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田中一平(日本史講師)
2023年4月16日 21:21
大問Ⅰ問1…1行 小区画の規模のものが多かった。(15字)問2…1行 口分田など田地の面積を単位に、租は賦課された。(23字)問3…2行 租については、郡司が赴任している郡庁において管理され、郡庁のそばにある正倉で保管された。(44字)問4…3行 9世紀、その蓄積はできていた。班田収授法が機能しなくなりつつはあったが、従来の口分田などに加え、墾田永年私財法以降、本格的に増加し
2022年3月24日 19:23
大問Ⅰ…11行問1…2行答案例…山川『新日本史』 稲作を行わない北海道や東北地方北部では、続縄文文化と呼ばれる採取・漁猟を特徴とする食料採取文化が続き、9世紀以降、擦文土器の使用を特徴とする擦文文化が展開した。(80字)問2…2行、できなくてよい 夜光貝などの殻の光る部分を利用して、種々の文様に切り整え、器物の面にはめ込んだうえで、漆などを塗り重ねて道具を装飾する技法のこと。(65字)
2021年7月22日 18:23
大問1問1…2行図1の炉に代わって、古墳時代中期に渡来人によって大陸から伝えられたかまどが使われるようになり、甑を用いて米を蒸す調理法が定着した。(65字)問2ア:掘立柱 イ:倉庫問3…2行地中に柱を埋め込むのではなく、建物の基礎となる石を置くことによって、瓦葺の建物の重量に耐えられるようにした。(54字)問4…2行大極殿は元日に新年を祝い、天皇が臣下から拝礼を受けるなど、国家
2021年7月22日 23:20
大問1問1 古墳の外形が前方後円墳もしくは前方後方墳と定形。 埋葬施設が竪穴式石室である。 副葬品が銅鏡など呪術的な品々が中心である。問2…2行 近畿地方を除いて前方後円墳の規模は縮小し、円墳などがまとまった群集墳の数が増加し、横穴式石室が埋葬施設として一般化した。(60字)問3…1行 太安万侶は稗田阿礼がよみ習った『帝紀』・『旧辞』をもとに『古事記』を筆録し、完成させた。(4
2021年7月23日 15:39
大問1問1…3行 答案例①製糸業が発展する一方、綿業や絹織物業は打撃を受け、在郷商人が開港地に商品を直送したことで、株仲間中心の流通機構が崩れた。貿易開始後の金の流出に対応するため、金貨の質を下げる貨幣改鋳を行ったこともあり、物価が高騰し、武士や庶民の生活を苦しめた。(121字)問2…2行 ペリー来航以後の国難を背景に、大政奉還を受けて宣言が出され、天皇のもとに三職が設置され、公家・武
2021年7月25日 01:00
大問1問1…2行 鞍作鳥らの作品であるcの法隆寺金堂釈三尊像は、整った厳しい表情の中国南北朝時代の北魏様式を受容している。(53字)問2…2行 福岡県の沖ノ島は日本列島と朝鮮半島の航路上に位置する絶海の孤島にあり、航海上の安全を祈願する祭祀施設であった。(55字)問3…3行 律令国家は8世紀前半、多賀城に国府と鎮守府をおいて拠点とし、北上して支配領域に城柵を設け、関東などから柵戸
2021年7月26日 20:28
大問1問1…3行 古墳時代終末期、従来多かった前方後円墳は築造されなくなり、円墳や方墳、そして、大王は八角墳を築造した。この時期に呪術の一種として広まった仏教は、氏に繁栄をもたらすものとして豪族に信仰され、古墳に代わる権威の象徴として寺院が建立され、古墳は埋葬施設としての性格が強まった。(135字)問2…1行 聖武太上天皇が病死した後、その遺品が光明皇太后により正倉院に納められた。(3