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SFCと井筒俊彦の接点:応用井筒研究の妥当性

言語哲学者の井筒俊彦と慶應SFCには間接的な接点がある。

井筒が晩年過ごした鎌倉とSFCの立地的な近さはあるものの、1993年に亡くなった井筒と1990年に開講されたSFCとの直接的な関わりは確認されていない。しかし、井筒の与えた影響(それを意志と呼んでみることにする)はSFCというトポスの重要な要素になっているのである。

SFC井筒研究会の中で井筒を扱うにあたり、井筒俊彦が遠くの存在などではなく、実は身近に潜んでいるということを体感してもらうことを意図してこの記事を書くに至った。結論として、SFCにおける応用井筒研究の妥当性を確認することができた。

※敬称略

0. 慶應と井筒俊彦、そしてSFCへ

簡単に井筒俊彦を振り返ってみる。井筒俊彦は日本ではイスラームの聖典『コーラン』を訳した人として有名であるが、世界的には東洋哲学の研究者として知られている。その主な立場は言語哲学と呼ばれるものであり、古今東西の言語の在り方の比較によってその普遍性・特殊性を浮き彫りにしている。

そんな井筒俊彦は青山学院高等部を経て、慶應義塾大学経済学部へ。そこで後に有名になる民族学者の池田彌三郎と国文学者の加藤守雄に出会う。共に文学への情熱を捨てきれず、文学部へ。井筒はシュルレアリスムの詩人、西脇順三郎の元へ、池田と加藤は民俗学者の折口信夫の元へ行く。西脇も折口も日本を代表する学者である。

ここらへんのお話は若松英輔のエッセイが詳しく述べているので参考にしていただきたい。

その後、井筒は西脇が担当していた「言語学概論」の授業を引き継ぎ教壇に立つ。この授業が慶應における伝説の授業になったことが当時の塾生の思い出に綴られている。また折口信夫の影響も強く受けていたのではとフランス文学者の松原秀一は指摘する(鈴木孝夫との対談)。

慶應の伝説的な教員を超克する井筒俊彦。直弟子の鈴木孝夫は「鬼才」だと表現する。そんな井筒は教授会に出ないなどいくつかの逸話を残す。そんな行動に他の教授は不満を露わにするも、井筒の非凡さを見抜いていた先生たちが井筒を守っていた。

そして京都大学から井筒を引き抜きたいと申し出がかかる。慶應の宝をみすみす手放すかと、民俗学者・松本信広と哲学者・松本正夫は京都大学まで行って断った。なんとか井筒を留めようと画策し、戦争中の救済策としてあった語学研究所を言語文化研究所に改組した。現在も言語文化研究所は三田の南別館に存在する。

文学部教授から言語文化研究所教授となった井筒。その後ロックフェラー財団からの支援を受け世界を旅すると、今度はカナダのマギル大学に誘われ、カナダへと飛び立つ。そしてテヘラン王立哲学研究所へ行ったり、エラノス会議へ参加したりと世界的に有名な研究者へとなっていく。

しかしながら井筒が慶應において受けた影響と慶應に与えた影響は計り知れない。井筒の意志というものが伝播し、それは次世代にまで影響を与えていることが様々な人物を通して確認できる。

1. 江藤淳と井筒俊彦

井筒俊彦と慶應の関係を見てきたが、ここからはSFCとの関係を見ていきたい。SFC以前として井筒の伝説を目撃していた人物がいた。それは江藤淳である。

江藤淳は1992年から慶應義塾大学環境情報学部教授として活躍した。しかしこれはSFCの立場から見る江藤淳である。日本というスケールで見れば彼もまた伝説的な研究者の一人である。

江藤淳と「言語学概論」

https://www.lisbo.jp/detail/55

江藤淳は非常に著名な文芸評論家だ。大江健三郎や司馬遼太郎と同時期の文芸家であり、いくつもの賞を受賞している。特に従来の夏目漱石観を覆した「漱石論」は有名である。Wikipediaには「戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄の死後は文芸批評の第一人者とも評された」ともあり、戦後文学の発展に寄与した重要人物だということがわかる。

慶應義塾大学出版会からは江藤淳の講義CDが販売されており、肉声を聞くことができる。

そんな江藤淳の指導教員は西脇順三郎であった。また慶應義塾大学文学部時代、井筒俊彦の「言語学概論」の授業を受けて感銘を受けた人物でもある。その時の記憶が、「井筒先生の言語学概論」という題で投稿されている。

ところで、この授業に、何故私が毎週出席していたかというと、文句なしに面白かったからである。こんな面白い授業は、その頃慶應の文学部にはほかに一つもなかった。いや、重要な授業はほかにもなかったわけではないが、これほど毎回のように知的昂奮を覚える授業はなかった。これが大学だ、この言語学概論が聴けるだけでも、慶應に入学した甲斐があったと、私は毎時間ひそかに歓声をあげていた。

井筒俊彦『ロシア的人間【新版】』江藤淳「井筒先生の言語学概論」

現在このエッセイは2022年に新版として出された「ロシア的人間」の巻末に掲載されている。

江藤淳にとって井筒俊彦が重要な存在だったことを江藤淳に最後に会った批評家・平山周吉は指摘する。

さらには文学部の2人の師の影響も見過ごせない。主任教授・西脇順三郎と世界的な言語学者・井筒俊彦である。西脇賞、井筒賞として名前を残す2人の巨人が、ある意味で「江藤淳」を育てたといえる。1人は圧倒的な尊敬の対象であり、もう1人は尊敬と敵意が綯い交ぜになった厄介な存在として。

【執筆ノート】『江藤淳は甦える』平山周吉

江藤淳とSFC

では井筒の意志を引き継いだ江藤淳はSFCにどのような影響を与えたのだろうか。これは江藤淳という人物像を通して間接的に与えたものとして理解することができるだろう。当時の目撃者は江藤潤から強く影響を受けていることが確認できる。

映像作家でSFCの卒業生・金子遊は語る。

授業では来るべき情報化社会やC言語について学び、仲間たち(後年の哲学者の西川アサキ、経済学者の井上智洋、生命科学者の高橋恒一、舞踊批評家の吉田悠樹彦ら)と学術文芸サークル「ユニオン会」をつくり、同人誌を印刷して手でホッチキス止めする日々だった。公認団体になるには専任教員が顧問になる必要があり、じゃんけんで負けた牧野壽永が文芸評論家の江藤淳先生に承認印をもらいにいった。こわい保守の論客で、謝恩会で酒がまわると学生に「一緒に朝日新聞を襲撃にいこう」とアジるという噂だった。夏目漱石の『こゝろ』を英訳で精読する江藤ゼミに入ったとき、先生はきちっとした背広とネクタイ姿でイオタの教室に登場した。わたしは猫背で姿勢が悪かったが、「君はお腹の具合でも悪いのかね」と注意され、ゼミでは座り方に気をつけるようになった。

【特集:SFC創設30年】「SFCとわたし:鴨池のワイルドサイドを歩け!」金子遊

フランス文学者で元SFC教授の堀茂樹は語る。

元SFC教授、経済学者の岡部光明は語る。

われわれは、情報に関するノイズ(雑音)の多い現代社会に生きており、その中で常時適切な判断を下していかねばならない。その場合、独立した精神と自尊心は、欠かせない要件になる。またそれは、国際的な場で活動する場合においても要請される一つの普遍的な条件であろう。これに関連して、かつてSFCの教員であった(故)江藤淳教授が、その最終講義(一九九七年一月)において話されていたことを思い出す。それは、同教授が学生として学ぶ大学としては慶應義塾を選び、その後にも教授として義塾の招聘に応じることにしたのは、まさに百年以上も前にこのような普遍妥当性を持つ一つの思想を確立した驚異的な人物、福沢(諭吉)が創立した学塾であったからこそである、というものであった。私にとっても、福沢先生の思想のこのような斬新さを知ることは改めて驚きであり、また尊敬の念を強く抱かざるを得ない。

岡部光明「学生へのメッセージ」

生徒から教員までSFCに与えた影響を確認することができるだろう。1997年、江藤淳は定年1年を残しSFCを去る。そして1999年、妻を亡くして気力を無くし、自らを「形骸」として鎌倉の自宅で自殺する。

江藤淳がSFCを去る際に行われた最終講義のタイトルは「SFCと漱石と私」であった。内容は書籍『日本の最終講義』に掲載されている。

我々はこれらからSFCへの間接的な井筒俊彦の影響を確認することができるだろう。次は間接的だがかなり直接、井筒の意志が展開された例を見たい。

2. SFC外国語教育と井筒俊彦

2021年2月、言語社会学者の鈴木孝夫が亡くなった。著書の『ことばと文化』はたくさんの人に読まれ、大きな影響を与えた。鈴木は英語化が進む中で、日本語という言語が持つ潜在性とその重要性、日本人が日本語を扱うことの意味を深く掘り下げた。それだけではない。SFCにおいてはもっと重要である。なぜならSFCの特異な外国語教育システムをつくった一人だからだ。

井筒俊彦の弟子、鈴木孝夫

ここで気づいた人も多いのではないだろうか。前半にも出てきたように鈴木孝夫は井筒俊彦の直弟子である。もともと医学部だった鈴木は語学をやりたいと思い、文学部へ。そして英文学者の厨川文夫の元に行き(縁ともいうべきか、厨川門下には江藤淳もいたそうだ)勉強をした。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210211-OYT1T50140/

しかしそんな中、鈴木は井筒の「言語学概論」を出会ってしまった。「途端に井筒先生の魅力と、学問の面白さに惹かれて、厨川先生のほうを…。」と回顧している。そして井筒の元に至ったのだ。当時は研究室などはなく、自宅で研究するのが常だった。鈴木は井筒の自宅(当時は西荻窪)で勉強していたそうだ。そのうち、時間の無駄だからということで井筒宅に下塾することになる。ご飯を食べ、プラトンの暗唱、プーシキン、リルケと日替わりで読むなど10年以上家に置いてくださったそうだ。(『井筒俊彦とイスラーム― 回想と書評』より

しかし井筒のあまりに強い魔力に鈴木は悩まされる。井筒からマギル大学に誘われた時、鈴木は「申し訳ないけど、先生と縁を切らないと、私は破滅する」と言い、縁を切ることになった。その後、自身の学問を探し、ようやく見つけた時にできたのが前述した『ことばと文化』であった。

鈴木は自分の98%は井筒の影響下にあると言っているが、井筒の著書『Language and Magic』からは鈴木の影響を確認することもできる。両者が共に影響を与えたことがわかるだろう。

鈴木孝夫とSFC

そんな鈴木孝夫がSFCの外国語教育に関わっていたのである。ではそもそもSFCの外国語教育とは何なのかとなるが、これもまた複雑である。詳しくは私の別途連載している「【SFC研究会】SFC革命物語」において記述しているが、とにかくSFCという学校自体が当時の日本においてあまりにも異例で特殊であるということが前提である。慶應という歴史ある大学の中でSFCという特異なものが生まれるのだから、そこには壮絶な歴史と闘いがあったのだ。詳しくは『未来を創る大学』を読んでいただきたい。

なので簡単にSFCの外国語教育の特色を述べさせていただく。まず英語が必修でない。11言語の中から好きな言語をレベル別に選ぶことができる。そして実践重視である。特にインテンシブと呼ばれる集中型の授業は短期集中で使える言語の習得を目指している。詳しくはサイトを見ていただきたい。

科目の種類とレベル
世界に輩出する人材の育成

ポイントはこの外国語教育の特異性が井筒の影響下にあるのではと言うことだ。鈴木のこの考えの背景を、同じくSFCで外国語教育システムをつくっていた言語学者の鈴木佑治(元SFC教授)との対談に見ることができる。

鈴木孝夫:明治の始め、福沢諭吉は新しい日本のリーダーを作るといって慶應をはじめた。今度は日本を改革するために藤沢に新しい学校を作って、何もかも国際化した今の日本に必要な人材の語学教育はこうあるべきだというのを、私が引き受けて作りますと言ったのです。だから私は英語中心ではなくて、今の日本にとって国家として何が必要かという立場をもう一遍考えた。日本は下手すると植民地になる、潰されるという明治時代の独立を守る精神、危機感と同じものから出た世界戦略なんです。

日本は国家としては、外国を習う時代は過ぎた。今度は世界に日本が教える時代です。それをしないから、その責任を果たさないから、日本は世界の舞台に立ってみんなから見られているのに、主役のくせにその自覚がなくて自分は黒子だと思いこんでいる。自分は見えないと思っていてはダメです。もっと自覚と自信を持って胸をはって発信していかなくちゃ。そのために英語を使うのであって、英語を受身で学ぶ段階は終わった。英語を積極的に利用する。それがSFC立ち上げの私の想いです。

第17回 日本を知り日本を発信するための英語:
   言語社会学者の鈴木孝夫先生に聞く その1

この文章から伝わるのは日本語で考え世界に発信していくことの重要性。サピア=ウォーフ仮説(異なる言語を使うと、認識する世界観や概念のあり方が変化するという仮説)という有名な仮説があるが、言語文化圏で構築される世界観の違い、特に日本語文化圏の特異性を活用する意義を唱えた文章だと私は思う。

鈴木佑治は自己紹介でこう述べている。

私は、1963年の学部2年時に、鈴木孝夫先生の「言語学概論」を履修しました。先生の知識の広さと深さに圧倒され、学問の世界に興味を抱くようになり今日に至っております。

https://www.etsjapan.jp/toefl/mailmagazine/mm74/reading-01.html

鈴木孝夫が井筒の「言語学概論」を継承し、SFC外国語教育システムへ、そして鈴木佑治へと渡っていくのがなんとも感慨深い。鈴木佑治のSFCへの影響は、SFCの伝説的人物である(伝説が多すぎる)カトカン村井純との対談から確認できる。

鈴木孝夫と井筒の薫習

鈴木孝夫の考えに関しては詳しく鈴木自身が述べている映像が残っている。ラジオ感覚で聴いていただきたい。

このユーモアのあるお話は思わず聴き入ってしまう。Youtubeにはいくつか鈴木孝夫の動画が残っているのでぜひ見ていただきたい。私は何度も見たためにとうとう夢にまで鈴木先生が出てきてしまった。

ちなみに動画内で江藤淳のこちらの本が紹介されている。鈴木孝夫の本とのタイトルの重なりを見れば、二人の関係性を垣間見ることができるだろう。(記事の最後のコラムに二人のエピソードを記載した)

自国の言語で考えることの重要性。実は井筒俊彦もそのことを指摘している。文明学者の伊藤俊太郎との対談である。少し長いがぜひ読んでいただきたい。

伊藤:それから、私、この前の「イスラーム文明と日本」という国際シンポジウムで、アル・ハッサンというシリアのアレッポ大学の科学史の教授が提言したペーパーを読んだのですが、いろんなネックがあるんですね。科学の教育をどうやっているかといいますと、大学ではフランス語や英語などの外国語でやるのです。アラビア語ではやれないし、やっていない。そのために彼ら固有のものを持とうとしても言語的に、つまり新しい科学を自分の中に内在化して、自分達の力で発展させてゆくことができない。
 本当に内から発展させようというときに、彼らの言語自身による概念をもっていないのですね。そのために独自なものをつくり出していくことができない。
井筒:非常に大きな問題です。イランの知識人は、日本はすばらしい、と言う。明治維新以来、どうして日本人がああいうことを成し遂げたか。完全に西洋文化のトップといってもいい位置に立ち、科学技術的には西洋に全然負けないほどの近代的日本になりながら、しかもどうして日本が日本でありえたか。それが彼らの疑問です。そういう彼ら自身がイスラームから遊離して、西洋人になりきっているのです。
 言語の場合もそうです。その点では自覚が足りない、足らなかったと思う。日本の場合、明治以来、すばらしい努力をしてきた。外国の思想でも科学技術でも日本語でやった。これはたいへんなことです。わけないという人がいるかもしれませんが、イスラームの世界へ行ってみると、それがいかに難しいことかよくわかる。このままではいつまでたってもイスラーム的な近代性は獲得できないと思います。
伊藤:ガルマディというチュニジアの言語研究所の所長も、バイリングアリズム(チュニジアにおいてフランス語とアラビア語が併存すると言う問題)ーこの二つの言語に引き裂かれた状態をどう克服するかという問題を深刻にとりあげていました。これに比べると、日本人が英語がうまくしゃべれないなんていっているのは、まったくおめでたい話だというのです。
 ですから西欧的なものを介することによって、彼らは精神的な分裂状態にある。そしてまたある意味で故郷喪失の危険もある。この問題をアラビア人がどう克服するかは、確かに彼ら自身の問題です。

井筒俊彦『叡智の台座』伊藤俊太郎「イスラーム文明の現代的意義」

かつてイスラームにはすべてがあった。哲学も科学もすべて。我々が享受している学問の原型は古代ギリシャ以来、アラビア世界において保存されていたのだ。伊藤俊太郎はそれを指摘する。そんなアラビア世界の言語含めた分裂現象。井筒は次のように指摘していた。

井筒:…私は最近までイランに住んでいて痛感したのですが、"分裂"しているんです。つまり科学技術、あるいは一般的に西洋的なものをやる人は、もう西洋一辺倒なんです。本当に西洋人と同じで何の区別もない。哲学についてすらそのとおりで、イスラーム哲学なんて哲学じゃない、つまり西欧的な哲学でなければ哲学じゃないと見る。それがあらゆる側面に出ているといってもいいすぎではありません。そういう人たちに対して純イスラーム的な、いわば「中世的」なメンタリティーの人もいて、鋭く対立しているんですね。

 日本の場合、日本人は明治以前に中国の文化を取り入れ、そこから自分の独自のものを創造した。いまのような国際化、地球社会などといわれる時代にあっては、もっと広く西洋と中国、インド、それとそのあいだにある過去の文化であるイスラーム文化を考えに入れて、「日本的世界性」とでもいえるようなものをうち立てていかなければならない。
 それは我々の世界史的任務だと考えます。

井筒俊彦『叡智の台座』伊藤俊太郎「イスラーム文明の現代的意義」

鈴木孝夫と井筒俊彦の考え方は共通していることがわかると思う。SFCの外国語教育の特異性はこの深い文脈から創造されたシステムなのだ。

実は鈴木孝夫がSFCで行った講義がCDとして販売されている。タイトルは「言語と伝達」。「日本と日本語の行く末を案じ、言語教育政策と日本人論の強烈な論客である鈴木のエネルギッシュな講義内容は、聴く者を圧倒し、そして力強く励ます。」と説明書きがある。

解説はSFCの外国語教育スタッフの中心人物である詩人・井上輝夫(元SFC教授)が書いている。慶應義塾大学出版会のnoteにはこうある。

 このCDは1998年にSFC(湘南藤沢キャンパス)で行われた「言語と伝達」の講義を収録したもので、解説をSFC草創期の外国語教育スタッフの中心であった井上輝夫先生(この先生も、鈴木先生より6年も前に亡くなってしまった)にお願いしている。井上先生が書くように、SFC開設時の「外国語教育(SFCでは自然言語と呼んだ)については、討論の最初から鈴木孝夫のコンセプトがリードしていった」のであった。

「語る人」鈴木孝夫先生を悼む

井上輝夫と井筒俊彦

先の井上輝夫と井筒には外国語教育だけじゃない深いつながりがあることを発見した。井上の生前の姿が動画に残されているので見てみてほしい。

さて井上と井筒にどうのようなつながりがあるのか。これは元SFC総合政策学部長の河添健の文章に見ることができる。

 井上輝夫先生がお亡くなりになりました(2015年8月25日)。先生はSFCの新設に参画され、草創期の運営にご尽力されました。フランス語を担当され、仏文学者であり詩人でもありました。私にとってはテニス仲間であり、タイトな短パンをはき、テニスコートを所狭しと駈けまわる先生の姿が懐かしいです。ナイス・ショットもミス・ショットもいつも笑顔でした。
 今秋、慶應義塾大学出版会から井筒俊彦著『God and Man in the Koran』が出版されます。何か不思議な力を感じたので、その経緯を少しばかり紹介します。きっかけは井上先生が2013年7月にされたSFCでの講演会です。そのタイトルは『井筒俊彦「意識と本質」から私的言語についてーコミュニケーションとコミュニオン』でした。私は数学者なのでこの手の講演はだいたい遠慮するのですが、学部長になった直後でもあり、是非とも先生にご挨拶をと思い、ラムダ棟を訪ね、聴講することにしました。「井筒俊彦」の名前ぐらいは知っていましたが、イスラーム思想から東洋思想に至るスケールの大きさに驚嘆しました。

不思議な力|河添 健(総合政策学部長)

井上自身が井筒に影響を受けていたことがここでわかるはずだ。外国語教育の中心人物もまた、井筒の意志を展開した人だった。

3. SFCと井筒俊彦:展開される意志

今、井筒俊彦はSFCにおいてどういう展開されているのか。ひとつはイスラーム研究の拠点としてSFCがあるのも事実だ。しかしこれは井筒の影響下ではない。もっと直接的な影響はなんだろうか。

数学研究と井筒俊彦

ひとつは先の文章にあった出版であろう。

https://k-ris.keio.ac.jp/html/100012458_ja.html

数学者の河添健は井上との関わりの中で三つの不思議な偶然に会い、井筒俊彦の英文著作"God and Man in the Koran"の出版に携わった。これはだいぶ特殊なケースであるが、「私の研究会でも来期はこの本を読もうかと思っています。本を開くと多くの概念図があることに驚きます。多分、井筒先生の思想の根底には数学的な構造がきちんと構築されていたのではないでしょうか?そのあたりを研究会で調べたいと思っています。」とあるように、井筒俊彦の応用的な研究では重要な役割があったのではと思える。

2022年現在、河添はSFCにおいては「問題発見・解決のための数学リテラシー」という数学の面白さを学べる授業を開講している。

数理科学がいかに現実の問題の解決に役立つかを学びます。大切なのは公式や結果を覚えるのではなく、現実の問題を数学の問題に置き換える過程を理解することです。

https://syllabus.sfc.keio.ac.jp/courses/2021_25572

最終講義をこちらで見ることができる。

創造研究と井筒俊彦

より直接な言及として井庭崇の取り組みが挙げられる。

https://note.com/blue_moment/n/n8966fe43d498

井庭崇は総合政策学部の教授であり、「創造」を主軸に研究している。SFCで授業や研究会を行う傍ら、アウトリーチ活動にも意欲的であり、研究対象である「創造」に関する本の出版やイベント、ワークショップに取り組んでいる。

そしてそんな研究の中に井筒俊彦が潜んでいる。まず確認できるのは影響を受けた人物の中に井筒俊彦がいるということ。そしてもうひとつは自身の研究会における文献の中に井筒俊彦の本が選ばれていることだ。

さらに実際井筒俊彦に関して「東洋哲学:井筒俊彦の空海論と月輪観瞑想体験セッション -(川島俊之氏)」というイベントも行っている。

第2回は「東洋哲学:井筒俊彦の空海論」をテーマに、高野山真言宗高福院 副住職の川島俊之さんをお招きします。フォーラムやAWAI Gathering vol.1 でも大変反響のあった井庭先生の「無我の創造」を、野中郁次郎や真言密教(空海)、井筒俊彦の視点から深めていきます。

東洋哲学:井筒俊彦の空海論と月輪観瞑想体験セッション -(川島俊之氏)

それを踏まえた論文も記述している。(7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs(AsianPLoP2018) , 2018)

Artと井筒俊彦

そして井筒俊彦の考え方を応用して作品を作っている人物もいる。SFC特別招聘教授の馬場淳だ。馬場はベルリンでビジュアルアーティストとして活動する傍ら、SFCで「現代アート概論」という授業を開講している。

https://www.sfc.keio.ac.jp/introducing_labs/014830.html

公開されている授業内容からは「アートとコトバの関係性の学びを深める。 キーワード:アートの言語学的解釈、空海、井筒俊彦、深層言語」と、井筒俊彦についての言及もある。

またSFCでの公開講義がYoutubeにあがっている。53分のところで、井筒俊彦のことが触れられており、Artと井筒の関係性を探求することができるだろう。

結論:SFCにおける応用井筒研究の妥当性

以上、長くなったが「SFCと井筒俊彦の接点」という題でその関わりを辿った。SFCにおける井筒俊彦とは応用研究的性質が強いことが示されたと私は考える。

はじまりはSFC以前に遡ることが可能であり、井筒俊彦を応用した独創的研究者として江藤淳、鈴木孝夫を挙げた。そして井筒俊彦の応用は外国語教育へと応用され、鈴木佑治、井上輝夫に強く影響を与えた。さらに、書籍を通してその影響を超克する独創的な研究者として河添健、井庭崇、馬場淳が挙げられた。

井筒俊彦は薫習し、SFCという特殊なトポスを創り上げた。特筆すべきは、どれもただの継承者ではなく、超克し独創的な人物へとなったことではないだろうか。

私が好きな井筒俊彦の言葉に次のようなものがある。

現代の独創的な思想家たちも、...強烈に独創的な思索のきっかけとなるであろうものを求めて、過去を探る。...「誤読」のプロセスを経ることによってこそ、過去の思想家たちは...新しい生を生き始めるのだ。ドゥルーズによって「誤読」されたカントやニーチェ...デリダの「戦略的」な解釈空間にたち現れてくるルソーやヘーゲル…

東洋思想の世界は沈滞している...研究者の数は多い...だが、現代という時代の知的要請に応じつつ、生きた形で展開しているような、つまり東洋哲学の古典を創造的に「誤読」して、そこに己れの思想を打ち立てつつあるような、独創的な思想家は、残念ながら我々のまわりには見当たらない。

井筒俊彦『意味の深みへ』七 意味文節理論と空海

SFCの応用井筒研究はまさに創造的誤読に他ならない。井筒俊彦が西脇順三郎をそうしたように、今我々も井筒を創造的誤読する必要があるのだ。

SFC Izutsu Study Groupにおいて何ができるか考えていきたい。

(滝本力斗)

<コラム:鈴木孝夫のエピソード>
①井筒のからかい方
井筒と意見の対立があった鈴木孝夫。井筒は神や悟りの世界から見る一方、鈴木はフェアな精神で平凡な人間的な問題を扱いたいと思っていた。そんなときに反抗した鈴木に対して言った井筒の言葉。
「私はお世話になっていながら、ときどきそういう点で先生に反抗した。「お前は菩薩だなぁ」なんて馬鹿にされるわけよね(笑)。」

②江藤淳との思い出
鈴木孝夫は井筒俊彦の本質直観のような全ての人に見えるわけではないが、そのスゴさを見抜ける人の一人として江藤淳をあげている。
「そういう目がある江頭淳夫(江藤淳)君なんかは、井筒さんの『ロシア的人間』を、すごく高く評価して、私から初版本を借りてそのまま返さないから、催促して取り返しているのを覚えているけどね(笑)。とにかく、彼みたいな見抜く目のある人は、井筒さんのような見方を評価するんだろうな。」

『井筒俊彦とイスラーム』鈴木・松原

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