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阪大日本史答案例

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#大学受験日本史

2022年阪大日本史第1問答案例

温暖化による自然環境の変化に伴い、従来の狩猟に加え、採集や漁労が本格化し、食料の獲得方法が多様化して食生活が豊かになったことを背景に、人々は日当たりがよく、水辺に近い台地上に集落を形成し、竪穴住居を営んで定住生活を始めた。集落には住居のほか、食料を保存するための貯蔵穴やゴミ捨て場である貝塚や共同墓地などが存在した。住居の規模や構造には著しい差がなく、特定の墓に多量の副葬品が集中することもないことか

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2022年阪大日本史第2問答案例

鎌倉時代は鎌倉幕府と朝廷が並立する公武二元の状況にあり、両者の関係は承久の乱以降、幕府優位の状況にあり、朝廷は院政が一般的だった。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、幕府・院政・摂政・関白を否定し、従来の家格を無視した人事を行い、綸旨による所領安堵を打ち出すなど公武双方の慣習を否定して、天皇への権力集中をはかったが、殺到する恩賞や所領安堵の要求に対応できず、政権内の複雑な人間的対立が政務の停滞や社会の

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2022年阪大日本史第3問答案例

答案例①
戦国時代以降、宋銭・明銭などの中国銭に加え、粗悪な私鋳銭も流通して、良悪様々な規格の異なる銭貨が混在し、各地で撰銭が行われ、円滑な貨幣流通が阻害される不安定な状況となっていた。統一政権である江戸幕府は貨幣鋳造権を独占し、全国的に通用する統一基準の銭貨を安定して供給することをめざした。特に寛永期には、参勤交代が制度化され、街道周辺や宿場町での銭貨に対する需要の高まりが想定されたこともあり、

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2022年阪大日本史第4問答案例

答案例①
 1910年代後半、日本と提携関係にあったロシアがロシア革命によって倒れ、ソヴィエト政権が樹立すると、日本は列強とともに革命に干渉するため、シベリアに出兵したことで関係は悪化した。1920年代、国際協調の風潮を背景にシベリア撤兵の後、日ソ基本条約を締結してソ連との国交を樹立したことで日ソ関係は改善した。1930年代、ソ連を仮想敵とした総力戦体制構築のため、満州事変で満州を軍事占領し、これ

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2021年阪大日本史第1問答案例

答案例①…山川『詳説日本史』ベース
奈良時代、仏教が社会に根づく中で、神社の境内に神宮寺を建てたり、寺院の境内に守護神を鎮守としてまつったり、神前読経が行われるなど、神仏習合の風潮が見られたが、平安前期には、この傾向が広まり、その影響で神像彫刻が制作され、神の偶像化が進んだ。平安時代中期には、神は仏が仮に形を変えてこの世に現れたものと考える本地垂迹説が生まれ、天照大神を大日如来の化身と考えるなど、

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2021年阪大日本史第2問答案例

承久の乱以前、幕府は東国を実質的に支配する一方、朝廷は西国を中心に強い影響を持ち、朝廷と幕府の関係は相互に独立的であった。承久の乱の結果、幕府は三上皇を配流し、朝廷の監視や西国の統括を担当する六波羅探題を設置して、没収した院方所領に御家人を新たに地頭に補任した。このため、畿内・西国における幕府の支配力が強まり、朝廷は治安維持や軍事力を幕府に依拠するようになり、以後、幕府は皇位継承や朝廷の政治に介入

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2021年阪大日本史第3問答案例

天明の飢饉によって、農村から多くの人々が都市へ流出したことにより、農村が荒廃した。幕府は飢饉で荒廃した農村を再建するため、代官を刷新して幕領の支配を強化し、公金を貸し付けて耕地を復旧させた。また、村からの出稼ぎを制限するとともに、農村から江戸に流入した者に資金を与えて帰農を奨励する旧里帰農令を発令して、江戸での打ちこわし防止と農村人口の確保の両立を図った。飢饉対策として、綿や菜種以外の商品作物の栽

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2021年阪大日本史第4問答案例

初期議会において、藩閥政府と対立する民党は予算を大幅に削減して地租の減税を主張したが、建艦詔勅で妥協した。日清戦争後、対露軍拡を実現するため、議会の協力が必要な藩閥政府は民党と積極的に提携したが、軍拡の財源をめぐり地租増徴が政治課題となると、これに反対する民党の自由党と進歩党が合同して憲政党を結成し、初の政党内閣である第1次大隈重信内閣を成立させた。その後、成立した藩閥の第2次山県有朋内閣は旧自由

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2020年阪大日本史第1問答案例

倭国は朝鮮半島南部の加耶諸国と密接な関係を持ち、鉄資源を確保していた。そのため、4世紀末以降、半島北部の高句麗が南下策を進めたのに対し、百済・加耶とともに高句麗と交戦していた。5世紀には、中国皇帝の権威を利用して、朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため、中国南朝に朝貢していた。こうした朝鮮半島・中国との交渉の中で、倭国は朝鮮半島からの渡来人を通じて、先進技術や文化を摂取し、彼らを積

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2020年阪大日本史第2問答案例

9世紀以降、東北地方は律令政府の支配下に入っていたが、11世紀に入り、陸奥国の豪族安倍氏の勢力が強大となり、国司と争っていたが、源頼義らによって滅ぼされ、頼義に協力した出羽国の豪族清原氏が陸奥・出羽国双方に勢力を拡大した。清原氏の内紛から発生した後三年合戦の後、源義家とともに内紛を抑えた藤原清衡とその子孫が平泉を拠点として、東北地方を支配した。12世紀末に源義経を匿ったことを理由に源頼朝は奥州藤原

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2020年阪大日本史第3問答案例

イギリス・アメリカなどの捕鯨船の接近を受け、幕府は異国船打払令を出して対応していた。しかし、天保の改革の前後になると、アヘン戦争で清がイギリスに大敗した情報がもたらされたことにより、幕府は欧米列強の軍事的脅威に危機感を募らせた。これを受け、幕府は天保の薪水給与令を出して、列強との即時開戦を避ける一方、鎖国体制の維持に向けて、西洋砲術を採用し、江戸・大坂周辺を幕領とする上知令を発令するなど、軍備強化

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2020年阪大日本史第4問答案例

世界恐慌の影響で、アメリカ向け生糸の輸出が減少し、繭価が暴落したことに加え、1930年の豊作による米価下落が重なり、農家の収入が大幅に減少した。さらに1931年の大凶作で農村荒廃が深刻化し、東北地方を中心に欠食児童や女子の身売りが続出し、小作争議が激増した。これに対して、政府は時局匡救事業を展開して、農村救済のための土木事業を行って、現金収入の途を与えるとともに、農山漁村経済更正運動を推進し、産業

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2019年阪大日本史第1問答案例

国司の最上席者であり、律令政府に大きな権限を与えられた受領は一国の行政の最高責任者として、地方支配を委任された。10世紀に受領は郡司に加えて、自らが都から率いた郎等たちを指揮しながら、口分田などの公田を名に編成して有力農民に請け負わせ、名の田地の広さに応じて、徴税を行い、国家財政を支えた。11世紀後半になると、受領は交代時を除いて、任国には赴かなくなり、代わりに派遣された目代が、在地の有力者から任

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2019年阪大日本史第2問答案例

御成敗式目は御家人同士や御家人と荘園領主との間の紛争を公平に裁くために、頼朝以来の先例や道理を基準に定めた武家法であった。これに対し、建武式目は大覚寺統の後醍醐天皇と対立し、京都を制圧した足利尊氏が持明院統の光明天皇を擁立したうえで、幕府の再興と当面の政治方針を明らかにする目的で建武式目を発表した。室町幕府は御成敗式目を基本法と位置づけて重視し、建武式目以降に発令された幕府の法令は建武以来追加と呼

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