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ベースボールでキャリア育成論 小学期-3 〜足手まとい?〜
〜足手まとい?〜
小学校時代の私は、チームの中で「デブで足が遅い」とからかわれ、劣等感の塊だった。
チャンスで打てず、足手まといの選手…全国優勝の経験を持つチームとの試合に勝利するも、私は3打席3三振。
チームメイトにはバカにされ、涙ながらにその悔しさを母にぶつけた私に、優しい母が初めて厳しい言葉を投げかけた。
「やられたらやり返せ!男なら、結果で見せなさい!」
昭和の、最強の根性論かもしれないが、母の言葉は、いつも説得力があった。それは、母の人柄から来るものかもしれない。
一本入魂
その言葉を胸に、自分自身の課題と向き合い、母と毎晩公園で、ランニングと素振り100本を続ける「夜練」が始まった。
高校生の時まで続いたこの練習で、私は課題だったフットワークの改善からスローイング技術を磨き、5番キャッチャーとしてレギュラーに定着。
特に、自らもソフトボール選手だった母から教わった「バッティングはイメージ」という指導が効き、チャンスで結果を出せるバッターに成長した。
20分で終わる様な素振りを、1時間掛けて行う1本入魂の素振りだ。
できないことができるようになること
同級生たちから「足手まとい」とバカにされていた私が、中学、高校、大学、独立リーグ、社会人野球と、最終的にはチームで最も長く野球を続ける選手となり、同窓会では「結局、お前が一番プロ野球に近づいたな』と言われるほどに。
その背景には、「できないことができるようになる』楽しさを知った小学校時代の挑戦と成長があった。
あの母の言葉と夜練こそが、私に自分の課題を見つけ、改善する力を教えてくれた、私のキャリアの原点である。
母の子どもに生まれたことを、今でも誇りに思う。