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我が家は暴言の巣窟だった。〜夫婦喧嘩に晒されて育った子どもにとって家族とは〜

前回、夫婦喧嘩をしてしまった際に、子供とどう向き合って欲しいかを記事にしました。

今回の記事では、どうしてその願いが生まれたかを、お伝えしたいと思います。

我が家の夫婦喧嘩

両親が揃う日の夜は、ほぼ必ずと言って良いほどこうろんがありました。
数が多すぎて具体的な内容までは覚えてませんが、相手の言動に対しての文句や、日頃溜まっていた不満が暴言となって言い合っていたと思います。

喧嘩のない時といえば、父が家にいないだけだったと思います。
仕事で父が家を開けている時。
家を購入して建築中の間は新居の近くの祖父母の家に母と居候していましたが、本当にその時位でした。

基本的には家中に響くほどの怒鳴り声で相手を罵り合うだけで、物が飛び交ったりということは二回だけありました。

一度目は、私が覚えている最も古い記憶。
激しい口論の末に母がハサミを握ったかと思うと、襖の向こう側にいる父に詰め寄っていきました。
襖の向こうから父の悲鳴や、必死に母を宥める声が聞こえてきたのを覚えています。
後日、血のような赤い汚れがハサミについていたのに気付き、これは何かと母に尋ねると、「切り落としてやった」と答えていました。
救急車が来るなどの大事になった覚えはないので、ちょっと切れた際についた血痕だと思います。多分。

二度目は、私が小学校高学年くらいの頃でしょうか。
二階の自室にいると、一階で夫婦喧嘩が始ったようでいつものように怒鳴り声が聞こえてきました。
その中で、「包丁を置け!」という言葉が聞こえてきました。
最悪の事態になりかねないと思い、私は藁にもすがる思いで警察に通報しました。
そしてすぐさま両親の元へ行き、「通報したから今すぐ喧嘩をやめて!」と嘆願しました。
母は激怒しながらも警察へ連絡し、「大丈夫です。娘がいたずらで電話したみたいで。申し訳ありませんでした。」と言っていたのを覚えています。
悪戯ではないのに……と不満に思いながらも大事には至らなくて良かったとホッとしていました。

例外はその二つだけでした。

そして、夫婦喧嘩の後はいつも決まって私が泣いている母を慰めていました。
ティッシュを渡しながら、母が落ち着くまで静かに話を聞き続けます。

その間、母の口から出てくるのは喧嘩の原因は父への悪口ばかりでした。
『父がこんなことをしているから、私はこんなにも苦しい思いをしている。
どうして私はこんなにも苦しめられなければいけないのか。
私が一体何をしたというのか。
あんなやつ、死んでしまえばいいのに。』

それから、こう続きます。

『こんな結婚間違ってた。
やっぱり、違う人と結婚しておけば良かったんだ。
ねえ、もし離婚するなら、あなたはどっちについて行く?』

またある時は、こんな言葉を投げかけられます。

『あなたが大人になるまでは、離婚はしない。あなたがいるものね。離婚なんてできないわ』

そして最後に、この言葉で終わります。

『慰めてくれるなんて、本当に優しいのね。ありがとう、良い子だね。』

私にとって、父とは

私にとって父とは、敵でした。

父がいなければ、夫婦喧嘩は起こらない。
父がいなければ、母が泣く事もない。

母を苦しめているのは、他ならぬ父。
父がいる限り、我が家に平穏は訪れない。
父はこの家からいなくなるべきだ。

そう真剣に思っていました。

なぜなら、私は父のいい面を知らなかったからです。
母から聞く父の話は、父の悪口ばかりで、尊敬できるような話は聞いたことがありませんでした。
仕事を頑張っている話や、母のことを大事に思っていることも聞いたことがありませんでした。

私から見た父の姿は、喧嘩と原因となるような言動ばかりとる厄介な所ばかり。
母のことを蔑ろにし、自分のことばかり考えている自己中心的な存在で、家庭を乱す悪者。

私はそう思って、父のことを憎みながら育っていきました。

大人になった今になってようやく、家族のために仕事を頑張っている人だと思えるようになりました。
それでも、心から尊敬できるかと問われれば、首を横に振らざるを得ません。
父のことを尊敬出来ないのは、今でも変わりません。

私にとって、母とは

私にとって母は父から守るべき存在でした。
母が泣いていたら手を差し伸べ、時には盾となって父から守らなければならない。
そう言った使命感が私の中で渦巻いていました

それと同時に、罪悪感も抱いていました。
私がいなければ、母ま父から離れることができるのではないか。
母を父に縛り付けているのは私なのではないか。
私がいなければ、母が苦しむことはなくなるのではないか。

母を守るためにそばにいなければ。
母を守るためにいなくなったほうがいいのでは。

そう言った葛藤が常に胸の中で渦巻いていました。

私にとって、家庭とは

私にとって家庭とは、常に争いの場でした。
いつ喧嘩が始まるのかとずっと緊張していました。

そしていざ喧嘩が始まったら、母を守るために仲裁のタイミングを測るためにずっと罵声に耳を傾けていました。
本当は聞きたくない言葉の数々を、最悪の事態を避けるために、聞き続ける毎日でした。

そんな毎日が苦しくて誰かに相談をしても、夫婦喧嘩はよくあること。と言われ気にすることはないと言われます。
確かに一切喧嘩のない家庭は珍しいのかもしれません。
でも、私はその光景を目の当たりにするのが苦しかったです。
家で安心できる夜はありませんでした。
心は疲弊の一途を辿るばかり。

家庭内での自分の立ち位置や、どう振る舞うべきなのか混乱し続け、解決することはできませんでした。

自分がいないと母を守れない。
自分がいるから夫婦喧嘩が起こる。

その葛藤は大人になった現在でも拭うことが出来ません。

実家を離れ一人暮らしになった今でも、夜には喧嘩しているのではないか。
母が苦しんでいるのではないか。
そんな思いがずっと胸の中でぐるぐると渦を巻いているのです。

家を離れてから10年以上経った30歳の人間が悩むことではないのかもしれません。
けれどそれは、互いに罵り合う両親の姿が心の傷として残っている証でもあります。

私にとって、結婚とは

私とって結婚とは、幸せの形とは思えなくなりました。

大人になり、結婚適齢期に入り、友人達が結婚していく中で、少なからず結婚願望はあります。
けれど、両親の姿を見ていると、結婚することが幸せだとは思えないのです。

恋愛結婚だったとしても、いつかは愛情を忘れ、相手への敬意も失い、ただ憎しみ合うだけの関係となってしまうのではないか。
両親の姿が枷となり、大切な人と結婚することで、本当に幸せになれるのかと分からなくなります。

結婚と同様に、子供も欲しいとは思えません。
その理由はいくつかありますが、その一つは両親の影響があります。

両親が言い合う姿を目の当たりにすることは、自分にとってとても辛い経験でした。
そんな思いは決して子供にはしてほしくありません。
子供が夫婦の宝であっても、子供が夫婦が夫婦たる理由になってほしくないのです。

私の中に深く刻み込まれた傷と思考は簡単には直せません。
けれど、私と似たような状況で傷つく子供は減らせると信じています。

なにが子供にとって適切な対応なのか、考えた結果が先日の記事でした。
夫婦喧嘩はどこの家庭でも起こり得るものです。
だからこそ、子供が何を見て、何を感じているのかを、ほんの少しでもいいです。考えてもらえたらと思います。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
親にとっても、子供にとっても幸せな家庭とはなにか、考えるきっかけになれば幸いです。

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