見出し画像

#586 「わからない」を深掘りしてみれば、、、

 もし自分が相手に質問して、相手が「わかりません」と答えたら、どんな印象を持つでしょうか?

自分の意見を持っていない、考える力がない、そもそも答える気がない

そんなネガティブな印象を持ってしまうかもしれません。

 私も「わかりません」と答えるのがあまり好きではありません。相手に上記のようなネガティブな印象を与えてしまうことが嫌だというのもあるし、やはり「わからないなりに、自分の知識や経験をもとに仮説をたて、それを表現すること」が大切なのだと思っています。

 教員時代に生徒にはできる限り「わからない」という表現を用いないように伝えていました。自分が思考停止であるような印象を与えかねないし、その言葉を使うことで、わからない自分を肯定するようになる気がしていたのです。

 私が何かについて質問したり、彼女の意見を求める時、私のパートナーはしばしば「わらかない」という言葉を使います。最初、私は彼女のその返答があまり好きになれず、その答え方をされると会話が終わってしまうから嫌だと伝えたことがあります。

 「いやでもさ、わからないものはわからないでしょ?私が(正しい)と思っている知識とかを聞かれてるなら答えられるけど、人の思考とか、考え方とかを予測しても、結局それは単なる予想でしかない。それに間違った予想を言語化したら、言語化することで、それがあたかも真実のようになってしまうことだってあるじゃない?世の中のほとんどのことは、私は、本質的に、わらかないって思ってるから、そうとしか言えないじゃない」

 ここで両者の両者の「わからない」が文頭にくるか、文末にくるかの違いなのではないかと。

 私は、「わからないけど、〜かもしれない」と考え、パートナーは、「〜かもしれないけど、結局のところわからない」と考えるかもしれない。

 私は「〜かもしれない」と言うことで「自分が何かを考えている人」だと思われたい(のかな?)、彼女は色々想定はできるけど、どんな想定をした所で結局「わからないよね」という「わからないと言う事実」にフォーカスする。

 全部の発言の語尾に「知らんけど」をつけたくなりますね、、、。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?