2022年一橋大日本史第2問答案例

1大山巌。21918年当時は第1次世界大戦の最中であり、軍隊がヨーロッパ各地で大々的な移動した。また、大戦終結に伴い、兵士が帰国したこともあり、世界規模で流行した。3岩倉使節団。津田梅子は帰国後、女子英学塾を開設して、女子教育の充実に尽力した。4江戸幕府が締結した安政の五カ国条約は片務的な領事裁判権の承認や関税自主権が日本にのみ欠如しているなど、不平等な内容の条約であった。これを問題視した明治政府は条約改正交渉を進め、1880年代には井上馨外務卿・外相が内地雑居や欧米同様の法典の編纂、外国人を被告とする裁判における過半数の外国人判事の採用を条件に、領事裁判権の撤廃実現を目指して交渉を行った。その過程で井上は交渉を促進するため、極端な欧化政策を採用し、外国要人を接待する社交場として鹿鳴館を建設した。捨松は鹿鳴館での社交会において、保守的な日本人女性と外国要人の夫人との交流を促すため、仲介の労をとった。(399字)

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