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#213 「社会に」ではなく「自分自身で」定義できる自己を受け入れてもらえる学校現場に

アリストテレスは

「人間はポリス的動物である」

と述べました。

人間はその本性により共同体を形成し、さまざまな仕事を分業して生きる社会的(ポリス的)動物であることを示す。ポリス(都市国家)は、人間の生活を満たす完全な自足の条件をそなえ、人間の生活の自足性を最高度に実現した共同体であり、人間は本質的にポリスの成員として生きる動物である

ということです。

当たり前の話ですが

人は 一人で で生きているわけではありません。

私たちは様々な「社会」に属し、その中で人間関係を構築していきます。

今私は個人事業主として活動していますが、そこにはやはり「孤独」が付き纏います。

学校教育として仕事をしていた頃は、自分が「〇〇学校」という組織に属し、「〇〇学校の英語教師」であるという記号を持つことができます。

自分が「社会」に属しているという安心感、それに伴う社会的地位や信用に繋がっていました。

クレジットカードの申請や、ローンを組む際も私立学校の教員というのはそれなりの「信用」があります。

一方、個人事業主というのは、様々な意味で「不安定さ」を伴います。

その不安定さは、本質的には「不安定」ではないのですが、社会が自分自身を定義する要素が弱いと感じることもあります。

思春期を迎えた中高生もまさにそのような状態なのかもしれません。
社会が求める何かしらの記号的安定と、自分自身の心のありようのギャップの狭間で苦しんでいる人も多いのではないでしょうか。

学校、部活、塾、など様々な「社会」に属し、その価値観にあった生活を送ることで得られる安心感は時に自分が本当にやりたいことやる上で伴う不安感を凌駕します。

誰もが自分自身の人生を生きる上で「安心感」や「安定」を望みますが、

それが自分自身の心のままに生きること

社会から与えられるもの
に違いがあることも多々あります。

学校教育が

より多様な価値観を受け入れ、多様な能力を育むためには

学校という場が

その人自身のありたいようにある

ことに安心感を与えられる空間であることが大事なのではないでしょうか。


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