私達も適当な場所を見つけることにしました。
「あの木の陰なんかどうかしら?」
 妹が言いました。
「もう少し先にある、菜の花畑の隣がいいわよ」
 母が言いました。
「でも、川べりの方がいいんじゃない?」
 結局、母の言う菜の花畑の隣にビニールシートを広げ、私達はそこに座りました。お弁当は持ってきていません。ただひたすら周りの人たちを眺めるのです。大勢の人たちが、それぞれのお弁当を楽しそうに笑いながら食べている姿を見ていると、私達もとても幸せな気持ちになります。その気持ちを味わいたくて、毎年この川原でのお花見に来ているのです。
 春の爽やかな風が、桜の花を散らします。お花見に集う人たちの楽しげな声と散りゆく桜は、お似合いのようで、まったく似合っていないと私は思います。
「高校のみんな、元気かな…」
 妹が空を見上げながら言いました。
「今度会いに行ってみようかな」
 でも、妹の同級生たちが高校を卒業したのは、もう十年も前のことなのです。もうみな大人になっています。簡単には会いに行けないことを、妹はよくわかっているのでした。
「私もご近所の皆さんとお会いしたいわ」
 そう言いながら、母もそれは叶わないことだとわかっていました。三人で気持ちの良い風に吹かれながらしばらくそのまま無言で座っていました。
 「そろそろ帰ろうか?」
 母が言いました。何時間か過ぎて、帰り支度を始める人たちが増えてきました。いつのまにか、風も少し冷たくなっています。なごり惜しい気持ちで胸がいっぱいになりましたが、帰らないわけにもいきません。ビニールシートをたたむだけの帰り支度です。本当はシートもいらないのですが、お花見の気分を味わいたいために毎年持ってくるのです。
「また来年だね」
「そうだね」
 私達は歩き始めました。どこまでも歩いていきます。たくさんの桜が見送ってくれているような気がして、途中でそっと振り返ってみました。
「さよなら」
 お花見の会場になっている川の前には、広い幹線道路が通っています。その片隅に小さなお花がおかれていました。十年前からずっと供え続けられているお花は、今日も風に揺られてひっそりと咲いていました。私達が消えた所。そして、毎年帰ってくる所。そこは私達親子にとって、永遠に大切は場所なのです。