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完璧主義とは、ゴルフ歴0日の初心者がタイガーウッズを目指すようなもの

こんにちは、いりこです。
30歳目前にして、私は重要な気づきを得ました。

・私は完璧主義者であること
・その完璧主義が長年私を苦しめていること

個人的な意見ではありますが、完璧主義による弊害や原因などなど記載しています。同じような悩みで苦しんでいる人の参考になれば幸いです。
(トップ画像は、いらすとやで「完璧主義」と検索したら出てきた画像です。いらすとや恐るべし。。。)

完璧主義ゆえの苦しみ

・飽きっぽい

新しく始めた趣味が、必ずと言っていいほどに続きません。始めたばかりで「こんなもんか」と満足してしまい、ド素人に関わらず身の程知らずの見ずな私は、なぜか最短コースでそのプロを目指そうとしてしまいます。
その様はまるで昨日ゴルフを始めたばかりなのに、たった1週間でタイガーウッズを目指さそうとして挫折し、1か月でゴルフ教室を退会する人です。こうやって客観的に書くとすごくバカみたいです。片腹痛いです。

・すぐに行動に移せない

最初から完璧な状態を目指そうとするので、何かアイデアが思いついても、「今の状態だと完璧は目指せない‥」とネガティブな思考が止まらなくなり、なかなか考えを実行に移せません。
例えば、「沖縄に旅行に行きたい!」と思いついても、「せっかくビーチでのんびりしたいのに、台風が来たら台無しだ。快晴の沖縄に行かないと”いけない”」などと考え、「では、台風の少ないシーズンに行こう」と先延ばしにして、いつの間にか沖縄旅行がとん挫してしまう。
こうやっていつも、石橋を叩いて渡らぬ、ような顛末を迎えています。もはや叩き過ぎて崩落しそう。

・失敗した時に落ち込み過ぎる

こんな感じで森羅万象に対して完璧を求めているので、当然ながら自分の思い通りに行くことの方が少ないです。
一時期、「2位じゃダメなんでしょうか?」という言葉が流行ってましたが、まさにこの通り。2位じゃどうしてもダメなんです!

・自己肯定感が超低い=インポスター症候群

常にタイガーウッズを目指してしまっているので、「タイガーウッズになれない自分はダメだ、ダメだ‥」となります。さらにひねくれているのは、例えば通っているゴルフ教室の先生に、どれだけ褒められたとて、自分の中の絶対的な理想像=タイガーウッズ になれない限り、自分は「ダメ」と思い込んでしまう。「いっぱしのゴルフ教室の指導員に褒められたところで、たかが知れてる。このレベルでタイガーウッズになれるわけないじゃん!」と思ってしまっています。拗らせ過ぎてて草。
勝手に自分のハードルをめちゃくちゃ高く設定して、短期間でそこに到達しようとして自滅している、かわいそうな人です。
ちなみに、こうやって周りにどれだけ褒められても「自分はダメだ、ダメだ‥!」という自分の過小評価が止まらない人を、「インポスター症候群」と言うそうです。
参考:インポスター症候群

・充実感が無くいつも虚無=うつ状態

これが習い事のゴルフだけの話ならまだマシなのですが、仕事、人間関係、プライベートなどすべてのことに対してこの考え方なので、常に充実感が無く、自分を追い詰めてしまっています。
自分のやることなすことすべてにゴールが無い、というかどれだけ走ってもその分ゴールが先に延長されてしまうイメージ。悪夢。
最悪の場合うつ病などの精神疾患に発展します。

・友達、恋人作りができない

自分に対して厳しいだけでなく、その厳しさの基準を他人にも求めます。
相手が、ちょっとでも自分の気に食わない言動をしていたら、「あーもうコイツとは付き合いきれない」と相手をシャットダウンしてしまい、相手に改善してもらうとかそういう解決に向けた話し合いをするわけでもなく、自分からどんどん縁を切ってしまうので、自分の友達に対する許容範囲がどんどん狭くなっていって、気づいたら友達がいなくなってしまっていました。泣

友達だけでなく、恋人もできないです。
蛙化現象という言葉、ご存じでしょうか。主に女性がなりやすいそうですが、自分が想いを寄せていた男性が、実は自分のことが好きだとわかった瞬間、気持ち悪いと感じてしまう謎現象です。男性側からすると理解不能だと思いますが、生理現象のようなものなので、ごめんなさいとしか言いようが無く、何より自分が一番つらいです。
原因は様々ですが、よく言われるのは以下の2つです。
「こんな不完全な自分を好きになるなんてしょうもない人間に違いない」と卑屈の矛先が自分だけでなく相手にも”無意識のうち”(=生理的)に向いてしまう
・「こんなはずじゃなかった」と相手にも完璧を求めてしまっている
まずは自分のコンプレックスを受け入れること、そして求める理想を低くすることが重要、とどこかの心理学の先生が言っていました。なかなか難しい。。。

完璧主義になった原因

・遺伝と環境

いきなり他人のせいかよ、という感じですが、この完璧主義の多くの原因は幼い頃の家庭環境にあるそうです。
たしかに幼いころから、勉強はもちろん、スポーツや音楽、美術、あらゆる科目でつねに1位を獲ることに、”親が”命をかけていました。通信簿がオール5じゃないと褒めてもらえなかった。まさに、「1位じゃないとダメ」状態だった。
また、親自身も完璧主義者です。これが遺伝的なものなのか、親自身もそのような幼少期を送ってきたのか、にわとりたまご問題なのでよくわかりませんが、私のきょうだいも同じく完璧主義者、つまり家族全員完璧主義者なので、幼少期や学生時代を思い返すと今でも息が詰まるような思いです。

進学校で学生時代の大半を過ごしてきたので、私の家族のような通信簿オール5が当たり前の完璧主義者は身の回りにたくさんいて、それが当たり前の環境で育ってきました。
社会人になっても、優秀な人たちに囲まれて仕事をすることが多く、「ミスは許されない」「仕事ができて当たり前」「失敗には制裁を(怖)」という意識が潜在的に植え付けられていました。

・真面目な性格

上記のような環境で生きてきたゆえかわかりませんが、真面目です。いつも、「〇〇しないといけない」という考えがもはや日常生活の原動力となっていると言っても過言ではないです。「良い大学に入らないと"いけない"」「良い会社に就職しないと"いけない"」「人に嫌われては”いけない”」とか。
先の沖縄旅行の例でも、「沖縄旅行は、雨一粒も降らず、完璧にこなさないと"いけない"」という思考回路に陥っています。
気象予報士でも100%当てられない沖縄の天候に確実性を持たせるなんて、神のみがなせる業なのに!

・パワハラ、モラハラを受けている/いた

元々低い自己肯定感に、さらに拍車をかける悪魔、それがパワハラ・モラハラです。どんなに優秀な人でも「お前はダメだ」と言われ続けたら、「自分だダメだ」の自己暗示が染みついて取れなくなります。
私もある職場でパワハラ上司にコテンパンにやられた結果、生まれつき低かった自己肯定感がさらに低くなり、心を病みました。奴らからは早めに逃れましょう。

・無駄に器用貧乏

自分には無駄に器用貧乏なところがあります。そう、無駄に。
スタート地点がある程度高い地点から始まるので、”タイガーウッズ”を目指してしまうのも無理ないのかもしれないです。もはや足枷でしかない。器用”貧乏”とはよく言ったものです。

気づいたきっかけ

・職業訓練

現在無職の私は、転職準備として東京都の職業訓練というものに通っています。職業訓練には、様々なバックグラウンドの老若男女が東京中から集っています。要は、自分が今まで関わったことのなかった「優秀ではない人」達も多く在籍しており、失礼ながら、「なんだ、こんな簡単なこともわからなくても、働いて、結婚して、社会の中で堂々と生きていけるんだ」という発見がいくつもあり、今まで”玉”石混交の社会の”玉”のみの中であがいていた自分の視野が急に広がり、「下には下がいる」と思うと、とっても気楽になりました。
お疲れ、自分。
いりこの職業訓練に関する投稿

・書評のはなし

突然なぜ書評?とお思いかもしれないのですが、私は長らく活字離れしていましたが、ここ最近時間に余裕ができ、読書が習慣となっています。ただ、読むだけだとなんだか創造性のない無益な行為に終わってしまう感が許せず(これもまた完璧主義的!)、このnoteや他の媒体で簡単な読書感想文を残す取り組みを始めました。
が、なかなか思っていることを言語化にできず、ネットで他の人の書評を読み漁っていました。そんな折に、素人目でも見て分かる、優れた書評を見つけました。文章自体が非常に読みやすく、私が心の中で思っていたモヤモヤをやすやすと言語化しているような感じがして、「ああ、私の拙い読書感想文なんてこの人の書評の足元にも及ばない」と卑屈になり、もう書くのをやめようと思ってしまいました。まだ始めたばかりなのに。

ただ、その書評を書いた方の経歴をよくよく見てみると、有名大学の文学部を卒業し、大変な読書家なうえに、学校で教鞭をとっているとのことです。言うなれば、素晴らしい書評が書けて当たり前の人、その道のプロです。
一方で、長年活字離れしているうえに、国語も苦手で文学にも疎く、表現者としても素人の私が、その道のプロにいきなり挑んで勝手に卑屈になって自滅しかけていました。
まさに、昨日ゴルフを始めた人が、タイガーウッズに戦いを挑んで惨敗して、すごすごとゴルフを辞める道化師の道を、またもや歩んでいることにふと気づき、もはやそんな自分がいじらしくてなりません。

他人から指摘されても受け入れられなかった

私が完璧主義者だということは、実は職場の上司に指摘されたことがあります。しかも1人だけでなく、何人かに、何度か。
例によって自己評価の低い私は、上司との1 on 1で、「いかに自分が仕事ができないか」と「自分で考えるその改善策」を熱弁しました。上司は、「いりこさんは優秀なのに、なぜそんなに自己評価が低いのか、理解に苦しむ。完璧主義はやめた方がいい」ということを事あるごとに私に言ってきましたが、自己過小評価の鬼と化していた頑固な私は、「何事も完璧にこなせてない自分が完璧主義?笑止!」と受け流していました。まさに、インポスター症候群です。

上司のその褒め言葉は、何かとネガティブな私を奮い立たせるためのただのお世辞だったかもしれませんが、たとえお世辞だったとは言え、自分の良いところのひとつとして素直に受け入れるべきだったと思っています。
他人の言葉を鵜吞みして浮かれるのもそれは問題ですが、私のような自己肯定感が低い人は、「〇〇はできていないけど、△△は上司の太鼓判を貰ったので大丈夫!自信が持てる!」と堂々としていることで、すこしでも自己肯定感を上げることができるのではと思います。
自分を正しく評価できていないということは、「ただの謙虚な人」となるだけではなく、自分の価値が下がり、その人の行動が委縮していまい、本当に何もできない無能な人間と化す、という負のループに陥ってしまっているのでは、と思います。

治す方法

・これさえできればOKという基準を設ける

完璧主義の私は、すべてのあらゆること、森羅万象に対して完璧を求めています。先の沖縄旅行の例でも、雨の一粒さえ許容できないような隙の無さです。でも、悪天候以外にも、飛行機が何らかの理由で飛ばなかったり、旅先で強盗にあったり、知らない土地の旅行なんて、自分の考えの及ばないようなアクシデントがつきものです。
0か100か思考、白黒思考をやめ、「沖縄にさえたどり着ければOK」という低めのハードルを設けておくことで、行動に移しやすく、またなにかアクシデントが起きた時もそこまで落ち込まずにいられるはずです。
だって、塞翁が馬だもの!

・失敗を恐れず、受け入れる

失敗が起きることを常に恐れており、「必ず成功しないといけない」という自己暗示を無意識のうちにかけてしまっているところがあります。
「失敗しても死なない」と言い聞かせること、そして何か失敗してしまったときに、なぜその失敗が起きてしまったのか、それが自分に起因したものなのか、もしくは天候のように自分では制御不可能、不可避なものだったのかで分岐させ、自分で改善できそうなものだけ反省し改善する等、失敗の峻別もまた役に立ちそうです。

・自分より下の人間を見てみる

神様になった気分で、想像してみてください。
天空の世界に疲れたある神が、下等な人間どもがその短い命を削ってあくせくと働いている姿を、優雅に雲の上からのぞいては、「あぁ、神でよかった」と悠然とあくびをしてほっと一息つくような、そんな情景を。
自分がいる世界は、自分が思っている以上に狭くて、ハイレベルで、そんななかで同じように優秀な人種とそれを焚きつけるような価値観と固定概念で満たされていることに気づき、「下には下がいる」ことを知ります。
※我々は全知全能の神ではなく、卑しく醜く不完全な人間であることをお忘れなく。

・自己肯定感を下げる外的要因を排除する

先に書いた「パワハラ・モラハラ人間」のような、元来低い自己肯定感をさらに下げてくる外的な要因を自分の生活から排除することです。
正直、先天的な完璧主義思考、白黒思考はなかなか治しづらいのでは、と思いますが、後天的もしくは外的な要因であれば、それに気づければ排除できます。まあそれが外的な要因になっている、ということに気づくことが要ではありますが。。。

・完璧主義になった原因を深堀してみる

完璧主義が自分の人生の中でどのような悪影響を及ぼしているのか、なぜこうなってしまったのか、考えてみると、すべてが繋がっていて合点がいき、そして妙に安心しました。
私がこれまでウダウダと書いてきたことは、少なくとも私自身にとってはとても有益なことだったと感じていますが、このすべての要素、因果関係は人それぞれ異なるものだとも思っているので、こうやって書き出して整理するとすっきりすると思います。

では、また。


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