名大日本史2019年答案例

大問1
問1…3行 
答案例①
製糸業が発展する一方、綿業や絹織物業は打撃を受け、在郷商人が開港地に商品を直送したことで、株仲間中心の流通機構が崩れた。貿易開始後の金の流出に対応するため、金貨の質を下げる貨幣改鋳を行ったこともあり、物価が高騰し、武士や庶民の生活を苦しめた。(121字)

問2…2行
 ペリー来航以後の国難を背景に、大政奉還を受けて宣言が出され、天皇のもとに三職が設置され、公家・武家を問わず、広く人材を登用し、公議を重視する体制を整えた。(77字)

問3…3行 
 太政官制を採用し、太政官の下で三権分立制を取り入れられた。立法機関として設立された議政官は議定・参与からなる上局と各府県・藩選出の貢士からなる下局から構成された。下局はその後、公議所、集議院と改称され、徐々に権限が削減された。(102字)

問4…2行 
 天皇親政を強調するため、諸侯が天皇に誓う形ではなく、明治天皇が公卿・諸侯らを率いて、神々に誓う形をとった。(53字)

問5…2行
 昭和天皇の戦争責任回避と天皇制存続を目的に出され、天皇の神格性を否定するとともに、民主主義国家の建設および、天皇制と民主主義との整合性を強調した。(73字)

大問2
問1…1行
 織田信長が対立した将軍足利義昭を京都から追放し、その後も畿内を支配した。(36字)

問2…2行
答案例①
 学徒出陣は理科系・教員養成学校以外の20歳以上の学生全員を入隊させた。女子挺身隊は25歳未満の独身女性を軍需工場などに勤労動員させた。(65字)

答案例②
 学徒出陣は徴兵適齢の文系学生を軍に徴集した。女子挺身隊は未婚女性を軍需工場などに勤労動員させた。(48字)

問3…2行
 鎌倉幕府の御家人である竹崎季長は「君」である将軍と主従関係にあり、新恩給与などの御恩を得るために、奉公として軍役を果たし、功績をあげることを目指した。(75字)

問4…2行
 農村からの流入による都市民衆の増加と飢饉が打ちこわし発生につながっていた。松平定信は旧里帰農令で都市人口の減少を図っており、望ましくないと考えていた。(75字)

問5…2行
 朝廷の正式な許可を得ず、成立した荘園の廃止と朝廷への報告を国司に命じ、国司が許可証や証拠書類の調査など実務に当たった。(59字)

問6…3行
 後白河上皇は法勝寺を建立した祖父の白河上皇や父の鳥羽上皇と同様にあつく仏教を信仰し、熊野詣などの寺社参詣を行い、華王院本堂を建立し、法会を主催した。一方、民間の流行歌であった今様を好み、梁塵秘抄を編纂するなど民衆文化にも理解を示した。(118字)


大問3
問1…3行
 『漢書』地理志の小国分立の記述や、地域ごとの多様な墓の存在などから、伺える。従来の狩猟・採取・漁労の食料採取段階から正業の中心が水稲農耕による食料生産段階に変化し、身分差や余剰生産物をめぐる戦いが生じて、小国が分立する状況が生まれた。(117字)

 考古学的証拠は青銅製祭器の分布に関する言及でもよい。

問2…2行
 本居宣長は『古事記伝』を著し、漢心を批判して儒教・仏教などの外来思想の排除を主張し、儒教や仏教が入ってくる以前の日本古来の精神に帰ることを主張した。(74字)

問3…2行
 天皇号以前の称号は稲荷山古墳出土鉄剣銘などから大王と分かる。飛鳥浄御原令以前のコオリの表記は藤原宮出土の木簡などから評と分かる。(64字)

問4…2行
 即位した宇多天皇が出した勅書に阿衡の文言があったことに藤原基経が不満を持ち、抗議した。宇多天皇は勅書を撤回し、勅書を起草した橘広相を処罰した。(71字)

問5…2行
 桓武天皇は長岡京の造営に際して、造営を急ぐため、すでに存在した平城宮や難波宮の建物を移築したことが、長岡京から出土した軒瓦の調査から確認できる。(72字)

問6…3行
答案例①
 醍醐天皇は班田の実施を命じるとともに、延喜の荘園整理令を発令して、新たな勅旨田の開発を禁止し、院宮王臣家が有力農民の田地・住宅の買取や荒野の独占を禁止するなど、院宮王臣家と有力農民の結びつきを禁止して、律令制の維持を図った。(112字)

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