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#319 主体性とは何か〜他者に自分を委ねること〜

 学校教育においてキーワードとなっている言葉の一つに「主体性」というものがあります。自らの意思や意欲を尊重しようという言葉です。考える力を育成する上で大切なのは、この「主体性」。それは「自分」を常に中心におく作業であり、主語を常に1人称単数にすること。常識や当たり前といった大きな主語に負けないことが、考える力の育成の第一歩になると個人的には思っています。

 一方、主語を1人称単数にすることは時として難しく、過酷です。それは集団や社会から求められる像としばしば異なり、自分自身の社会との整合性が取れなくなるときもある。そんな時、人は、ある特定の「他者の思想」に寄りかかりたくなるときもあるのかもしれません。

「幸福の科学」創始者、大川隆法氏を間近に見てきた長男の宏洋氏の新刊『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』(幻冬舎)が発売されています。

本書の内容は宏洋氏の回想録。大川隆法氏の初期の人生から幸福の科学の総帥としての人生を息子の目線で語っています。記事の内容自体も非常に面白いのですが、私が注目したのは『幸福の科学の教えの根底にある非常に重要なメッセージは「考えることを止めなさい」ということだ』という一文。主体性というものを消し、大川隆法氏の言うことを信じれば、必ず幸福になれる

「普通に」考えて、そんなことはあり得ないと人は判断する。しかしそれができなくなる状態があるからこそ、幸福の科学が発展していったと思うと、逆に「考える」ことの大変さ、難しさを物語っているような気もする。

 そもそも考える力とは何なのか。少し哲学的な話になると考えるという行為をしている自分は果たして自分自身なのかみたいなことから始めなければならない。

 YouTubeでロシア人が同じロシア人に「あなたは洗脳されていると思いますか」と問うチャンネルがあるのですが、「私は洗脳されていない。なぜなら考える主体は私自身だ」と答える彼らの中には、少なくとも日本で獲得できる情報を持っている人にとっては、洗脳されているように見える人もいる。

また何かを考えれば考えるほど、物事が先に進まないこともある。因数分解の意味、0とは何か、可算名詞・不可算名詞の概念など教科・科目の学びでも、問い続けることによって考える力が育成される側面がある一方、考えすぎるとわけがわからなくなる。

詰まるところ、「考える力」というのは非常に抽象的であるということ。そんな抽象的なことも求められることの方が逆に過酷なのかもしれない。

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