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一橋大日本史答案例

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#一橋大日本史

2022年一橋大日本史第1問答案例

答案例①
1鈴木牧之。北越雪譜。2b天明。c寛政。3明徳館。4阿仁銅山。秋田藩士の小田野直武は、平賀源内が鉱山開発の指導で秋田藩に招かれた際、西洋画法の指導を受け、解剖書の『ターヘル=アナトミア』が翻訳され、『解体新書』として刊行された際、表紙絵や解剖図を描くなど活躍した。516世紀、戦国大名が経済力強化のため、積極的な鉱山開発を行った。灰吹法など新たな精錬技術の導入を背景に、石見銀山などで大量に

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2022年一橋大日本史第2問答案例

1大山巌。21918年当時は第1次世界大戦の最中であり、軍隊がヨーロッパ各地で大々的な移動した。また、大戦終結に伴い、兵士が帰国したこともあり、世界規模で流行した。3岩倉使節団。津田梅子は帰国後、女子英学塾を開設して、女子教育の充実に尽力した。4江戸幕府が締結した安政の五カ国条約は片務的な領事裁判権の承認や関税自主権が日本にのみ欠如しているなど、不平等な内容の条約であった。これを問題視した明治政府

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2022年一橋大日本史第3問答案例

1第2次人民戦線事件。大内兵衛ら学者のグループがコミンテルンの呼びかけに応じて、人民戦線の結成をはかったとして検挙された。2当時、天皇の統治の正統性と永遠性を主張する皇国史観に基づく歴史教育が学校で展開されており、津田左右吉が著書『神代史の研究』などにおいて、実証主義史学の観点から記紀神話の史実性を否定したことが問題視された。3善の研究。4陸軍内部では、北一輝の国家改造論を信奉する青年将校を中心に

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2021年一橋大日本史第1問答案例

1調・庸は毎年作成される計帳に基づき、成年男性中心に賦課された。調は特産物、庸は歳役の代わりに布を納めるもので、運脚で都へ運ばれ、中央政府に納入された。210世紀後半以降、大名田の中に大規模な開発を行い、一定の領域を支配し、税免除などの優遇を受ける開発領主が現れた。荘園整理令を通じて、荘園と公領の違いが明確になり、一国内の公領が郡・郷・保に再編成される中、公領の開発領主は国司から郡司・郷司・保司

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2021年一橋大日本史第2問答案例

田中の答案例
1江戸幕府の崩壊に伴い、参勤交代で江戸にいた藩士たちが国元に引きあげ、武士を相手に商売をしていた人々も江戸を離れた。2横山源之助。日本之下層社会。3大戦景気の影響で工業化や都市化が進展して、工場労働者や新中間層が大幅に増え、東京の人口は増加した。これに伴い、都市領域が拡大し、東京郊外の都市化が進展した。特に都心部から郊外へと私鉄が延伸し、文化住宅の建設など沿線の開発が進んだことで、郊

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2021年一橋大日本史第3問答案例

答案例①…非軍事化で書く
1①15。②新婦人協会。③治安警察法。④日本社会党。2明治期の社会において、女性は戸主に従属し、結婚後は家庭に入り、家事と子育てに従事すべきという考えが一般的であった。雑誌『青鞜』の人々は、女性に良妻賢母として生きることを強いる社会風潮を批判し、抑圧されていた女性の家からの解放と個人としての自立を主張し、新しい女性像を示した。3戦前の日本は労働組合への法的保護がなく、昭和

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2020年一橋大日本史第1問答案例

1民間省要は川崎宿の名主である田中丘隅が農政に関して記した書物。2宿駅の問屋場には公用の書状や荷物の継ぎ送りの際に使用する人足や馬が用意されており、街道沿いの村の百姓や宿駅の町人は伝馬役が賦課され、それらを用意した。3近江商人。4中世の巡礼の代表例に、院や貴族により行われた熊野詣がある。背景には信仰心があると同時に、行列をなして参詣することで、権力を誇示する意味合いもあった。これに対し、近世は庶民

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2020年一橋大日本史第2問答案例

1徳冨蘆花。2一世一元の制。一代の天皇に一つの元号の使用を定めた。3践祚当時、天皇は将軍に大政を委任していた。践祚後、大政奉還により、将軍から朝廷に政権が返上され、長主導で発令された王政復古の大号令により、天皇中心の新政権が成立したことで、天皇は政治を主導する立場と位置づけられた。4大日本帝国憲法は欽定憲法の形式で発布され、万世一系の天皇が主権者であり、国民は天皇の臣民と位置付けられた。これに関

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2020年一橋大日本史第3問答案例

1衆議院は公選制であり、国民の代表で構成されたのに対し、貴族院は皇族や華族、勅任議員から構成され、衆議院は貴族院に対し、予算先議権を有した。2議会に予算案と法律案の審議・承認の権限が与えられた。3国家総動員法制定により、政府は議会の同意を必要としない勅令による権限行使が可能となり、議会の立法権は形骸化した。4第2次世界大戦におけるドイツ有利の戦況を背景に、新体制運動が近衛文麿を中心に展開され、大政

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2019年一橋大日本史第1問答案例

1大田文。摂関政治期に摂関家などの荘園が増加したことを背景に、一国平均役を賦課する目的で荘園整理令がたびたび発令される中、院政期に入ると荘園と公領の区分が明確になり、国衙は大田文を作成して、荘園と公領を把握した。院政期には封戸など国家的給付の減少を背景に知行国制が広まるとともに、天皇家・摂関家・大寺社などが中下級貴族を媒介にして荘園の設立を進め、国衙支配から独立した荘園が各地に成立して、公領と並び

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2019年一橋大日本史第2問答案例

1新中間層。大戦景気以降、経済が発展し都市化や工業化が進展したこと、大正期に高等教育が整備・拡充されたことを背景に登場した。大卒など学歴が高く、都市部で会社員・銀行員・公務員など事務・サービス・販売関係の業務に携わり、比較的高収入であった。2学歴社会の傾向が強まる中、高学歴の新中間層は子供の教育に熱心であった。また、大正デモクラシーの風潮の中、教育統制や文科省主導の画一的な教育内容に反発し、児童・

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2019年一橋大日本史第3問答案例

1帝国議会は衆議院と貴族院の二院制で、衆議院で公選制が採られた。しかし、衆議院議員の選挙資格は税額と性別制限があり、選挙権は男性にのみ与えられた。また、両院の権限は対等で非公選の貴族院が衆議院の意向を制限し、緊急勅令など議会が関与できない天皇大権が存在するなど、衆議院の権限は制約されていた。戦後、GHQの占領政策により、女性にも選挙権が与えられた。また、日本国憲法において、天皇は象徴と位置付けられ

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2018年一橋大日本史第1問答案例

1強訴。17世紀当初、中世以来の土豪層が村の中心であったが、17世紀を通じて新田開発が行われた結果、小作農や有力な本百姓の隷属民たちが田畑の所持・耕作権を確保して自立したことで、徐々に小農を中心とする比較的均質な階層で構成される村が増加し、村の運営に小農が参加するようになった。2国訴。国訴は畿内を中心に大坂の株仲間などの特権商人による流通独占に反発し、菜種・綿・金肥などの自由な流通を求めて行った合

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2018年一橋大日本史第2問答案例

1国立銀行条例改正により、設置要件が緩和された。2日清戦争後の対露軍拡を含めた戦後経営が展開され、鉄や機械の輸入が増えた。また、紡績業を中心に産業革命が進展し、原料の綿花や紡績機の輸入が増加した。結果、英・米、インドなど金本位制の国・地域からの輸入量が増加した。一方、日本は銀本位制を採用しており、銀安傾向の中、輸入に不利な状況が続いていた。この状況を改善し、為替の安定と貿易振興を実現するため、日清

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